高速道路上に、緊急車両の赤い光がいくつも閃いている。消防車、救急車、パトカー。赤くこそないがレッカー車。
振り返れば、遠目にも渋滞が始まっているのがわかった。トラックと乗用車が左右に寄って連なり、その隙間を黄色い車がしずしずと徐行している。よくわからないが、あれも緊急車両だろうか。
小さい子がいたらテンアゲ↑だったかもね〜、と横目で見つつ、実弦はキャリーを引いて指定されたパトカーへと寄っていった。
それこそ小さい子ならテンションMAXになるだろう、これから人生初のパトカー乗車である。どうしてこうなった。いやあのジカンソコーグンのせいであることは明白なのだが。
「あ、女の人だぁ〜! うれしー! よろしくお願いしまぁす!」
「お疲れ様です」
実弦の下手くそな敬礼に、びしっとしたものを返して笑ってくれたのは、30歳前後と思しき女性警察官だった。もうひとり、運転席に男性警察官がいて、パトカー内の無線に向けて何か話しかけている。
バス自体はおそらく無傷なのだが、総点検をせねば乗客を乗せて走るわけにはいかないらしい。そもそも死者が出なかったことが奇跡、怪我人はもちろんのこと気分を悪くした者も続出した。少しでも巻き込まれた人間は、ひとまず全員病院行きと指示されているーーー実弦と、その連れを除いて。
実弦は、先ほど内閣官房国家安全保障局(名前が長い)から送られてきたPDFをスマホに画面表示して女性警官に提示する。警官は警官で、自分のスマホと実弦を見比べているようだった。顔写真でも送られてきているのだろうか。ちゃんと盛れてるやつかなぁ、と、連れに聞かれたら怒られそうなことをちらっと思う。
女性警官は頷くと、運転席の男性に向かって一言二言話しかけた。照会は済んだらしい。どうぞこちらへ、と手を伸べて、実弦がパトカーにキャリーを積むのを手伝ってくれる。その際、ちらりと長谷部との距離を目測し、そっと実弦の耳元で囁いた。
「お手洗い大丈夫ですか」
おぉ、と少し感動する。非常事態に張りつめていた心が、ふんわりと日常に帰ってくるのを感じた。
「あーね、行っときたいかも?」
「わかりました。最寄りのパーキングエリアに寄りますね。お座席どうしますか。お二人は後ろに座っていただきますが、もしご希望なら、わたしもそちらに」
……んん?
実弦はつけまとマスカラでもりもりに盛った睫毛をパサパサとしばたいて、女性警官の顔を見返す。
トイレの話までは、同性ならではの気遣いかと思ったが。これは何かもっと、違うもののような……?
「えっと……なんで?」
女性警官は少し首を傾げ、手を、と言いながら自分も両の手のひらを上に差し出して見せる。左の薬指にシンプルな指輪がはまっているので、既婚者なのだろう。よくわからないながら実弦もそのようにし、あ、と気づいた。
「ちょっと失礼しますね」
女性は一言断ると、実弦の指先をきゅっと握り込む。実弦と違って爪が短く切り揃えられ、皮が硬い手。とても温かい。否、実弦の指先が冷えきっているのだ。
「がんばりましたね」
細かく震える指先を労られて、実弦はぐっと奥歯を噛んだ。こみ上げそうになったものを慌ててこらえる。
まだだ、まだだめだ。今ここで糸を切らすわけにはいかない。
虚ろに惑わされぬ、破魔の弓たれ。
おののく口元を𠮟咤して、なんとか声を絞り出す。
「あっいやー、これは違くて。あたし、えっと、冷え症で……」
「そんな脚を出した格好をしてるからだろう」
後ろからひょいと顔を出した長谷部が憎まれ口を叩いて、助かった、と実弦は思った。大袈裟に表情をつくる。
「へっしー、言い方が古〜い! お父さんみた〜い」
「誰が父親だ、誰が!」
きゃはは、と笑いながら、実弦は長谷部に続いてパトカーに乗り込んだ。振り返って女性と目を合わせ、声を出さずに唇だけを動かす。
だ い じ ょ う ぶ 。
警官は小さく頷くと、では、と外から扉を閉めた。
***
とあるパーキングエリア、女子トイレ。
実弦は、個室に入るなり鍵を閉め、崩れるように座り込み、スマホと財布とハンカチだけを持った手で己の体を抱き込んだ。
「はぁ〜〜〜〜〜〜…………」
深い溜息が漏れる。
呼吸を数えることしばし。よし、と改めてスマホをペーパーホルダーの上に置こうとして、カツカツカツッ、と小さな音がした。今回のために気合いを入れてデコった爪が、スマホの画面にあたって音を立てている。まだ指先が震えているのだと気づいて、はは、と小さく笑いが漏れた。
「しょ〜がないよねぇ〜……」
命の危機に瀕してから、まだ幾らも経っていない。時代劇くらいでしか見たことのない、刀での戦い。しかもガチの殺し合いだ。あの時、へし切長谷部は素人目にも劣勢だった。
死ぬかもしれない、と思った。
へし切長谷部の仮の主という立場になるにあたって山ほど書かされた書類、その中に遺書が含まれていた意味を、今さらながらに実感する。
襲撃にあった時はただただ必死で、助けを呼ぶにも、あるいはここで負けて死ぬにも記録を残さねばとカメラを起動させた。常日頃から大学の研究室で叩き込まれているお作法である。記録は大事だ。人の記憶は思い返すうちに変質するし、記録があることによって後日違う発想の起点となることもある。
(へっしーは、おこだったけどぉ!)
まぁ『あなたが負けた時に備えて少しでも政府に情報を残そうと用意していました』とは言えないので、潔く謝った。それでも写真は消していない。遡行軍がいなくなった後にはなったが、内閣官房国家(以下略)にも写メは送った。返信で届いたのがパトカーを手配する旨と、その際見せるように指示されたPDFである。
きっと、自分は何度でも同じことをする。己にできることは、へし切長谷部のため近くに居続けることの他、それくらいしかない。
死ぬのは怖いことだ。
それはよくわかった。
だが、直系でなくとも黒田の名をもち福岡で育ってきた自分が、ここであの刀から逃げるわけにはいかない。
「……障害にあい、激しくその勢力を百倍しうるは水なり」
ぱん、と両手で頬を叩いて、実弦は再度気合いをいれた。
とりあえず、あったかいものでも買おう。
二人があのあとどうやって東京までたどり着いたのか、素晴らしいお話にしてくださってありがとうございます!
実弦さん格好良いし、警察官さんも優しい
実弦さんってすごく細やかで思慮深い人ですよね
実弦ちゃん高速で事故と遡行軍のダブルパンチのあの状態で恐怖を感じないわけないですよね。
見掛けはあの当時のギャルだけど芯がしっかりしているところがカッコいいです。
女性警察官さんも気遣いと職務を両立していてとても素敵です。
お読み頂いてありがとうございます!!
最後の最後まで黒田の名を明かさない実弦さんなので、自分の感情と向き合う姿はきっと長谷部に見せないだろーなーと思ったらこうなりました!
モブ警官もお褒め頂きありがとうございましたヽ(=´▽`=)ノ
彼女の念いはどこから抜けるだろうなーと思いながら書いておりました
実弦さんの本心と決意、とても格好良いです。
素敵なお話をありがとございます…!
こちらこそ読んで頂いてありがとうございます!
コミュつよ陽キャパリピギャルの実弦さん、黒田の名をギリギリまで明かさない思慮深さからすると、あの写真にも意味があったはず!!という思いで書きました。
格好良く見えて嬉しいです(人*´∀`)。*゚+