事情が変わる一報が入ったのは、そろそろ静岡を抜けようかという頃だった。
「……迎えが来ない?」
警察無線ではなく男性警官のスマホに入った連絡に、一同は顔を見合わせる。交代でハンドルを握っている彼らは、今は女性警官の方が運転していたが、目配せをして一旦路肩に停車した。
「こちらは問題ありませんが……はい? はい、はい、えっ!?」
通話口を手で覆った警官が、さっと実弦と長谷部に視線を走らせ、重々しく口を開く。
「落ち着いて、聞いてください。……都内で意識消失する事例が続出しているそうです。今後の移動方針をこれから決めます」
「……ヤバくない?」
最低限の伝達だけして電話に戻った警官の後ろで、実弦と長谷部は視線を交わす。実弦もスマホを取り出すと青い鳥のアイコンをタップして検索画面を開いた。東日本大震災で広く認識されたことだが、ニュースになるよりも前、今この瞬間に起きている事象を把握するのにSNSに勝るものはない。しばらく考え、救急車、と打ち込む。
「うわ……ほんとだ……なんかいっぱいある……」
電車で人が急に意識なくして救急車呼んだんだけど
なんか救急車のサイレンめっちゃ聞こえんね?事故?事件?
救急車来ない!脈と呼吸はある、意識なし、あとどうすればいいか教えて!
救急車は119、火事か救急か聞かれるので救急、住所は目印なかったら近くの自販機見るといいよ
「へっしー……これもあいつらの仕業?」
「いや……」
実弦が見上げた先で、長谷部は眉を寄せる。実弦の手からスマホを取って指先を滑らせ、む、と動きを止めた。
「スマホ使いたいの? 手袋外しな?」
「……この時代の端末はそうなのか……」
ぶつぶつ言って素手になった長谷部は、新規投稿欄に文章を打つ。実弦にとって意外なことに、流暢なフリック入力だった。
『俺の知る限り、あいつらにそういった力はない。だが、無関係と判断するには時機が合いすぎている』
「そっかぁ……」
実弦もまた眉を寄せたところで、男性警官が後部座席を振り返った。
「念のためお伺いします。都内で前触れなく完全に意識消失する事象が発生しています。原因不明、発生経路不明。化学薬品による無差別テロの可能性も疑われています。回復事例は今のところありません。それでも東京に向かわれますか?」
「えっ?」
実弦は声を上げ、長谷部は真意を探るようにじっと警官を見据えた。
「我々は警察官です。どんな危険があろうとも命令に従い、市民のために力を尽くす義務があります。しかしながら、あなたは民間の方では?」
あ、そーゆーやつ、と実弦は納得した。
「あたしも、今は公務員扱いになるらしいんで」
えっ、と警官二人の視線が集まる。実弦はちらりと長谷部を見て、ぽんとその肩を叩いた。
「大丈夫だよ、へっしー。約束したもんね。……この人を、どうしても東京に連れて行かなきゃいけないんです。お巡りさんたちは、危ないことに巻き込んでしまって、申し訳ないんですけど……お願いします!」
実弦はがばりと頭を下げる。
いくらも経たずに、了解しました、と警官二人が深く頷いた。
「顔を上げてください、問題ありません。こちらの者が申し上げた通り、力を尽くすことが我々の仕事です」
女性警官が言うと、男性警官が電話口に、これより向かいます、と宣言する。
「緊急、ということですので、飛ばします。手すりに掴まっていてください。東京に近づくにつれ、あちこち渋滞が発生しているようです。急病人の発生で電車の運行も乱れていて今後の見通しが立たないということでしたので、行けるところまで車で向かいます。状況によってはヘリが来るようですが、未定です」
パトカーのサイレンが鳴り始めた。
ぐっとGがかかって、実弦の体が座席に沈み込む。映画みたいじゃんね、とこの期に及んで呑気な感想が頭をかすめた。
給油がいりますね、とサイレンの合間に警官が声がする。
と、そのとき、実弦のスマホが鳴った。
「はい、もしもし」
『……っかあん……ほしょ……です。けーさ……ってくだ……』
「もしもし聞こえない!」
何やら気弱そうな声が、ほぼサイレンにかき消されている。
即座に警官がサイレンを切り、実弦はスピーカーボタンをタップして最大音量に上げた。車が減速して前のめりになり、シートベルトに支えられる。
『聞こえますか、警察の方をお願いします』
「聞こえます、代わりました」
男性警官が長々しい所属を名乗るのを遮って、声は言った。
『今、どちらですか』
「静岡の小山を越えました。じきに鮎沢です」
『わかりました。船を手配します。大磯町へ向かってください』
「大磯町、了解」
プツッと切れたスマホを手に、実弦は、次は船かー、と呟く。男性警官が頷いた。
「良い案ですね。ヘリでの迎えが保留になったのは、万が一パイロットが意識消失した場合のリスクを考えてのことだったので」
「こっわ!!」
実弦は思わず肩をすくめた後に、今この瞬間も、いろんな人がいろんなことを考えてベストを尽くそうとしているんだな、と思う。
「へっしーって潮風だいじょぶ?」
「むろん問題ない」
「オッケー、わかった。えーっとオーイソマチ? よろしくお願いします」
「……面倒をかける」
「お任せください」
実弦と長谷部がシートに座り直したところで、再びパトカーのサイレンが鳴り始めた。見る間に加速して、窓の外の景色が後ろに飛び去っていく。
秋の日が急速に暮れようとしていた。
決戦は、翌日。
見えないところ 終 /凡ト(@bonto_sl)
二人があのあとどうやって東京までたどり着いたのか、素晴らしいお話にしてくださってありがとうございます!
実弦さん格好良いし、警察官さんも優しい
実弦さんってすごく細やかで思慮深い人ですよね
実弦ちゃん高速で事故と遡行軍のダブルパンチのあの状態で恐怖を感じないわけないですよね。
見掛けはあの当時のギャルだけど芯がしっかりしているところがカッコいいです。
女性警察官さんも気遣いと職務を両立していてとても素敵です。
お読み頂いてありがとうございます!!
最後の最後まで黒田の名を明かさない実弦さんなので、自分の感情と向き合う姿はきっと長谷部に見せないだろーなーと思ったらこうなりました!
モブ警官もお褒め頂きありがとうございましたヽ(=´▽`=)ノ
彼女の念いはどこから抜けるだろうなーと思いながら書いておりました
実弦さんの本心と決意、とても格好良いです。
素敵なお話をありがとございます…!
こちらこそ読んで頂いてありがとうございます!
コミュつよ陽キャパリピギャルの実弦さん、黒田の名をギリギリまで明かさない思慮深さからすると、あの写真にも意味があったはず!!という思いで書きました。
格好良く見えて嬉しいです(人*´∀`)。*゚+