琵琶の縁 - 9/18

 翌朝。
 美咲は春花の見舞いに行くことにした。今日は倒れてくる前に自分の楽器ケースを持ち、更に反対の手には春花の楽器ケースを持っている。
「駅まで持とうか?」
 山鳥毛の申し出をやんわりと断る美咲。
「大丈夫です。いつも通り、姿を隠してもらって--」
 言いながらアパートの階段を下りて、美咲は凍り付く。
 美咲の真下の部屋の前に、あの公安の男がいた。國井誠と名乗る男だ。昨日は美咲と山鳥毛をアパートに送り届け、どこかへと去っていったはずだが……
「……何だよ。」
 化け物でも見るかのような美咲を、誠が睨み返した。
「……どうしてここに?」
「護衛しろって言われたからだ。」
 会話している側から、誠の背後のドアが開く。護衛を提案した則宗が、部屋から出てきた。
「おはようさん。今日は友達の見舞いに行くんだったな。」
 昨日と打って変わって、則宗は黒いケープコートを身に纏っている。さも当然のように鍵を掛けて出掛けようとする則宗に、美咲は疑問をぶつけた。
「あの、何でここにいるんですか?あと、どうして私が……」
「護衛のためだ。どんな手段をとってでも近くに陣取るさ。それに、この建物は音が響くからなぁ。お前さんと山鳥毛の会話も聞き取りやすい。」
 則宗の答えに美咲は顔を覆った。恐ろしい。公安警察の前に、プライバシーなど存在しないのか。
「……美咲。」
 山鳥毛に肩を叩かれ、意を決したように顔を上げる美咲。
「……よろしく、お願いします……」
 そう言う声は、ピアニッシモよりも小さくなっていた。

 春花の入院先に行くには、電車を乗り継ぐ必要がある。
 駅に向かう途中で、ふと美咲の足が止まった。
「美咲?」
 山鳥毛に聞かれて美咲は顔を上げる。
「あの、ここに寄ってもいいですか?」
 そう美咲が指さしたのは、細い路地だった。
「構わないが……」
「ありがとうございます。」
 承諾を得た美咲は、路地の奥へと真っ直ぐ進んでいく。
 不思議そうにあとを着いていく山鳥毛が目にしたのは、古く小さな社だった。稲荷狐の石像が鎮座しており、小さな賽銭箱も置いてある。
「最近見付けたお稲荷さんなんですけど、もしかしたら春ちゃんの病気も治してくれるんじゃないかって。」
「随分都合良いこと言ってやがんな。」
 山鳥毛の背後から嫌味を言うのは誠だ。美咲はうんざりした素振りを見せる。
「貴方に言ってません。」
「事実だ。稲荷狐ってのはそもそも豊穣神の使いであって願いを叶える神様じゃねぇし、毎日のように参拝している人間が稀に助けてもらえるかどうかってレベルなんだよ。たまの神頼みなんて不確かなもんに頼るのは、弱い奴のやることだ。」
「……お前さん、神頼みが不確かとか言うわりに神仏に詳しいな。」
 則宗に指摘されて誠はふんと鼻を鳴らした。
「弱い奴で結構。弱いから、こんなことしかできないんです。」
 開き直って美咲は楽器を置き、社の側にある箒を手に取った。地域の人間が定期的に掃除しているようだが、それでも秋は落ち葉で地面が埋もれる。美咲は箒で細い参道を掃いていった。
「……なるほどな。」
 そう呟き、山鳥毛は社の中にある小さな湯飲みを手に取る。それを脇の水道に持って行って洗うと、新しく水を注いで社の中へと入れた。
「おい山鳥毛、ついでに中にある狐の置物も拭いてやったらどうだ?」
「言われてみれば、結構汚れているな……」
 左右に六体ずつ置かれた小さな狐の置物は、積もった土埃で薄汚れている。山鳥毛は胸ポケットのチーフを取り出すと、それで一体一体を丁寧に拭き始めた。
「さて、僕は両脇の石像でも整えて……」
「おい。」
 稲荷狐の像に手を伸ばしかけた則宗を誠が止める。
「何やってんだよ。勝手にやってんだから、やらせておけばいいだろ。」
「冷たい奴だなぁ。お嬢さんが友達の回復を願って掃除しているんだぞ?手伝ってやるのが筋ってもんだろう。」
「そうそう。そうでなくたって、お社は大事にするもんだよ。」
 聞き覚えのない声がして美咲は振り返る。狭い参道に、見知らぬ男性が三人立っていた。一人は金髪で白い装束に身を固め、もう一人は薄緑の髪で黒い衣装を身に纏っている。対照的ながらもどことなく顔の似ている二人は、兄弟のように見えた。そしてさらに一人、身形の整った初老の男性が立っている。刀を佩刀している兄弟は刀剣男士で、初老の男性はその主なのだろう。美咲は直感でわかった。
「あ?誰だてめ……」
「よせ坊主。援軍だ。」
 啖呵を切ろうとした誠を則宗が制止する。すると、金髪の男性がにっこり笑って名乗りを上げた。
「源氏の重宝、髭切さ。こっちは弟の……えーっと……」
「膝丸だ、兄者。」
 緑の髪の青年が言い聞かせる。美咲は頭を下げた。
「長尾美咲といいます。」
「へえ、美咲っていうのかい?礼儀正しい良い子だねぇ。よろしく頼むよ。」
 髭切は笑顔を絶やさず、背後にいる初老の男性を振り返った。
「この人は僕達兄弟の仮の主で、名前は……えっと……くら……何だっけ?」
「兄者!俺はともかく、主の名前くらいはちゃんと覚えてくれ!」
 慌てる膝丸に、仮の主は優しく笑う。
「良いのです。ほんの一時の、仮初めの主なのですから。」
「っ……すまない、倉橋殿……」
 膝丸の台詞で「そうそう、倉橋!」と手を打つ髭切。そのやりとりに美咲がぽかんとしていると、初老の男性が向き直って挨拶をした。
「北野天満宮から参りました、倉橋定崇と申します。」
「ほう。こりゃあまた、随分と遠いところから。」
 則宗が恭しく礼をする。
「一文字則宗。時の政府の命によりこの時代に遣わされた、刀剣男士だ。」
「御番鍛冶の則宗の?菊御作かい?」
「まあ、そうとも言われるな。」
 どことなく嬉しそうな髭切に、則宗が微笑む。次いで山鳥毛が前に進み出た。
「同じく福岡一文字派、山鳥毛。所属は則宗とは異なる一般の本丸だが、目的は同じだ。よろしく頼む。」
「一文字の惣領だね。僕の昔の主も惣領だったんだよ。」
 暢気な兄の台詞に弟が頭を抱える。
「兄者、今はそんな話をしている場合では……」
「で、そこに仏頂面で立っているのは?」
 膝丸の言葉を遮って髭切が誠を見る。笑顔なのに威圧感が凄まじい。
「……國井誠。」
「仏頂面で愛想のない奴なんだが、これで一応僕の仮の主だ。」
「悪かったな。」
 則宗の説明に誠が突っ慳貪な返しをする。髭切はうんうんと頷いた。
「これでみんな自己紹介が済んだね。それじゃあ……」
 髭切が、まだ残っていた箒を手に取る。膝丸は困惑した様子で声を掛けた。
「兄者、何をしている?」
「何って、お掃除だよ。」
「そんなことをしている場合ではないぞ!」
 憤慨する膝丸に髭切が心外だという顔をする。
「そんなことなんて言っちゃだめだよ、弟。神社の掃除は大事だよ。神聖な場所が汚れていたら、悪い気が溜まってしまうだろう?」
「そうではなくて、時間がないと言っているのだ!」
 この様子だと、どこかに急いで向かっていたらしい。美咲はおろおろしながら言った。
「あ、あの、お気持ちだけで結構ですので……何か、ご用事があるんですよね?私達に構わず、行っていただいても……」
「うん?大丈夫だよ。」
 あっけらかんと答えて髭切は掃き掃除を再開する。倉橋も、髭切に倣って箒を持った。
「確かに用事はありますが、急ぎではありません。これも何かのご縁でしょう。お手伝いいたしますよ。」
 さすが神職なだけあって、倉橋は手際よく落ち葉を集めていく。膝丸もついに根負けして箒を手に取った。
「全く……早く済ませるぞ。」
「みなさん、ありがとうございます。」
 美咲が礼を言うと、後からやってきた三人は微笑んだ。
「……おい、お前さんはいつから地蔵になったんだ?」
 居心地悪そうに突っ立っている誠の脇腹を、則宗が扇子で突っつく。誠は心底嫌そうに社周辺の草むしりを始めた。
「うんうん。殊勝な心掛けだねぇ、國村。」
「國井だ。」
 にこにこと頷く髭切を誠が睨みつける。膝丸が顔をしかめた。
「随分と礼のなっていない小僧だな。兄者を見習え。懸命に掃除をしているぞ。」
「偉そうに、誰が小僧だ。礼がなってねぇのはそっちだろ。」
 険悪な二人の間に、すかさず則宗が割り込んだ。
「いやすまんな。ちょいとばかし血の気が多くて、すぐに口が悪くなるんだ。」
 膝丸にそう断ってから誠に耳打ちする。
「お前さんも、あまり楯突かん方がいいぞ。相手は平安生まれの源氏の重宝だからな。」
「知ったことかよ……」
 悪態をつきながら乱暴に草を引き抜く誠。則宗はやれやれと首を振り、石像の溝に入り込んだ泥汚れを落とす。
 程なくして、辺りがすっきりと片付いた。
「みなさん、手伝ってくださって本当にありがとうございます。」
 頭を下げる美咲に、倉橋が優しく言う。
「いえいえ。同じ神道を崇める者として、良い勤めができました。こちらこそ、機会をくださってありがとうございます。」
「そんな……」
 畏まる美咲に、髭切も優しく微笑む。
「僕達、神社には縁があるからね。こういう小さな場所でも、親しみを感じるよ。」
「そうだな。兄者がいきなり掃除を始めた時はどうしたものかと思ったが……無心に落ち葉を掃いていると心が整う気がする。」
「おお。わかってくれるんだね、肘切。」
「膝丸だ、兄者。」
 兄弟のやりとりに美咲は思わず吹き出しそうになる。隣の山鳥毛はくすっと笑うと、美咲に言った。
「これだけ綺麗にしたんだ。願い事も聞き入れてもらえるかもしれないぞ。」
「あっ……そうでした。」
 美咲は居住まいを正すと、賽銭箱へと向かう。財布の中から取り出したのは、四十五円だった。
「縁起悪っ……」
 いつの間にか横に来た誠が覗き込んでくる。美咲は咄嗟に距離を置いた。
「数字にしたら死後じゃねぇか……見舞いに行く奴が入れる額かよ。」
「そう言う貴方は、学がないんですね。」
 誠に皮肉を返して美咲は賽銭を入れる。
「始終御縁がありますように。四十五円はそういう語呂合わせです。」
 美咲の解説に倉橋はなるほどと頷く。手を合わせていると、ちゃりんと賽銭が追加される音がする。
 美咲が隣を見ると、山鳥毛も社に手を合わせていた。
「……人の真似事をと、笑われるかもしれないが。」
 顔を上げた山鳥毛に言われ、美咲は首を横に振る。
「笑ったりなんかしません。でも……神様も、お願い事するんですね。」
 意外だという反応の美咲に、山鳥毛は答える。
「我々刀剣男士は付喪神であって神ではないからな。どちらかというと妖に近い存在だ。」
「とはいえ、その妖を退治するのも、俺達刀剣の本分だ。」
 膝丸が胸を張って言う。髭切も頷いた。
「そうそう。鬼退治ならお手の物だからね。悪い奴はみんな斬っちゃえばいいんだよ。」
 ”鬼退治”と聞いて、美咲は山姥切から聞かされた話と、黒いパーカの少年に斬り掛かった山鳥毛の姿を思い返す。
 「鬼を退治する」と称しながら人間を殺したかもしれない昔話。昨日の山鳥毛は逆に、人間に見える鬼を斬ろうとしたのではないか。
「……美咲?」
 呼び掛けにはっと顔を上げると、山鳥毛が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「大丈夫か?」
「は、はい……ちょっと考え事してました。すみません。」
 美咲がぺこっと頭を下げると、山鳥毛が唇に人差し指を当てる仕草をする。
「あっ……」
 咄嗟に口を押さえる美咲を見て、山鳥毛は苦笑した。
 そんな二人に構わず、髭切が一歩進み出る。
「よし、じゃあ僕達も鬼退治祈願しようか。」
「そうだな。」
 兄が出してきた手の上に、弟が当然のように賽銭を置く。倉橋も懐から財布を取り出した。
「万事、つつがなく運びますように。」
 倉橋と共に兄弟が手を合わせる。その様子に則宗も小銭を取り出した。
「僕達も祈願しておくか。」
「勝手にやってろ。俺は知らん。」
「つれないこと言うな、坊主。ほれ。」
 強引に五百円玉を握らされて誠は盛大な溜息をつく。
 賽銭を入れて手を合わせ、則宗は呟いた。
「この先の歴史が変わらぬよう、今の時代を守る手助けをしてほしい。」
 風が、美咲達の背後から社の方へと吹き抜けていく。木々のさざめきに倉橋が言った。
「我々の願いを、ここにいる神が聞き入れてくれたのかもしれませんな。」
「そうだと嬉しいです。」
 美咲は顔を綻ばせ、黄金に染まる桜の木を見上げた。

3件のコメント

とある隠居

とても面白かったです。
映画の登場人物が出てくるの最高でした!
一つ、とても気になっているところがあります。最後のメールの相手、もしかして…ですよね!?

返信
銀扇

ありがとうございます!
どうにかして映画の登場人物(特に琴音ちゃん)と会話させたい一心で盛り込みました。

美咲のメール相手(旦那さん)、ご想像の通りでございます(*´ω`*)
実は、仮の主二人が記憶を消された後の話も頭の片隅で展開されていたりします。
刀剣男士がほぼ絡まなくなるのと、長くなってしまうので今回割愛してしまいましたが、つまりはそういうことになります。

返信
とある隠居

お返事ありがとうございます、作者様。
ああ、やはり…!それを聞いてさらにハッピーハッピーハーッピー(最近の猫ミームのアレ)になりました😂!
ふせったーも読ませて頂きました。そういう裏話大好きなのでとても興味深く拝読しました。本当に細かく設定を作り込まれていると感心致しました。
素敵な小説をありがとうございます。

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