琵琶の縁 - 6/18

 翌日。
 美咲は山鳥毛に頼まれ、上野へ向かった。
 二人で家を出ようとした時に、立ててあった自分の楽器ケースが繰り返し倒れたので、メンテナンスの予定はないが”連れてきて”いる状態だ。
「……どうやら、君と私を二人きりにしたくないらしい。」
 山鳥毛の指摘に、美咲は楽器も嫉妬するのかと首を傾げながら肩に担いだのだった。
 山鳥毛はサングラスを外している間に気配を消せるようだが、同時に疲労も溜まっていくようだ。博物館に向かう道中、美咲は心配そうに顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
 眉間を押さえていた山鳥毛が答える。
「ああ。心配はいらない。」
「でも、山鳥毛さん目の色素薄いし……サングラスしてた方が楽なんですよね?」
 美咲の言葉に山鳥毛は苦笑する。
「全く……君の前では形無しになるな。」
「あっ、いや、えっと……」
 何だか申し訳なくなって「すみません……」と小声で謝る。山鳥毛は緩く首を振った。
「君が謝るようなことじゃないだろう?また悪い癖が出ているぞ。」
「あっ……!」
 反射でまた謝ろうとした美咲の唇に、山鳥毛の人差し指が触れる。
 驚いて固まっていると、山鳥毛は微かに笑い声を上げた。
「ほら、行こう。ここは人が多い。」
 はっと我に返った美咲は足を動かす。誰が見ているわけでもないのに、顔が紅潮していくのがわかって俯いてしまう。
 下を向いて歩いていた美咲は、前を行く山鳥毛が足を止めたのに気付かずぶつかってしまった。
「おっと……大丈夫か?」
「ぶふっ……す、すみません……」
 慌てて離れる美咲。と、すぐ側のカフェに奇妙な人物がいることに気が付いた。
「……あれ……?」
 青い、平安貴族のような衣装を纏った男性が店内に座っている。その向かい側には高校生くらいの女子が一人。男性が目立つ格好なので周囲の客が珍しがって囲んでおり、女子高生はそれに頭を抱えているようだった。
 その様子に思い当たる節があり、美咲は隣の山鳥毛を見上げた。
「もしかして、あの人……」
 美咲の予想は当たっていた。山鳥毛が頷く。
「ああ。私の友人だ。」
 と、山鳥毛はやにわに太刀を鞘ごと抜き出し、美咲の方へ差し出した。
「えっ……」
 戸惑いながら太刀を受け取ると、サングラスをかけた山鳥毛が真っ直ぐ男性の方へと向かっていく。周辺の女性客が蜘蛛の子を散らすように逃げていくのがわかった。
「えっ、ちょ……えええええ!?」
 美咲も大慌てで店内に入っていく。案の定、男性に同伴していた女子高生が怯えた様子で山鳥毛を見ていた。
 女子高生だけではない。客も店員も、山鳥毛の風貌に恐れをなしているのがわかった。
 太刀を楽器で隠しながら、美咲はテーブルに駆け寄る。
 大事になる前に、美咲は一芝居打つことにした。山鳥毛と男性を交互に見遣って言う。
「困りますよ、休憩の途中で抜け出すなんて!」
「……うん?」
 何のことかわからない山鳥毛に、「いいから、適当に話合わせてください!」と小声で言う。
「えっ、何……」
 女子高生が今度は怪訝な目で美咲を見る。しっ!と人差し指を口に当て、美咲は店員に言った。
「ごめんなさい、今近くで撮影してて……休憩の間にうちの俳優がいなくなって、探してたんです。」
「あっ……え、俳優さんなんですか?」
「ええ、駆け出しの。」
 その説明で周囲が納得すると同時に、またざわつき始めたのを美咲は感じ取った。店員に続けて申し出る。
「あ、あの、あまり人目につくと監督とか事務所とかうるさいんで……ここ、奥にボックス席ありましたよね?そちらに移動してもよろしいでしょうか?」
「大丈夫ですよ。ご案内しますね。」
 店員はすんなり受け入れて案内してくれる。美咲はテーブルの二人に言った。
「ほら、行きましょう。」
 促されて女子高生は慌てて立ち上がり、平安貴族風の男性はゆっくりと動いた。

 ボックス席があるのを美咲が知っていたのは、以前春花に連れてきてもらっていたからだ。あの時は科学博物館で大規模な剥製の展示があった。
 奥は客も少なく、これなら人目を気にしないで済む。席につくと、店員が抹茶ラテマキアートを持ってきた。
「どうぞ。」
「おお、ありがとう。」
 山鳥毛の友人が注文したらしい。彼は美味しそうに一口飲んだ後、美咲を見た。
「……で、そちらのお嬢さんは?」
 名乗りを上げるより前に山鳥毛が口を開く。
「私の”仮の”小鳥だ。」
「こっ……!?」
 ”小鳥”と呼ばれて美咲は動揺する。恥ずかしいからやめてほしいと言っていたのに。
 注意しようとしたが、山鳥毛の友人はその一言で納得したようだった。
「そうか。よろしくな、お嬢さん。」
 にこやかに言われて美咲は頷くことしかできない。山鳥毛もそうだが、この男性も圧倒されるような美しさがあった。
「それで、首尾の方は?」
「芳しくはないなぁ。見てのとおり、本調子にはなっているが。」
 山鳥毛と男性が会話を始める。と、隅の方で女子高生が縮こまっていることに美咲は気が付いた。
 男性の”仮の主”のようだが、堅気には見えない山鳥毛に怯えているようだ。美咲は声を掛けた。
「あの。」
「はっ、はい。」
 顔を上げた女子高生に優しく微笑み、美咲は言った。
「急に押し掛けたりしてごめんなさい。あの人、見た目は怖いけど悪い人じゃありませんから、安心してください。」
「……はぁ……」
 そう言われても女子高生は納得した様子がない。美咲は気を取り直して自己紹介した。
「私は、長尾美咲といいます。」
「……鈴木琴音です。」
 警戒気味に女子高生が名乗る。美咲はメニューを取り出した。
「琴音さん、何か飲みますか?」
「いえ、私は……」
「遠慮せずに頼んでください。お騒がせしてしまいましたし、私達が払いますよ。」
「はぁ……」
 ここは社会人として面目を保っておきたい。美咲がメニューを差し出すと、琴音はしばらく考えてから指さした。
「キャラメルモカのアイスで。」
「わかりました。」
 今度は山鳥毛にメニューを見せる美咲。
「どうなさいますか?」
 すると、山鳥毛は困ったように首を傾げる。
「こういった店は慣れていなくてな。味の想像がつかない。」
 それから美咲の方を見て言った。
「君と同じ飲み物でいい。」
「……えーっと……甘いのが嫌とか、逆に苦いのが駄目とか、ありますか?」
「特にはないな。」
 一番困る「おまかせ」状態になってしまう。美咲は悩んだ末、店員を呼んだ。
「キャラメルモカのアイス一つと、チャイミルクのホットとアイス一つずつ追加でお願いします。」
「かしこまりました。」
 チャイミルクは以前春花が頼んでいたもので、一口貰ったが甘すぎず、スパイスがきいていてなかなか美味しかった。飲み物を頼み終えて一安心した美咲は、楽器と太刀を安定した角度に置き直す。
 向かいの琴音がそれに気が付いた。
「……それ……」
「えっ?」
「ギター……じゃ、ないですよね……」
 どうやら琴音は、マンドロンチェロが気になるらしい。美咲は意気揚々と説明した。
「大きさがギターくらいなので、よく間違われるんです。マンドリンってご存知ですか?」
「……小さい、丸い楽器ですよね?ピックで弾くやつ。」
「ええ。それの大きい、チェロの音域が出る楽器なんです。」
「へぇ……」
 この説明に琴音も興味を示した。美咲は鞄の中を漁り、定期演奏会のチラシを取り出す。
「よかったら、これ。演奏会は終わっちゃったんですけど、YouTubeで動画上げたりしてるんで。」
「ありがとうございます。」
 琴音は受け取ったチラシをまじまじと見る。そうこうしているうちに追加注文の飲み物が来た。
「お待たせしました。」
「ありがとうございます。」
 琴音の前にキャラメルモカを、自分の前にはチャイミルクのホット、山鳥毛の前にはアイスのチャイミルクを置いてもらう。
「それでは、ごゆっくり。」
 頭を下げる店員に一礼し、山鳥毛に声を掛ける美咲。
「どうぞ。お口に合うかわかりませんが……」
「いただこう。」
 山鳥毛は飲み物を一口飲む。
「……美味いな。」
 微笑む山鳥毛に美咲も胸を撫で下ろす。自分もカップに口を付けると、優しい甘さが染み渡った。
 一息ついて視線を上げると、また琴音が楽器を見つめているのに気が付いた。
「琴音さんも、何か楽器弾かれるんですか?」
「えっと……友達とバンドやってて、エレキギターを。」
「そうなんですか。近いうちにライブとか、あるんですか?」
「学祭に出るんですけど、まだ曲が決まってないんです。」
「あー、わかる。曲決めって難しいんですよね。うちもよく揉めたなぁ。」
 音楽という共通の話題を見付けた二人は徐々に打ち解けていく。と、ケースからガタンッという音がして美咲は首を竦めた。
「あっ……ごめんなさいね。」
 琴音に一言断り、テーブルの端を確認する。ケースの上部に手を置くと、中で楽器が跳ねたのがわかった。山鳥毛の本体が長いこと接触しているのが気に食わないと言わんばかりの跳ね方だ。
 美咲は溜息をつき、小声で楽器を宥める。
「嫌なのはわかるけど……もうちょっと我慢してよ。」
 すると、向かいからくすっと笑い声が聞こえてきた。美咲が顔を上げると、琴音が気まずそうに視線を逸らす。
「……すみません、笑ったりして。」
「いいえ。」
 美咲は笑顔で首を横に振った。
「昔から物に話し掛ける癖が直らないんです。生きているみたいに思えてしまって。」
 愛しそうに楽器を見つめる美咲に、琴音は何かを感じ取ったようだ。
「……貴女も、聞こえるんですか?」
「うん?」
「物の声みたいなの。」
 突然そう言われて美咲は戸惑う。首を横に振ると、琴音はばつが悪そうに顔を伏せた。
「……変なこと聞いて、すみません。」
「大丈夫ですよ。」
 優しく答える美咲の様子に、琴音はやっとのことで口を開く。
「……こんなこと言ったら、おかしいって思われるかもしれないんですけど……物から変な声みたいな、ノイズが聞こえてくるんです。」
「……ノイズ。」
 初めて聞く話だ。美咲は真剣に耳を傾ける。
「大体は古い物からしか聞こえないんですけど……その楽器から、わりとはっきりした声が聞こえて……」
「この子から?」
 美咲の楽器は四年前に作られたばかりの、比較的新しいものだ。琴音は頷く。
「今、貴女がその楽器に話し掛けたら、受け答えしているみたいに聞こえたから……もしかして、貴女も同じなのかと思ったんです。」
「……そうだったんですか。」
 美咲は楽器を見る。どうやら自分の声掛けは一方通行ではなかったらしい。美咲にはわからなくとも、楽器もそれに応えていたのだ。
「すいません。今の話、忘れてください。」
 頭を下げる琴音に美咲は慌てる。
「そんなこと言わないでください。」
 恐る恐る顔を上げる琴音に、美咲は正直に告げた。
「私、琴音さんのお話を聞いて安心しました。物にもそういう感情があるんだって。私には物の”声”がわからないけど、端から見て受け答えできているなら、少しはこの子のこともわかってあげられってるのかなって。」
 美咲は感謝の気持ちを伝える。
「教えてくれてありがとう、琴音さん。」
 琴音ははにかんで頷いた。

 琴音達と別れて美咲と山鳥毛は帰路につく。
「山鳥毛さん、さっきは御馳走様でした。」
 美咲が改めて礼を言うと、山鳥毛は笑った。
「お安い御用さ。そのために巣の小鳥から”あれ”を預かっていたのだからな。」
 先程のカフェで美咲が会計しようとした時、横から山鳥毛が出したのはブラックカードだった。生まれて初めて現物を見た美咲は唖然としたし、対応した店員もどこか身構えた様子だった。
「でも、未来から来た人のブラックカードも使えるなんて……」
「ちょっとした細工がしてあってな。この辺りの時代でならきちんと使えるようになっている。」
「刀剣男士はみんな、ブラックカードを持っているんですか?」
 美咲の質問に山鳥毛は苦笑した。
「どうだろう。先程会った三日月宗近に至っては、そういった金銭に無頓着だからな。」
 それはかなりまずいのでは……と美咲は思った。あのまま放っておいたら、高校生の琴音にも結構な痛手になっただろう。
「ところで、お友達の……三日月さんとは話せましたか?」
 美咲の質問に山鳥毛は頷く。
「ああ。どうやら昨日、こちらの時代に辿り着いたらしい。あのお嬢さんに協力してもらって何とかなっているようだ。」
 そこまで言って山鳥毛は深刻な顔になる。
「だが、肝心の三日月の仲間が見付かっていない。行方知れずのまま、手掛かりも掴めていないそうだ。」
「その、行方知れずの人は……」
「山姥切国広という。襤褸布を被っているから、すぐに見付かりそうなんだが……」
 名前からして行方不明の人物も刀剣男士だろう。美咲は尋ねる。
「山鳥毛さんと三日月さんは、どういった経緯で知り合ったんですか?」
「演練会場で手合わせした時に、小鳥同士が意気投合してな。その時の隊長が私と、三日月宗近だったんだ。」
 ”小鳥”というのが彼等の主だということを思い出し、美咲は続けた。
「じゃあ、三日月さんの主さんもその、山姥切さんを捜しているんですか?」
「ああ。とはいえ、小鳥達は巣から離れることができない。代わりに私達や他の巣の刀剣男士達が、この時代にやってきているというわけさ。」
「……大変ですね。」
 迷子一人を捜す感覚の美咲だったが、事は思った以上に深刻らしい。山鳥毛が険しい表情になった。
「ああ。行方不明になった経緯も、これまで聞いたことのないものだった。酒呑童子討伐の歴史改変を防ごうとした際に、得体の知れない桜吹雪に包まれて消えたのだと。」
「しゅてんどうじ……」
 聞いたことのない名前だ。美咲は立ち止まって素早く携帯電話で検索をかける。昔の京都に住んでいた鬼で、源頼光によって首をはねられたらしい。
「その討伐に使われた”童子切安綱”が、上野の博物館に保管されている。この時代の三日月宗近と共にな。」
「じゃあ、三日月さんはその手掛かりを探しに上野へ?」
「いいや。三日月の目的は自身の本体だ。本霊から力を得て、実体を確かなものにする必要があったんだ。」
 山鳥毛は自身の手を見た。存在を確かめるように、はっきりとした形の手を握ったり開いたりする。
「私は大丈夫だが、恐らく三日月の巣の小鳥は状態が良くないのだろう。審神者の力が弱まると人の身が保てなくなる。」
 その言葉に美咲は身震いした。山鳥毛が拳をぎゅっと握り込む。
「だが、それよりもっと恐ろしいのは……」
「え?」
 まだ何かあるのか。不安そうに見上げる美咲に、山鳥毛は首を振った。
「……この話はもう止めよう。」
 そこで会話が途切れる。左脇の楽器を抱え直し、美咲は唇を引き結んだ。

3件のコメント

とある隠居

とても面白かったです。
映画の登場人物が出てくるの最高でした!
一つ、とても気になっているところがあります。最後のメールの相手、もしかして…ですよね!?

返信
銀扇

ありがとうございます!
どうにかして映画の登場人物(特に琴音ちゃん)と会話させたい一心で盛り込みました。

美咲のメール相手(旦那さん)、ご想像の通りでございます(*´ω`*)
実は、仮の主二人が記憶を消された後の話も頭の片隅で展開されていたりします。
刀剣男士がほぼ絡まなくなるのと、長くなってしまうので今回割愛してしまいましたが、つまりはそういうことになります。

返信
とある隠居

お返事ありがとうございます、作者様。
ああ、やはり…!それを聞いてさらにハッピーハッピーハーッピー(最近の猫ミームのアレ)になりました😂!
ふせったーも読ませて頂きました。そういう裏話大好きなのでとても興味深く拝読しました。本当に細かく設定を作り込まれていると感心致しました。
素敵な小説をありがとうございます。

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