琵琶の縁 - 5/18

 時を同じくして、東京都千代田区霞が関。
 公安調査庁に、一人の公安警察の男が呼び出されていた。
 仏頂面の男が通された部屋には、スーツに身を固めた重役と、その場に似つかわしくない派手な白ジャケットに金髪の人物がいた。
「お連れしました。こちらが、公安警察の……」
「國井誠。」
 案内人が紹介するより前に名乗りを上げる男は、公安でもはみ出し者と煙たがられている若者だった。
 男の名前を聞き、金髪の人物が目を細める。
「ほう。國井誠……か。」
「偽名だ。」
 ぶっきらぼうに答えられても、金髪の人物はにやにや笑いを止めない。赤い扇子を口元にあて、楽しげに尋ねる。
「僕のことは聞いているな?」
「一文字則宗。”新撰組始末記”に沖田総司が所有した”菊一文字則宗”の記載あり。金一万両の名刀で人斬りとして使うことを躊躇われたが一度だけ新撰組隊士の仇討ちに使われている。沖田の死後、姉の手により神社に奉納されたと言われるが子細は不明。」
「……それは資料に載せた内容と異なりますが。」
「あんなもん信じられるか。」
 吐き捨てるように言われて案内人が顔をしかめる。一方の”一文字則宗”は興ありげな声を出した。
「ほーう、よく調べてるじゃないか。」
「来歴のあやふやな刀が人間の姿して未来からやってきました?公安調査庁ともあろうものが、偽どころか空想の話に踊らされて、公安警察にまで呼び出し掛けて……」
 嘆かわしいと首を振る誠の眼前に、銀色の切っ先が突き付けられた。
 これには誠も口を噤む。則宗の抜刀に気付くことができなかったのだ。
(……こいつ、いつの間に……)
「来歴があやふやでも、刀は刀だ。せっかくの機会だし、じっくり見たらどうだ?」
 則宗は変わらず楽しそうに笑っている。誠は内心動揺しながらも、視線を逸らさず言った。
「結構。狭い部屋で物騒なもん振り回されても困るんでね。」
「つれない坊主だなぁ。」
 片眉を吊り上げ、則宗はゆっくり納刀する。誠は則宗の背後に控えている重役に言う。
「で、俺にこの得体の知れない奴の護衛をしろって?」
「護衛ではない。特命任務だ。」
「……は?」
 怪訝そうな顔をする誠。礼節のなっていない誠に遺憾の溜息をつきながらも、重役は続けた。
「一文字則宗の所属する機関--”時の政府”から、現代に出現した時間遡行軍の殲滅ならびに刀剣男士”山姥切国広”の確保を命じられている。」
「資料に書いてあっただろう?」
「いや、だって……こいつと一緒に?」
 則宗を指さす誠に重役は頷く。
「任務遂行のために”時の政府”から公安に派遣されたのが、一文字則宗だ。この時代の者がバディに必要との要請を受けて、君を呼んだ。」
「そういうわけだ。よろしくな、坊主。」
 にこやかに告げる則宗に、誠はがしがしと頭を掻く。
「おいおい……平成に刀持って歩いてる奴がいたら職質どころの騒ぎじゃ済まねぇぞ。」
「心配するな。僕だってその辺は弁えているさ。」
「……まあ、その何とか軍がライフルで狙撃でもしてきたら一発だろうがな……」
「時間遡行軍がライフル狙撃?僕を?」
 則宗がひらひらと手を振る。
「奴さんがそんな真似できるわけなかろう。火縄銃装備の刀装兵を作ることしかできん連中だぞ。」
「……何言ってんだかさっぱりわかんねぇ……」
 ぼやく誠に構わず「まあ、ピストル辺りでは怪しいもん顕現させてたみたいだがな……」と則宗が呟く。
 重役は咳払いを一つして言った。
「とにかく、君には一文字則宗と共に特命任務に当たってもらう。内閣府も関わる事態だ。失敗は許されない。」
「失敗したら首が飛ぶどころじゃないだろうなぁ。うははは!」
 豪快に笑い飛ばす則宗に、誠は心底嫌そうな舌打ちをした。

 都内の病院の一室。緊急搬送された春花が横たわる傍らに、美咲と山鳥毛の姿があった。
 あれから様々な検査をしたが、倒れた原因は不明だ。心拍も血圧も正常だというのに、春花は依然として動かない。
「春ちゃん……」
 変わり果てた親友の姿に美咲は愕然とする。明るくて人懐っこい性格の春花は皆に好かれており、文字通り春の花のように朗らかな人だった。こんな、生気のない顔は今まで見たことがない。
「どうして……何でこんなことに……」
 涙ぐんで俯く美咲。と、携帯電話がポケットから滑り落ちる音で我に返った。
「あっ……」
 落ちた拍子に開いた画面。そこに表示された通知に、美咲は我が目を疑った。
「え……?」
 慌てて携帯電話を拾い、美咲はネットニュースを確認する。そこには有名企業が突如倒産し、従業員が行き場を失ったという記事が載っていた。春花の勤め先だ。
「そんな……」
「どうかしたのか?」
 山鳥毛に画面を見せ、説明する美咲。
「春ちゃんの就職先、倒産しちゃったって……社長が夜逃げして、五百人以上の従業員が急に仕事を失って……」
「つまり、美咲の友人も路頭に迷う羽目になったと?」
 頷く美咲。同じ無職だが自分と春花とでは状況が違う。美咲は仕事ができなくなって退職したが、春花は突然仕事先がなくなったのだ。退職金も保証もなく、いきなり外に放り出されたことになる。
「春ちゃん、これがショックでこんなことに……」
 そう思ったが、美咲にはどこか引っかかる部分があった。
 春花は底抜けに明るい。もし勤め先が倒産しても、「しょうがないよね」とカラカラ笑って次に進みそうな性格をしている。自分のようにネガティブでうじうじしている人間ならともかく、ポジティブの塊のような春花がなぜこんなことになったのか。
「ふむ……」
 山鳥毛は顎に手を当てて考える仕草をする。と、隣のベッドから看護師のひそひそ声が聞こえてきた。
「ねえ、聞いた?今日だけでもう五人だって。」
「原因不明の意識消失?あれ、昨日今日で急に増えたよね。」
「ねー。うちもだけど、他の病院も受け入れが難しくなってきてるみたいで……」
 美咲ははっとしてSNSの画面を開く。「突然倒れた 原因不明」と検索すると、多くのコメントがヒットした。
[どうしよう、お母さんが倒れた……病院で見てもらったけど原因不明って言われたし、突然の出来事で不安です。]
[職場の上司が突然倒れたんだけど……救急車に付き添ってた人が、原因不明って言われたらしい。]
[やばい、コンビニで買い物してたら目の前で突然人が倒れた。原因不明っぽい。]
[原因不明の病で突然倒れたって話、ここ数日で急に聞くようになったよね?]
「春ちゃんだけじゃない……?」
「ん?」
 顔を上げた山鳥毛に、美咲は再度画面を見せる。
「ネットで調べたんですけど、春ちゃんみたいな症状で急に倒れる人が増えているみたいで……」
「……何か関係がありそうだな。」
「え?」
 山鳥毛は深刻な顔をしていた。
「私がこの時代に来たのは、友人の仲間を捜すためなんだ。不審な失踪をしたらしい。」
「それって、今回の件と何か関係があるんですか?」
「確証は持てないが……そんな気がするんだ。」
 その時、何の前触れもなくカーテンが開き、看護師が姿を見せる。
 ぎょっとする美咲に看護師は言った。
「あの、すみませんけど通話は休憩室でお願いします。」
 そういえば山鳥毛の姿も声も、他の人間にはわからないのだった。携帯で話しているのだと思われたらしい。
「あ、はい……すみません。」
 いそいそと荷物を回収し、その場を去ろうとする美咲。
 ふと、視界の端に春花のマンドラが映った。置き去りにするわけにもいかず一緒に持ってきたはいいが、この後の処遇を考えていない。
「あ、あの……」
「はい?」
「これ、友達が搬送された時に一緒に持ってきたんですけど……」
「えーと……」
 そこそこ大きな楽器を看護師は持て余しているようだった。美咲は申し出る。
「私が預かっていてもいいですか?」
「……工藤さんのご友人なんですよね?」
「はい。」
「じゃあ、念のためお名前と連絡先だけ教えてください。」
 看護師に促され、差し出されたメモ帳に名前と携帯電話番号を書く。
「それじゃあ、後はお願いします。工藤さんのご家族が到着したら、お伝えしておきますので。」
「はい。よろしくお願いします。」
 春花の両親は山梨に住んでいて、こちらに向かっているが到着まで時間が掛かる。美咲は春花の楽器を右手に持ち、病室を後にした。

「手伝ってやれなくてすまない。」
 駅に向かう道中、不意にそう言われて美咲は面食らう。
「へ?」
 山鳥毛は美咲の右手にある楽器ケースを示した。
「持ってやりたいのは山々なんだが……」
 姿を隠している山鳥毛が楽器を持てば、傍目には宙に浮いて移動しているように見える。そうなれば大騒ぎになるだろう。
 申し訳なさそうな山鳥毛に美咲は笑顔で返した。
「大丈夫ですよ。ありがとうございます。」
 楽器の運搬は慣れっこだ。それに、美咲も春花も軽量ケースに楽器を入れている。そこまでの負担にはならない。
「それより、こちらこそごめんなさい。」
「何のことだ?」
 今度は山鳥毛が目を丸くする。美咲はばつが悪そうに言った。
「私の用事が終わったら、山鳥毛さんのお友達に会いに行く約束だったのに……こんなことになってしまって……」
 辺りはすっかり暗くなっている。山鳥毛は笑って首を振った。
「気にするな。また日を改めて捜せばいい。」
「でも、もしお友達が山鳥毛さんのことを捜していたら……」
「それはないと思うぞ。何せ器が大きすぎる御仁だからな。気儘にその辺りを彷徨っているだろう。」
 そんなものなのだろうか……と美咲は首を捻る。ふと、山鳥毛の視線が楽器ケースの根付けを捕らえた。
「……君達も、仲が良いのだな。」
「え?」
「同じ根付けをしているだろう?」
「ああ、これですか。二人で江ノ島に行った時に買ったんです。」
 美咲がサークルで片思いしていた先輩に振られて落ち込んでいた時、春花は江ノ島まで連れて行ってくれた。その時に江ノ島神社へ参拝して買った弁財天の根付けを、二人共自前の楽器ケースに付けていた。
『美咲に見向きもしないなんて、その男見る目がないよ。次行こう、次!』
『知ってる?弁財天って、独り身の女の人には優しいんだよ。』
『琵琶のお守りだ!芸能上達って、うちらにぴったりじゃん!』
 楽しかった思い出がよみがえってくる。急に不安がぶり返してきて、美咲はぎゅっとケースの取っ手を握り込んだ。
「春ちゃん……元に戻れるのかな……」
「原因を取り除けばきっと大丈夫だ。それまで、その楽器を守ってやりなさい。」
 山鳥毛に優しく言われ、美咲は頷く。
「……はい。」
 それからふと、楽器を買った時のことを思い出した。同じ時期に注文していたとは気が付かず、偶然春花と同じ工房に製作を依頼していたのだ。一緒に工房に置かれていた時期もあっただろう。
 右手に持っている、春花の楽器に向かって呟く。
「春ちゃんとは離ればなれになっちゃうけど、兄弟が一緒だから寂しくないよ。」
 僅かにカタン、とマンドラが揺れた気がした。山鳥毛が興ありげな表情になる。
「兄弟……」
「あっ……この子達、同じ工房の人に作ってもらったんです。」
「なるほど。」
 春花の楽器ケースを見る山鳥毛の目は優しい。
「私達のように、一家が揃う状態はなかなかないのだな。」
「はい……え?」
 返事をしかけて美咲は目をぱちくりさせる。そんな様子に山鳥毛が説明をした。
「ああ、私のいる巣では、一文字一家が揃っているんだ。」
「いちもんじいっか……」
 家族というよりはその筋っぽく聞こえるのは気のせいだろうか……と美咲が考えていると、山鳥毛は遠い目をする。
「今頃、翼や子猫達はどうしているだろうか。ご隠居や姫に弄ばれていないといいのだが。」
「…………」
 奇妙な単語が聞こえてくるが、やはり家族というよりその筋の”一家”らしい。
「えっと……皆さん、お元気だといいですね。」
 あまりに馴染みのない世界に対して、美咲はそんなことしか言えなかった。

3件のコメント

とある隠居

とても面白かったです。
映画の登場人物が出てくるの最高でした!
一つ、とても気になっているところがあります。最後のメールの相手、もしかして…ですよね!?

返信
銀扇

ありがとうございます!
どうにかして映画の登場人物(特に琴音ちゃん)と会話させたい一心で盛り込みました。

美咲のメール相手(旦那さん)、ご想像の通りでございます(*´ω`*)
実は、仮の主二人が記憶を消された後の話も頭の片隅で展開されていたりします。
刀剣男士がほぼ絡まなくなるのと、長くなってしまうので今回割愛してしまいましたが、つまりはそういうことになります。

返信
とある隠居

お返事ありがとうございます、作者様。
ああ、やはり…!それを聞いてさらにハッピーハッピーハーッピー(最近の猫ミームのアレ)になりました😂!
ふせったーも読ませて頂きました。そういう裏話大好きなのでとても興味深く拝読しました。本当に細かく設定を作り込まれていると感心致しました。
素敵な小説をありがとうございます。

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