都内でマンドリンの弦が手に入る楽器屋は複数あるが、専門店は二つしかない。そのうちの片方が美咲の行きつけで、電車を乗り継いで向かう。
最寄り駅で山鳥毛の分の切符を買おうと券売機の前に立った時、駅員に声を掛けられた。
「……ちょっとすみません。」
ぎょっとして振り向く。そういえば山鳥毛は”本体”を腰に提げたままだ。
案の定、駅員は美咲ではなく背後の山鳥毛を見ていた。
「お客さん、それ……」
「あっ、あの!これは……」
何とか誤魔化そうとする美咲を、山鳥毛が片手で制す。
「任せておきなさい。」
「えっ、いや、だって……」
危険物持ち込みで、下手をすれば通報されてしまうのでは……と心配する美咲の目の前で、山鳥毛はサングラスを外した。
表れたのは、焔のように赤い瞳。彼の目を直に見たのは初めてのことだった。
整った顔立ちも相俟って、美咲は見とれてしまう。と、自分以上に駅員がぽけっとしていることに気が付いた。
「……あ、あれ……?」
美咲が首を傾げていると、山鳥毛はサングラスを胸ポケットに掛けて歩き始めた。
「もう大丈夫だ。行こう。切符も買わなくていいぞ。」
「えっ、あ……」
慌てて山鳥毛の後を追う美咲。改札機の前で先に行くよう促され、戸惑いながらもICカードを使って通る。
その後ろを山鳥毛が悠々と通り、二人は駅に入った。美咲はホームへ向かいながら、小声で尋ねる。
「……あ、あの、何をしたんです?」
「なに、ちょっとした小細工をしたまでさ。」
悪戯っぽく笑う山鳥毛は、ともすれば少年のように見える。と、美咲はそれまで向けられていた視線がまるでなくなっていることを感じ取った。
「……?」
不思議そうにきょろきょろと辺りを見回す美咲。山鳥毛はくすくす笑って種明かしをした。
「今、君以外に私の姿は見えていないんだ。」
「……えっ!?」
驚いて叫ぶ美咲に、再度視線が集まる。山鳥毛は唇に人差し指をあてた。
慌てて口を押さえる美咲に、山鳥毛は説明する。
「軽い神通力みたいなものさ。長く生きていると、多少はそういう力も使えるようになる。」
そういえば、前の主は武将だったと言っていた気がする。美咲は黄色い点字ブロックの手前で立ち止まり、携帯電話を取り出して文字を打った。
[山鳥毛さんは、何年生まれですか?]
画面をさりげなく山鳥毛に見せると、彼は首を捻った後にこう答えた。
「具体的な年号は覚えていないが、いわゆる”戦国時代”の生まれだ。」
「…………」
美咲はあんぐりと口を開ける。嘘を言っているようには見えないが、何百年も経ているのにこの美しい見目を保っている彼は、”神”に近い何かなのだろう。
「この時代の私はまだ岡山の県立博物館に寄託されていて、あまり広く知られていなかった頃だ。」
「博物館……」
美咲の呟きは走ってきた電車にかき消された。車両に乗り、いつものように反対側のドアの手摺り付近に楽器を置いて縮こまりながら、美咲はまた文字を打つ。
[じゃあ、これから先の時代、山鳥毛さんは広く知られるようになるんですね?]
「ああ……歴史が変わらなければ、な。」
意味深な発言に美咲は顔を上げる。山鳥毛の紅目(べにめ)が、流れていく車窓の景色を物憂げに見ていた。
「この時代に、何か良からぬ動きがあるんだ。それを阻止せねば、今後の歴史が大きく変わってしまう。」
「…………」
そういえば、山鳥毛の発言には不自然な点がある。美咲は素早く文字を打った。
[山鳥毛さんは、この時代の人ではないんですね?]
「そうだな。私はもっと先の時代から、時を遡ってここに来ている。」
[未来人ということですか?]
「……まあ、人ではないのだが、そういうことになるな。」
山鳥毛の言葉に美咲は動揺したが、刀が人になったり得体の知れない化け物が湧いて出たりしているのだ。常識では考えられないことが次々起こっても不思議ではないだろうと思い直す。
「この時代に降り立つことはほぼ不可能だったんだが……今回は異例だ。私以外にも刀剣男士が数口、この時間軸にいる。」
[じゃあ、さっき言っていたご友人は]
「他の本丸の刀剣男士だ。この近くにいるのだと思う。」
[待ち合わせているんですか?]
「いいや。」
山鳥毛の答えにばっと顔を上げる美咲。信じられないといった顔で見つめる美咲に、山鳥毛は苦笑した。
「そういえば、君達のような”人”は通信手段がないと不安になるのだったな。」
[待ち合わせていないなら、どうやって会うんですか?]
「遡行日時も大まかな場所も聞いているし、居場所の目星はついている。なに、心配しなくても見つかるさ。恐らく相手も”仮の主”と一緒にいるだろうからな。」
”仮の主”--この山鳥毛にとっての長尾美咲が、それに当たるのだろう。
その”仮の主”の基準がわかれば、山鳥毛の友人も見つけやすくなるのかもしれない。美咲は続けて質問した。
[仮の主というのは、どうやって決まるんですか?何か外見に特徴があるんですか?]
「ふむ……」
すると、山鳥毛は顎に手を当てて考え込んでしまう。
不思議そうに首を傾げる美咲に、彼は首を振った。
「私にもよくわからない。その友人がどういった特徴の相手を仮の主に選ぶのかも、検討がつかない。」
[じゃあ、どうして私なんか]
「美咲、『私なんか』と自分を卑下するのはよしなさい。」
急に注意されて美咲はまごつく。山鳥毛はもうしばらく考えてから、答えを出した。
「ただ、もし相手が同じような基準を持っているとしたら……恐らく私達の巣の小鳥--”審神者”と同じ素質を持つ者を”仮の主”として選ぶだろう。」
聞いたことのない単語だ。携帯電話で「さにわ」と打つと、変換で「審神者」と出た。
「神を審判する者」とは、一体どのような者だろう。美咲が考え込んでいると、山鳥毛が説明してくれた。
「”審神者”というのは元来、降霊術で降りたものが神なのか怪異なのかを見定める者、あるいは神事での琴の奏者という意味があった。そこから転じて、物に宿る付喪神を決起する能力を持つ者を示すようになったんだ。」
聞き慣れない言葉を連ねられて美咲は目を白黒させる。よくわからないが、超能力者のことらしい。
だが、そう考えるとますますわからない。自分は何の変哲もない一般人で、超能力など持っていないのだ。
[私にそんな力はありません。]
と打つ美咲に、山鳥毛は告げる。
「私を顕現させることができたんだ。君には審神者の才がある。それに……」
山鳥毛の視線が、美咲の抱える楽器ケースに向けられる。
「審神者というのは総じて、物を大切に扱う人間だ。」
「…………」
そんなことを言ったら、自分が所属してきた楽団の人間全員がそうなるのでは……と思ったが、美咲は言葉にしなかった。
[何となくはわかりました。]
そう打ったところで乗り換え駅に到着する。美咲は楽器を肩に掛け、山鳥毛に目配せして電車を降りた。
そこから別の電車に乗り継いで辿り着いた楽器屋で、美咲はマンドロンチェロの弦を一揃え買った。決して安い消耗品ではない。
弦の張り替えを申し出た店員に楽器ケースを渡すと、彼は首を捻った。
「おっかしいなぁ。だって一週間前に張り替えたばかりでしょ?」
「え、ええ……」
「まぁ、おたくの団体って結構大変な大曲やったりするから、本番で磨耗しちゃうのかね。」
「……そうかもしれないですね。」
もう、その大曲を弾くこともないだろう。美咲が後ろ暗い気持ちになっていると、ケースを開けた店員が呆然とした。
「……えっ、G線も切れてる……」
G線はA線より二段階太く、マンドロンチェロのような大型楽器になればまず切れない弦だ。店員は苦言を呈した。
「これさぁ、ピックの当て方が悪いんじゃないの?あんまり変な持ち方してると、楽器の音にも変な癖付いちゃうよ。」
「はい……すみません。」
「あと、チューニングで間違えて隣のペグ(弦を巻き取るネジのこと)回しちゃうのもよくあるミスだから、気を付けないとね。そんなことしたら楽器にも負担掛かっちゃうし。」
「はい……」
萎縮する美咲に構わず、店員は手際よく弦を張っていく。それからいつものように楽器の点検を始めた。
その間、山鳥毛は店内を珍しそうに眺めて歩き回る。特にヴィンテージマンドリンの前では、熱心にガラスケースの中を覗き込んでいた。
美咲はケースを見るふりをして山鳥毛の隣に並ぶ。電車に乗った時と同じように、携帯電話に文字を打って見せた。
[気になりますか?]
「ああ。ここにある楽器はどれも丹誠込めて作られた逸品だが、これは特に惹かれるものがあるな。」
山鳥毛が見つめる先にあるのは、1924年製のカラーチェマンドリンだ。美しい螺鈿細工がホールや指板、ヘッドに施されている。木材は深い飴色に変色し、長年大切に保管されてきたことを物語っていた。
[やっぱり、山鳥毛さんにもわかるんですね。]
「わかる……とは。」
[その楽器は、マンドリン製作の第一人者が作ったものなんです。業界では一番有名な高級銘柄です。]
美咲は中の札を指さし、小声で製作者の名前を口にする。
「カラーチェ。」
(ラファエレ・カラーチェ…1863年12月29日~1934年11月14日。イタリアのマンドリン製作者)
すると、山鳥毛は納得がいったように頷いた。
「なるほど。巨匠がいるのは、古今東西どこの国のどの物でも変わらないのだな。この銘柄は、私達でいうところの”三条”のようなものか。」
「三条?」
美咲が思わず声に出すと、店員が顔を上げた。
「長尾さん、何か言いました?」
「いっ、いえ、何も。」
慌てて誤魔化す美咲。それから携帯電話に文字を打った。
[刀にも、そういった銘柄があるんですね。]
「ああ。”刀派”といって、刀工ごとに特徴がある。私が待ち合わせている刀剣男士も、三条の刀派だ。」
「へぇ……」
小声で相槌を打つ美咲。しばらく隣でじっと楽器を眺めていると、店員が声を掛けてきた。
「はい、終わりましたよ。」
「ありがとうございます。」
楽器の納められたケースを、美咲は慎重に受け取る。
「今はチューニングしてあるけど、定演終わったばかりならすぐに緩めてあげた方がいいかもね。」
「はい。」
「あと、これから乾燥するから、ダンピット(細長いゴムの中にスポンジが入った保湿剤。水に浸けて吸水させてから使う)入れときなよ。できたら他の湿度調節材も併用してあげてね。」
「はい。」
「それじゃあ、どうも。まいどあり。」
店員に見送られ、美咲と山鳥毛は楽器屋を後にする。駅に向かう間、山鳥毛の横顔を見て美咲は言った。
「山鳥毛さん、嬉しそうですね。」
「ああ。あの楽器達はとても幸せそうにしていたからな。」
山鳥毛の視線が美咲と、美咲の左肩に掛かっているケースに向けられる。
「君の楽器と同じように。」
すると、美咲の歩みが止まってしまった。山鳥毛も足を止め、美咲に問いかける。
「どうした?」
「……私……この子のこと、幸せにできてないです……」
思い詰めた顔でケースの紐を握る美咲。山鳥毛は微かな戸惑いを見せた。
「なぜ、そんなことを言うんだ?」
「だって……私、楽団から逃げて……この子のローンだって残ってるのに、仕事も辞めちゃったし……」
次第に涙声になっていく美咲。と、俯く彼女の頭に、大きな手が置かれた。
驚いて顔を上げると、山鳥毛が優しく微笑んでいる。
「借金をして刀を買う者もいる。それに、この時代で刀は振るわれていなくとも、大切に保管されている。」
「……私、ちゃんとローン返せるかな……ちゃんと楽器、保管できるかな……」
独り言のように呟く美咲に、山鳥毛は力強く頷いた。
「できるさ。美咲なら大丈夫だ。」
そう言われると不思議と心が軽くなる。美咲は涙を拭いて言った。
「山鳥毛さん、ありがとうございます。」
少し照れたように笑って首を振る山鳥毛。と、彼の肩越しに、美咲は見覚えのある姿を見付けた。
「……あれ?」
それに気が付いた山鳥毛が美咲の視線を追う。
「どうかしたのか?」
「いえ、ちょっと……」
駅に向かう階段の踊り場。美咲よりも少し小さい楽器のケースを傍らに置き、佇む後ろ姿があった。
「……?」
美咲は階段を数段上り、ケースに付いているストラップを確認する。自分の楽器ケースについているものと同じ、琵琶の根付けが見えた。
「やっぱり、春ちゃんだ。」
「知り合いか?」
後を追ってきた山鳥毛に、美咲は嬉しそうに答える。
「工藤春花さんです。同じ楽団の隣のパートで、仲良くしてもらっていたんです。」
学生時代から同じ楽団に所属している、美咲の親友だ。中音のマンドラテノールのパートで、学生の頃から一緒に出掛けたりしていた。
「春ちゃんも楽器の点検に来てたのかな……春ちゃん!」
美咲は手を挙げて春花に呼び掛ける。が、春花は突っ立ったまま微動だにしない。
「……あれ?」
「人違いじゃないのか?」
山鳥毛に言われて美咲は首を捻る。
「そんなこと、ないと思うんですが……春ちゃん?」
名前を呼びながら美咲は階段を上っていく。と、糸の切れた傀儡のように、春花の体がぐにゃりと崩れた。
「!?春ちゃん!!」
階段を駆け上り、倒れた女性を抱き起こす美咲。顔を確認すると、確かに工藤春花本人だった。
だが、美咲の知っている春花の顔付きとはまるで違う。虚ろな目は焦点が合っておらず、口も半開きで反応がない。
「春ちゃんっ!春ちゃんしっかりして!春ちゃん!!」
突然の出来事に美咲が金切り声を上げても、春花は無反応だった。代わりに、声を聞きつけた通行人が駆け寄ってくる。
「どうかしましたか?」
「っ、春ちゃん、友達が!いきなり倒れて、反応がなくて……っ!」
「お、落ち着いて!今、救急車を呼びますから!」
半狂乱の美咲を見て、声を掛けてきたスーツの男性も大慌てで携帯電話を取り出す。通報している横で美咲はなおも取り乱していた。
「何で、どうしよう……春ちゃん……」
そんな美咲の肩に、山鳥毛が手を置く。
「美咲。慌てるな。」
「でっ、でも、春ちゃんが……!」
泣きじゃくる美咲に、山鳥毛は言い聞かせる。
「今、助けを呼んでもらっているのだろう?あとは任せるしかない。」
男性が電話を切って美咲に言う。
「救急車、もうすぐ来ますからね。」
「……はい……」
洟をすすりながら返事をする美咲。男性はおどおどした様子で、どこか別のところに電話を掛けている。
山鳥毛は美咲の横に膝をついた。
「もう大丈夫だ。あとは助けが来るのを待とう。」
ぐずぐず泣きながら、美咲は山鳥毛に聞く。
「山鳥毛さん……一緒に、来てくれますか?」
「もちろんだとも。姿は隠したままだが、君と一緒にいる。」
「……ありがとう、ございます……」
涙を拭いながら礼を言う。
この時、男性が怪訝な表情で山鳥毛を見ていたことに、美咲は気付いていなかった。
とても面白かったです。
映画の登場人物が出てくるの最高でした!
一つ、とても気になっているところがあります。最後のメールの相手、もしかして…ですよね!?
ありがとうございます!
どうにかして映画の登場人物(特に琴音ちゃん)と会話させたい一心で盛り込みました。
美咲のメール相手(旦那さん)、ご想像の通りでございます(*´ω`*)
実は、仮の主二人が記憶を消された後の話も頭の片隅で展開されていたりします。
刀剣男士がほぼ絡まなくなるのと、長くなってしまうので今回割愛してしまいましたが、つまりはそういうことになります。
お返事ありがとうございます、作者様。
ああ、やはり…!それを聞いてさらにハッピーハッピーハーッピー(最近の猫ミームのアレ)になりました😂!
ふせったーも読ませて頂きました。そういう裏話大好きなのでとても興味深く拝読しました。本当に細かく設定を作り込まれていると感心致しました。
素敵な小説をありがとうございます。