翌朝。
窓の外から鳥の鳴き声がして、美咲は目を覚ました。この辺りを縄張りにしている雀か何かだろう。朝は大体、この声で起こされる。
いつもなら丁度良い目覚ましなのだが、今日ばかりは早くから鳴かれると困る。
「う~ん……もうちょっと、寝かせて……」
一人呟く美咲。と、かちゃりと金属の触れ合う音がした。
「……?」
ぼやけた視界で音のした方を見る。窓辺に誰かがいた。
「すまないが、もう少し静かにしてはくれないだろうか。こちらの小鳥が起きてしまう。」
男の声で、喚いていた雀の声が止まった。
「協力感謝する。」
そう言って窓を閉めたのは、灰白色の髪を整えた白いジャケットの--
「……ひっ!?」
美咲はがばっと飛び起きる。窓辺にいた山鳥毛が、驚いて振り向いた。
「……起こしてしまったか。」
申し訳なさそうに言う男は、昨晩拾った太刀を腰に携えている。あれは夢ではなかったというのか。
「な、何……なんっ……」
後ずさろうとした美咲を激しい頭痛が襲う。思わずうずくまると、山鳥毛が駆け寄ってきた。
「大丈夫か?」
「……頭……痛い……」
起立性低血圧で前失神を起こしている。美咲の訴えに、山鳥毛は辺りを見回す。
「少し待っていなさい。」
そう言ってその場を離れると、すぐさまコップに水を注いで持ってきてくれた。
「水分不足も一因だろう。ゆっくり飲みなさい。」
そういえばあまり水分をとっていなかった。美咲は渡されたコップから、水を一口飲む。
少し落ち着いてきて、美咲は礼を言った。
「ありがとうございます……」
美咲からコップを受け取り、山鳥毛は優しく告げる。
「まだ朝も早い。もう少し眠るといい。」
そう言われて美咲は素直に横になる。ああ、きっとまだ寝ぼけて夢現の状態なのだ。
次に起きたら今度こそ、一人きりの一室に戻っているに違いない。それは少し寂しい気もするが……美咲はすぐに眠りの中へと戻っていった。
……が。
「おはよう。」
数時間後に目を覚ますと、男がまだ部屋にいた。
美咲は目を覆う。昨晩の光景がいよいよ夢ではないと確信し、計り知れない恐怖が襲ってきた。
「まだ頭が痛むのか?」
不安そうに顔を覗き込む山鳥毛に、美咲は言う。
「だ、大丈夫です……ちょっと、思考の整理をしているだけなので……」
とりあえず深呼吸して心を落ち着かせる。冷静になって気が付いたのだが、昨日は敷かれていなかった布団の上で、着の身着のまま眠っていた。
「あれ?お布団……」
「ああ。勝手ながら用意させてもらった。」
「えっ!?」
美咲はまた血の気が引くのを感じた。初対面の男に布団の用意をさせてしまった上に寝かしつけられていたのだ。
「あっ、あああ……ごめんなさい、そんな……!」
狼狽する美咲に、山鳥毛はくすっと笑う。
「居候させてもらっているんだ。これくらいはさせてくれ。」
「あっ、あ、えっと……すみません、ありがとうございます……」
頭を下げる美咲に、山鳥毛は優しく「どういたしまして。」と応えた。
時計を確認すると、もう正午近くになっていた。美咲は山鳥毛に尋ねる。
「ご飯、まだ食べてないですよね?」
「ああ。」
それなら腹も空いているだろう。美咲は慌てて布団から出た。
「じゃあ、軽く何か作ります。山鳥毛さんはその辺でくつろいでて……」
布団を畳もうとすると、すかさず山鳥毛が横入りして掛け布団を取り上げる。
「片付けは私がやっておこう。美咲はその間に支度をしてくれ。」
「えっ?でも……」
躊躇う美咲に、山鳥毛が微笑む。
「巣を整えるくらい、お手の物さ。任せてくれ。」
”巣”と言われて一瞬きょとんとしたが、美咲は頷いた。
「……では、お言葉に甘えて……」
その場を離れ、美咲は台所へ向かう。傍らの冷蔵庫からベーコンと卵を取り出し、フライパンで焼く。平行してパンを二枚トーストし、二人分のベーコンエッグトーストを用意した。
皿に盛って居間へ向かうと、片付けてあったテーブルがもう用意されていた。行儀良く座る山鳥毛の前に、美咲は皿を置く。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
手を合わせて食事をする所作も優雅だ。美咲は見とれて、味もよくわからずトーストをかじっていた。
食べ終えた山鳥毛は「ごちそうさま。」と再び手を合わせ、美咲に問いかける。
「ところで、今日は何か予定があるのか?」
「え?ええと……弦を買いに行こうかと。」
美咲は楽器に目をやる。もう弾くこともないとはいえ、不完全な状態で置いておくのは忍びない。マンドリン専門店は点検もしてくれるので、ついでにそれも依頼するつもりだ。
「そうか。では、お供しよう。」
言いながら皿を片付ける山鳥毛に、美咲は目を瞬かせる。
「え?山鳥毛さんも一緒に?」
「そうだ。」
美咲の心臓がきゅっと縮む。こんな、明らかに堅気ではない男を行きつけの楽器屋に連れて行ったら、顔馴染みの店員に何と言われるかわからない。
「あ、あの、お構いなく……お休みになられても……」
できれば家から出てほしくないという美咲の心情を余所に、山鳥毛はにっこり笑った。
「本音を言えば、行きたい場所があるんだ。君の用事が終わったら、連れて行ってほしい。」
「…………」
引き吊った笑みを浮かべる美咲。すると、山鳥毛は少し困った様子を見せた。
「駄目だろうか……友人との約束があるんだが。」
「ご友人……ですか……」
”刀剣男士”の友人というのは、如何なるものだろうか。こんな風に厳つい見目の者ならさぞ目立つだろう。
だが、厳つい見目に反して山鳥毛は悲しそうな声を出す。
「……駄目か?」
その様に美咲は折れてしまった。
「……わかりました。」
やっとのことで頷く美咲を見て、山鳥毛は笑顔になった。
「頼みを聞き入れてくれてありがとう。すまないが、今しばらく頼む。」
その後、美咲がシャワーを浴びて着替えている間にも山鳥毛は大人しく居間で待っていた。
身支度を整えて部屋のドアを開けると、待ち構えていたように中年の男が階段を駆け上がってくる。
「おい、アンタ!」
乱暴な呼び掛けに美咲はびくっと身を竦ませた。この男は美咲の部屋の真下に住んでいて、引っ越してきてからというもの過剰なまでに騒音被害を訴え続けてくる。それも一因となって楽器の自主練習がやりにくくなったのだ。
「は、はい……」
「まーた夜遅くにバタバタ音立てやがって!どういうつもりだ!」
唾を飛ばしながら怒鳴ってくる男に、美咲はすっかり萎縮してしまう。
「も、申し訳ありません……」
「これ以上うるさくするなら、こっちにも考えが……」
「美咲?」
低い声に男が言葉を詰まらせる。振り向くと、山鳥毛が部屋から出てきていた。
「どうかしたのか?」
「あ……えっと……」
咄嗟に状況を説明できない美咲。一方の男はというと、山鳥毛の姿に動揺を隠せないようだった。
「……その男性は?」
「し、下の階に住んでいる人です……」
その一言で山鳥毛は察したらしい。美咲の前に進み出ると、男を見下ろした。
「私の小鳥に何の用だ?」
今までにないくらい、低く重い山鳥毛の声。男は小さく悲鳴を上げた。
「な、何でもないです……しっ、失礼しました!」
その場から走り去り、階段を転げ落ちるように逃げていく男。
「あっ!大丈夫ですか?」
心配した美咲が声をかけても聞こえない様子で、すぐさま下の部屋の鍵が閉まる音が聞こえてきた。
状況をじわじわ理解していく美咲。その筋の男を部屋に連れ込んだと思われたのだろう。
山鳥毛は短く息をついてから振り向いた。
「美咲、大丈夫か?」
「はい……えっと、ありがとうございます……?」
礼を言っていいことなのかわからないが、迷惑男を追い払ってくれたことには変わりない。美咲が頭を下げると、山鳥毛は笑って首を振った。
「大したことはしていないさ。」
それから下の階の方を一瞥する。
「ああいった輩は、君のような大人しい女性相手だとつけあがる。少しお灸を据えてやった方がいいだろう。」
「はぁ……」
これであの男が騒音被害を訴えなくなれば喜ばしいが、変な疑いは確実に持たれただろう。気まずいことこの上ない。
そんな美咲の心配を余所に、山鳥毛は階段へと向かう。
「さあ、邪魔な輩ももういない。その楽器のためにも、早く店に行こう。」
「は、はい。」
美咲は左肩の楽器ケースを担ぎ直し、慌ててドアの鍵を閉めた。
とても面白かったです。
映画の登場人物が出てくるの最高でした!
一つ、とても気になっているところがあります。最後のメールの相手、もしかして…ですよね!?
ありがとうございます!
どうにかして映画の登場人物(特に琴音ちゃん)と会話させたい一心で盛り込みました。
美咲のメール相手(旦那さん)、ご想像の通りでございます(*´ω`*)
実は、仮の主二人が記憶を消された後の話も頭の片隅で展開されていたりします。
刀剣男士がほぼ絡まなくなるのと、長くなってしまうので今回割愛してしまいましたが、つまりはそういうことになります。
お返事ありがとうございます、作者様。
ああ、やはり…!それを聞いてさらにハッピーハッピーハーッピー(最近の猫ミームのアレ)になりました😂!
ふせったーも読ませて頂きました。そういう裏話大好きなのでとても興味深く拝読しました。本当に細かく設定を作り込まれていると感心致しました。
素敵な小説をありがとうございます。