「……あえ?」
工藤春花は、だらしのない声を上げて瞬きした。
メンテナンスのために楽器屋へ行ったのは覚えているが、それからの記憶がまるでない。どういう経緯で今、病院のベッドに寝かされているのか、皆目検討もつかなかった。
しかも、膝の上には愛用のマンドラが乗せられている。
「何……どういう状況?」
辺りをきょろきょろ見回した時、どこからか悲鳴が上がった。
びくっと身を竦めると、カーテンを乱暴に開けて怪物が入ってくる。
「ひっ……!!」
状況も飲み込めないまま、それでも楽器を庇うように抱えた時、その怪物を背後から串刺しにするものがいた。
「たまゆらの彼方に……散れ!」
「グアアアアアア……!」
怪物が、黒い塵になって消える。そして姿を現したのは、長い毛皮と赤い迷彩服を身に纏った、少年だった。
「……こんな塵(ごみ)では不満か。」
何やら意味不明なことを呟いているが、春花は首をぶんぶんと横に振った。
「塵なんかじゃないよ!助けてくれたんだもん、命の恩人だよ。ありがとう!」
すると、少年は照れたように顔を背ける。
「……泛塵。」
「え?」
「この、塵の名だ。」
「恩人じゃなくてはんじん……まあ、とにかくありがとう!あと、自分のこと塵って言うの、良くないよ。凄い美形なのに勿体ない。」
「褒めても何も出ないぞ……」
ますます照れる泛塵。と、廊下から大きな物音がした。
「なっ、何?何が起きてるの?」
「粗大ゴミが害を成している。今から掃討してくるから、ここを動くな。」
それだけ告げて立ち去ろうとする泛塵に、春花が呼びかける。
「気を付けてね!」
部屋を出る直前、泛塵は微かに頷いた。
一方、都内の物流倉庫駐車場。
芝生の上で目を覚ましたトラック運転手は、起き上がって早々に心臓が縮み上がる思いをした。
「ひぃっ……」
目の前に、黒い幽霊の集団がいる。脇には事故を起こした自分のトラック。
何があったのか覚えていない。自分は交通事故で死んでしまったのだろうか?
そんなことを考えているうち、幽霊がこちらに気が付いて突進してきた。手には刃渡りの長い刃物。
「う、うわあああああ!!」
運転手が咄嗟に腕で眼前を覆った時、声がした。
「串刺しだぁ!」
「グオオオオオオォ……!」
直後に恐ろしい断末魔が響く。恐る恐る腕を退けると、目の前に長身の男が立っていた。
「はぁー、俺は突くしか能がないんだけどなぁ……」
頬をぽりぽりと掻く青年の手には、大きな槍。呆然とする運転手に、青年が気が付いて言う。
「まあ、そこでじっとしてろよ。すぐに片付けるからさ。」
にかっと爽やかに笑って、青年は幽霊集団に向かって行く。
「三名槍が一つ、御手杵!行くぞォッ!」
その様を運転手はぽかんと見送る。
彼が乗ってきたトラックのナンバープレートには、「つくば」の文字があった。
美咲と山鳥毛がビルから出ると、誠と則宗が時間遡行軍相手に戦闘を続けていた。
しかし、先程と戦況が違うのは明らかで、則宗の太刀筋は力強く正確なものに戻っていた。
「國井さん!則宗さん!」
美咲の声に則宗が振り向く。
「おお、お嬢さん無事か。良かった良かった、間に合ったんだな。」
「話してる場合か!てめぇも邪魔するくらいなら引っ込んでろ!」
怒鳴りながら自動拳銃のカートリッジを入れ替え、誠は発砲する。山鳥毛は則宗の方へと走り、援護に加わった。
「どうやら傷が治ったようだな。」
「不思議なこともあるもんだ。人の願いで、僕達が救われるとは。」
刀身を一瞬見て、則宗は時間遡行軍に本体を突き刺す。
「そういった人の”念い”こそが、私達刀剣男士の力になるのだろう。」
山鳥毛が敵の首を刎ねる。敵の数は減っているが、それでも方々から湧き出てキリがない。
「っ……ふざけんなよ、そろそろ弾切れだってのに……」
残りのカートリッジを確認し、顔を上げた誠の視界を、薄紅の小さな花弁が横切る。
「……は?」
美咲もそれに気が付き、辺りを見回した。
すると、路地付近の時間遡行軍が、次々に倒れていくのが見えた。塵になって開けた箇所から、誰かがこちらに向かって走ってくる。
「お頭!」
それも一人ではない。白い、派手なジャケットの青年が三人、ビルの前に集ってきた。
「これは……心強い。」
敵を牽制してから、山鳥毛が青年達に向き直る。
「増援、感謝する。」
「はっ。日光一文字、只今参上いたしました。」
眼鏡をかけた、長い黒髪の男性が恭しく礼をする。その横にいる、銀髪の中性的な青年が気怠そうな声を出した。
「何でよりにもよって、この面子で戦わなきゃいけないわけ?はー、だっる……」
「姫、そのようなことを言っている場合ではありません。」
「どこの日光くんだか知らないけど、その呼び方マジでやめてくんない?」
銀髪の青年はそう言いながら、背後の時間遡行軍を一瞥もせずに斬り捨てる。隣にいた、金髪の青年が何とも言えない表情をした。
「姫鶴の兄貴、どこの本丸でも性格は一緒だにゃ……」
「子猫は……極の姿か?」
”子猫”という、似つかわしくない呼び方をされたにも関わらず、金髪の青年は嬉しそうに返事をする。
「うっす、にゃ!南泉一文字、カチコミに来ました!」
「一家が揃うとは、頼もしいな。では……」
敵を見据える山鳥毛の刺青が、燃えるような朱へと変わる。
「勝つための戦、はじめるとしよう。」
福岡一文字の頭は息を吸うと、一声号令をかけた。
「一文字ィ!!」
「応!!」
則宗、日光、姫鶴、南泉がそれに応え、敵陣に突っ込んでいく。
先陣を切る姫鶴一文字が、見目にそぐわぬドスの利いた雄叫びを上げた。
「オラァ!」
優雅で強烈な太刀筋に、敵薙刀が倒れ伏す。続けざまに斬りかかってきた打刀も、一撃で切り捨ててしまった。
背後から不意打ちを食らわそうとした別の打刀の前に、日光一文字が躍り出る。
「裂帛の気合い!」
鋭い声と共に打刀を袈裟切りにすると、その後ろで姫鶴が苦々しく呟いた。
「日光くんの大声聞きながら戦闘なんて、寝覚めが悪くなりそうだ……」
そんな二振りの反対側では、極姿の南泉一文字が敵に連続で斬りかかっていく。
「うりゃあああ!真っ二つだにゃあ!」
言ったとおりに次々と真っ二つにしていく南泉を、死角から狙う時間遡行軍の太刀。
すると、周囲の敵を薙払った則宗が駆け寄り、太刀の腹を一突きした。
「修行が足らんなァ!」
則宗が快哉を叫ぶと、敵が露と消える。次々に時間遡行軍を斬り捨て、山鳥毛はついに敵の部隊長と相見えた。
「上杉の鈍如きが……この時代では広く認識されていなかったものを……」
「上杉……」
美咲は部隊長の大太刀の言葉を復唱し、気が付いた。
生まれ故郷の英雄。弱きを助けるためだけに戦をし、琵琶を愛した武将。
「上杉謙信公……!」
山鳥毛のかつての主は、美咲も知る武将だったのだ。点と点が繋がった瞬間、山鳥毛の刺青が一層赤くなった。
「平成の頃はな。だが、この先は違う。」
ふと、美咲に優しい眼差しが向けられる。
「明日の明日、そのまた先の未来で、私に会いたいと願ってくれる者がいる。」
山鳥毛は再度大太刀を見据え、本体を構えた。
「その者の”念い”に応えるために、私はこの時代を--歴史を守る!」
「抜かせ鈍がぁ!」
大太刀が勢いよく刀を振るう。山鳥毛は抜き身でそれを受け止め、弾き返した。
自分より刀身の大きい大太刀相手でも、山鳥毛は怯まない。守るべきもののために先頭に立ち、采配だけでなく刀も振るその姿は、かつての持ち主と同じだ。
激しい剣戟に火花が散り、衝力に押された大太刀がよろめく。
大太刀が気が付いた時には、山鳥毛の刀身が首筋に当てられていた。
「そら……首が飛ぶぞ!」
宣言通りに首を刎ね飛ばす山鳥毛。断末魔と共に大太刀が霧となって消え、その場にいた時間遡行軍は全て駆逐された。
ふう、と息をつき、山鳥毛は太刀を鞘に納める。他の刀剣男士も納刀する中、美咲が山鳥毛に駆け寄った。
「山鳥毛さん!」
まるで子供を迎える父親のように両手を広げ、飛び込んできた美咲を山鳥毛は抱き締める。
「美咲……」
「良かった、本当に……良かった……」
泣きじゃくる美咲を見た誠は、急に全身の力が抜けてその場に座り込んでしまった。
「っ、は~……終わった……」
「何だ、若いのに情けない坊主だな。」
「うるっせぇな……」
そう言いながら見上げた先、則宗の周りを桜の花弁が舞っていることに誠は気が付いた。則宗だけでなく、応援に来た他の一文字も桜吹雪の中だ。
「……則宗。」
「ああ、どうやら帰還の時が来たようだ。」
「はぁ!?散々暴れておいててめぇはとんずらかよ!?」
「うははははは!まあいいじゃないか、この件に関する記憶も記録も綺麗に消されて元通りの歴史になる。お前さん達は平穏無事に過ごせるってわけさ。」
豪快に笑い飛ばす則宗に、誠は舌打ちする。
「……そういや。」
「うん?」
一層強くなる桜吹雪に向かって誠が言った。
「俺の名前、偽名っつったろ。最後だから教えてやる。」
立ち上がって誠は名乗った。
「俺の本当の名前は、沖田清一郎。」
「……沖田……」
その名に則宗が目を見開く。あの少年とこの青年に遠い縁があるのかどうかは、わからないが。
驚いた顔の則宗ににやりと笑いかけ、誠は言った。
「じゃあな、金一万両の名刀--一文字則宗!」
誠の声を巻き込んだ桜吹雪が、則宗の姿と共に消えた。
山鳥毛と美咲の周囲に、桜が舞う。
「……美咲。」
「はい。」
「ここで、お別れだ。」
「……はい。」
顔を上げた美咲は、涙を堪えようと必死になっている。そんな彼女に、山鳥毛は優しく言い聞かせた。
「大丈夫だ。近い将来、必ず会えるようになる。」
「……本当ですか?」
「ああ。君が故郷の英雄を忘れない限り、私達は会うことができる。」
美咲の頬に伝う涙を、山鳥毛が優しく拭う。
「だからどうか、忘れないでくれ。謙信公のこと。そして、”物”を大切にする気持ちを。その、強く優しい心を。」
嗚咽を堪え、美咲は返事をした。
「……はい!」
山鳥毛は微笑み、美咲が抱える楽器ケースにも言う。
「美咲を、頼んだぞ。」
ケースの中で楽器がカタン、と揺れた。まるで、頷いて返事をするように。
「では、またな。」
そう微笑む姿が、桜吹雪に包まれる。整った灰白色の髪、炎のような刺青、紅色の優しい瞳。
「山鳥毛さん……山鳥毛さん!」
美咲が思わず呼び掛けると、最後に頬を撫でる感触があった。
「ありがとう、美咲……私の、可愛い小鳥。」
優しい声だけ残して、桜吹雪が空へと舞い上がる。美咲は、その空に向かって手を振った。
「ありがとう……さようなら……」
とても面白かったです。
映画の登場人物が出てくるの最高でした!
一つ、とても気になっているところがあります。最後のメールの相手、もしかして…ですよね!?
ありがとうございます!
どうにかして映画の登場人物(特に琴音ちゃん)と会話させたい一心で盛り込みました。
美咲のメール相手(旦那さん)、ご想像の通りでございます(*´ω`*)
実は、仮の主二人が記憶を消された後の話も頭の片隅で展開されていたりします。
刀剣男士がほぼ絡まなくなるのと、長くなってしまうので今回割愛してしまいましたが、つまりはそういうことになります。
お返事ありがとうございます、作者様。
ああ、やはり…!それを聞いてさらにハッピーハッピーハーッピー(最近の猫ミームのアレ)になりました😂!
ふせったーも読ませて頂きました。そういう裏話大好きなのでとても興味深く拝読しました。本当に細かく設定を作り込まれていると感心致しました。
素敵な小説をありがとうございます。