誠が階段を駆け上ってドアを開け放つ。眩い光に美咲は思わず目をきつく閉じた。
やっとのことで目を開けると、そこは渋谷区とは思えないほど静まり返った場所だった。辺りに誰もいないだけでなく、遠くの喧噪すら聞こえてこない。
「大丈夫か?」
山鳥毛に覗き込まれて美咲は気まずそうに目を逸らす。
「だ、大丈夫です。あの……そろそろ下ろしてもらっても……」
「ああ、すまない。」
言われて山鳥毛は丁寧に美咲を地面に下ろした。
「それにしても……渋谷でこんなに静かな場所、あったんですね……」
「確かにここは普段から人通りがねぇけど……それにしたって気味が悪い。」
言いながら誠は上着から拳銃を取り出す。辺りを警戒しながら、四人は再び歩き出した。
一区画過ぎても人っ子一人見付からず、さすがに美咲も不安になってきた。繁華街が一瞬にしてゴーストタウンと化したようだ。
「……どうやら、あの辺り一帯どころか日本全土の人間の”念い”を奪ったようだな。」
山鳥毛の言葉に、美咲は震え上がる。
「じゃあ、みんな春ちゃんみたいになって……」
「さっきみたいな二次災害も、全国で起きているかもしれんな。」
則宗に言われて誠が舌打ちした。
「あいつ等、全員ぶっ殺してやる……他の対処はその後だ。」
「穏やかじゃないなぁ。」
「自分の国こんなに滅茶苦茶にされて、穏やかでいる奴がどこに……」
その時。
渋谷の街に、雷鳴が轟いた。
「ひっ……!」
美咲が背後を振り向くと、落雷のあったと思われる場所に何振りもの刀剣が突き刺さっている。
「まずいな……逃げるぞ!」
則宗の号令と、刀剣が時間遡行軍に姿を変えたのは同時だった。渋谷の路地に四人と、時間遡行軍の足音が響く。
「まこっちゃん、さっきみたいな隠し通路は他にないのか?」
「そんなやたら滅法に作ってるわけねぇだろ!」
「じゃあどうしたら……」
絶望する美咲に誠が告げる。
「今からスクランブル交差点に向かう!そこで人混みに紛れりゃさすがに……」
目的地の方角を見た瞬間、誠は凍り付いた。
「嘘だろ……」
美咲、山鳥毛、則宗がその視線の先を追う。時間遡行軍が、スクランブル交差点方面からこちらに向かってきていた。
「……袋の鼠ってわけか。」
「……クソが!!」
誠はもう一つ拳銃を取り出し、背後の時間遡行軍に向けて発砲した。
左右に一丁ずつ握られた自動拳銃から何発も銃弾が飛び、時間遡行軍に命中する。
「國井さん!!」
「てめぇは下がってろ!とりあえずこっちのを片付けて……」
誠が美咲の方を振り向いた時、則宗の表情が変わった。
「誠!!」
今までにない、鋭い叫び声。再度敵陣を確認した誠の目に、現代では使われていない長筒が飛び込んできた。
「な……」
唖然とする誠に向かって、横一列に並んだ銃兵が一斉に発砲する。
避けることのできない誠を、駆け寄ってきた則宗が突き飛ばした。
「則宗さん!!」
悲鳴を上げる美咲を抱え、山鳥毛は近くのゴミ箱の影に転がり込む。地面に転がった誠は、目の前に血が滴り落ちるのを見た。自分のものではない。
「……っ……」
顔を上げた誠が見たのは、銃弾を受けて血を流す則宗の姿だった。
「……お前さん、生きてるか?」
問い掛けで我に返った誠は、バネのように飛び起きた。それから発砲準備に取り掛かった銃兵に次々と銃弾を打ち込んでいく。
「おお、威勢の良いことだ。この様子なら何の……っ」
言いかけた則宗が激しく咳き込む。口から血が飛び散った。
「てめっ、肺に弾が……!」
「なに、すぐ動けなくなる程じゃない。」
口元の血を乱暴に拭い、則宗が抜刀した。それを見て誠が信じられないといった声を出す。
「正気か!?肺が潰れたら人間じきに死ぬんだぞ!!」
「生憎だが、僕は人間じゃなく刀剣男士だ。」
それだけ告げて則宗は敵陣に突っ込む。重傷を負っているとは思えぬ動きで、敵を次々と斬り捨てていった。
「……っ!」
止められなかった誠は歯噛みし、則宗の死角を狙おうとする時間遡行軍を遠距離から撃っていく。
ゴミ箱の影では、呼吸が乱れる美咲に山鳥毛が言い聞かせていた。
「美咲、聞きなさい。今から私は則宗の援護に向かう。敵を排除しきるまで、君は近くの建物に隠れていなさい。」
「でっ、でも、則宗さんが……あのままじゃ死んじゃう……!」
泣きながら訴えると、山鳥毛の腕が美咲を包んだ。
驚いて息を呑む美咲に、山鳥毛が穏やかな声で語りかける。
「美咲は優しいな。私達のことを心配してくれているのか。」
「だって、だって……私のせいで……傷付いてほしくないのに……」
泣きじゃくる美咲の頭を、無骨な手が撫でる。
「大丈夫だ。則宗の刀身が壊れる前に、敵を全て倒せばいい。」
それから肩を掴んで向き直ると、山鳥毛は美咲の目を見て言った。
「必ず全員で生きて、この状況を切り抜けてみせる。」
「……本当ですか?」
「ああ、約束しよう。」
力強く頷く山鳥毛。美咲は洟をすすり、同じように頷いた。
「山鳥毛さん、約束ですよ。必ず皆さんで、生き残ってください。」
「ああ……さあ、行きなさい!」
タイミングを見計らい、山鳥毛は美咲の背を押す。弾かれるように飛び出し、美咲は一目散に雑居ビルへ駆けていった。
同時に山鳥毛は敵陣に飛び込み、則宗の横で時間遡行軍を斬り捨てていく。
「……お嬢さんはどうした?」
「逃がした。全員で生き残ると約束したら、納得してくれたよ。」
その台詞に則宗がふっと笑う。
「安請け合いをしたもんだ。お前さんはともかく、僕の望みは薄いぞ。」
「貴方も連れて行くために、ここに留まって戦っているんだ。」
言っている側から敵はどんどん襲ってくる。山鳥毛と則宗は、舞うような剣戟で次々と切り裂いていった。
「……肺腑に穴が開いているとは思えない太刀筋だな、ご隠居。」
「そう言うお前は、僕より倒した数が少ないな?現役の頭がそれじゃあ目も当てられん。」
「なに、まだまだこれからさ。」
憎まれ口を叩きながら戦う二振りを見て、誠の頬を冷たい汗が伝った。
(何なんだこいつ等……この状況で笑いながら会話してる……?)
おおよそ人間とは思えない”二人”の振る舞い。それを目の当たりにして尚、認めることはできなかった。
(”カミサマ”なんてのが、この世にいてたまるかよ……)
あの時どんなに願っても、助けてくれなかったのに。
どうして今になって手を貸してくるのか。歴史を守るため?特別な人間を守るため?
(どいつもこいつも、好き勝手しやがって……!)
怒りに任せて撃ち込む銃弾が、時間遡行軍を塵に変えていく。その様子に則宗が笑った。
「この様子なら思ったより早く片付きそうだなぁ。」
「ああ。口は悪いが、腕は確かなようだ。」
山鳥毛が、誠に視線を投げかける。
記憶のものと間逆の眼に、誠は一瞬呆けた。
「な、んで……」
呆然とする誠の耳に、ガラスの割れる音とつんざくような悲鳴が飛び込んできた。
「!?」
ビルを仰ぎ見る誠。何か、黒い影が三階の窓を割って入っていくのが見えた。
状況を察した山鳥毛が、誠に指示を出す。
「建物に敵が侵入した!私が行くから、則宗を頼む!」
そして周囲の敵を一太刀で薙ぎ倒し、山鳥毛はビルへと駆け込んだ。
誠は一瞬躊躇った後、激しく咳き込む則宗の方へ駆け寄った。先程よりも大量の血が、コンクリートに飛び散っている。
「則宗!」
「大事ないさ……全く、僕のことなんか捨て置けばいいのに……お前さん、判断を見誤ったな……」
そう笑う則宗の額には脂汗が浮いている。誠はぐっと唇を噛んでから、言った。
「お前のこと見捨てて行ったら、あのヤクザと女がうるせぇだろうからな。それに……」
誠は隠し持っていた手榴弾のピンを外し、スクランブル交差点方面から来た時間遡行軍に向かって投げる。
「俺達の時代で余所者に好き勝手やられるのは、我慢ならねぇんだよ!」
爆発と共に金属の破片が時間遡行軍に突き刺さる。それを後目に誠は再度、反対方面の敵陣に向かって発砲する。
「てめぇもだ。こんなとこでくたばって俺に死体処理させんじゃねぇ。」
睨み付ける誠の目を見て、則宗は笑った。
「ハハ……若いののケツを、後ろから蹴りつけるつもりだったんだが……逆に僕が焚き付けられるとはな……」
則宗は刀を構え直し、時間遡行軍を見据えた。
「ここまで来たんだ。存分に暴れさせてもらうぞ!」
雑居ビルの階段を山鳥毛が駆け上がる。
(間に合え……間に合ってくれ……!)
そう願いながら三階に向かうと、辺りは嘘のように静まり返っていた。
植木や消火器が転がるエレベーターホールの端で、美咲がうずくまっていた。フロアの中央には開け放たれた楽器ケースと、中に入っていたはずの楽器が転がっている。
「……美咲。」
声を掛けると、声にならない悲鳴を上げて美咲が飛び上がった。
だが、そこにいるのが山鳥毛だと気が付き、安心したのか堰を切ったように泣き出した。
「うっ、うう……」
「大丈夫か?どこか怪我は……」
近付いて確認すると、美咲は激しく首を横に振る。
「……そうか。」
安堵の息をつく山鳥毛。しゃがんで美咲に視線を合わせると、ふと視界の端で黒い破片が塵になるのが見えた。
「先程、短刀が二体入っていくのを見たんだが……」
「たんとう……あの、宙に浮く魚の骨みたいなやつですか?」
「ああ。」
美咲は訥々と説明した。
「さっき、窓の外に化け物が出たと思って……催涙スプレー撒いたんですけど、逃げきれなくて……もう駄目かと思ったら、ケースが開いて……」
「勝手にか?」
山鳥毛の質問に頷き、美咲は続ける。
「信じてもらえないかもしれないですけど、楽器が中から出てきて、守ってくれたんです。敵の頭に当たったり、弦が外れて巻き付いたりして……」
見ると、八本あった弦が二本しか残っていなかった。美咲が故意に外したり切ったりしたようには見えない。
「私、びっくりしちゃって……すぐにしまってあげなきゃいけないのに、動けなくて……」
「……そうか。」
山鳥毛は頷き、楽器に歩み寄る。手を伸ばしかけたが、ふと思い返して動きを止めた。
「……君は、私のような武器が嫌いだったな。」
自嘲の笑みを浮かべる山鳥毛。すると、楽器が自ら進み出るように、数センチこちらに向かって動いた。
「……刀の私を、受け入れてくれるのか。ありがとう。」
今度は嬉しそうにはにかみ、山鳥毛はそっと楽器を持ち上げる。表面の土埃を丁寧に払うと、天鵞絨の上に寝かせて蓋を閉じた。
「美咲。」
山鳥毛が楽器ケースを差し出すと、美咲は震える手でそれを受け取った。
「ありがとう、ございます……」
我が子を抱えるように楽器を抱き締める美咲。ごめんね、ごめんねと繰り返し謝る様子に、山鳥毛は頭を振る。
「……美咲、そこ謝罪ではなく礼を言うべきだ。君の楽器も、それを望んでいるだろう。」
言われて一瞬きょとんとした後、美咲はごしごしと目を擦って呟いた。
「……ありがとう。」
カタ、とケースの中で揺れる音がする。美咲は楽器ケースを一層強く抱き締め、頬を擦り寄せた。
山鳥毛は微笑み、手を差し伸べる。
「立てるか?」
「は、はい……」
引き上げられて何とか立ち上がり、美咲は頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……あの、他の二人は……」
山鳥毛が途端に厳しい顔付きになったのを見て、美咲は口を噤む。
「……厳しい状況だ。善戦してはいるが、私もすぐに戻らねばならない。」
「ごめんなさい、私が敵に見付かったせいで……」
「なぜ謝るんだ?君は何も悪くないだろう?」
優しく言われて美咲はまごつく。山鳥毛は美咲の頭を撫でてから、建物で一基しかないエレベーターのボタンを押した。
「階段があの状態では危険だ。君はこれで、上の階まで避難していなさい。見たところ他の出入り口はないようだから、窓から離れていれば敵の目は届かないだろう。」
「は、はい……」
古い階数表示がゆっくり点灯していくのを、美咲は不安そうに見上げる。山鳥毛は励ますように言った。
「大丈夫だ。入り口の敵は三人掛かりで対処すれば、すぐに--」
ポーン、という音と共に、エレベーターが到着する。
扉が開き、中に足を踏み入れようとしたエレベーターに、何者かがいた。
とても面白かったです。
映画の登場人物が出てくるの最高でした!
一つ、とても気になっているところがあります。最後のメールの相手、もしかして…ですよね!?
ありがとうございます!
どうにかして映画の登場人物(特に琴音ちゃん)と会話させたい一心で盛り込みました。
美咲のメール相手(旦那さん)、ご想像の通りでございます(*´ω`*)
実は、仮の主二人が記憶を消された後の話も頭の片隅で展開されていたりします。
刀剣男士がほぼ絡まなくなるのと、長くなってしまうので今回割愛してしまいましたが、つまりはそういうことになります。
お返事ありがとうございます、作者様。
ああ、やはり…!それを聞いてさらにハッピーハッピーハーッピー(最近の猫ミームのアレ)になりました😂!
ふせったーも読ませて頂きました。そういう裏話大好きなのでとても興味深く拝読しました。本当に細かく設定を作り込まれていると感心致しました。
素敵な小説をありがとうございます。