琵琶の縁 - 13/18

「あ、貴方は……」
 美咲が驚いていると、今度は彼女の後方から声がした。
「伊吹……」
 山姥切が少年の名を呼ぶ。と、隙ありと言わんばかりに則宗が斬りかかった。
「偽りの主に現を抜かしている場合か?」
 鍔迫り合いを押し退け、山姥切が突きを繰り出す。
「よせ!」
 山鳥毛がその切っ先を弾き、また三つ巴の斬り合いが再開される。
 そんな背後を余所に、標的を伊吹に変えた誠が唸った。
「動くな。お前を内乱罪の疑いで逮捕する。」
 言われた伊吹は微動だにしない。その手には、あのゴムボールの小鬼が握られていた。美咲が辿っていた糸の元だ。
 だが、美咲は違和感を覚えていた。「何か」がおかしい。はっきりとはわからないが、目に見えている光景の「何か」が不自然だった。
「……その手に持ってるやつを置いて下がれ。」
 誠が伊吹に命令する。それでも伊吹は動かない。
「聞こえねぇのか、お前が右手に持ってるそれを……」
「渡さない。」
「は?」
 呟きに誠が怪訝な顔をする。無表情な伊吹の、目だけが怒りで光っているように美咲には見えた。
「あと少しで弟を助けられる。これは渡さない。」
「自分が何言ってるかわかってんのか?」
 誠の声にも怒りが滲む。微かに、拳銃のグリップが軋むような音がした。
「どんな手使ったんだか知らねぇが大勢意識不明にしておいて、てめぇの身内だけ助けたいなんて抜かしやがって……」
「あんたに何がわかるんだ。力で相手を捻じ伏せようとするような大人なんかに、俺達の何がわかるっていうんだよ。」
 誠が拳銃の撃鉄を起こす。それだけで撃ち方に差異が出るわけではないが、脅しのためのアクションだろう。
「これが最後だ。手に持ってるやつを置け。じゃなきゃガキ相手でも撃つぞ。」
「やめて……」
 怯える美咲の訴えも、誠には届かない。
「五つ数えるうちにそれを放せ。五、四……」
「やだ……」
 伊吹は誠を睨みつけたまま動かない。数える誠の指が、引き金にかかる。
「三、二……」
「……やめて!!」
 先程と同じように、美咲は誠と伊吹の間に割って入った。誠が怒鳴る。
「てめぇは公務執行妨害の現行犯だ!!」
「私はどうだっていい!でも、この子はまだ子供じゃないですか!!」
 怒鳴り返してから美咲は背後を振り向く。僅かに、伊吹がたじろいだ。
「伊吹さん、何があったか、何をしてきたのか、ちゃんと話してください。今ならまだ間に合います。」
「……もう遅い。」
 伊吹は右手に持った小鬼を握り締める。
「後戻りはできないとわかって、やっているんだ。邪魔はさせない。」
「そんな……」
 美咲は必死の説得を試みた。
「でも、話し合ったら解決の糸口が見えるかもしれないじゃないですか。何もそんな強引に……」
「じゃああんた、”念い”を無くした人間を元に戻す方法を知ってるのか?」
 伊吹の言葉に、美咲は胃の辺りを握り潰されるような感覚を覚えた。
「そ、れは……」
 何も言えなくなった美咲を伊吹は鼻で笑う。
「口では何とでも言える。嘘だって、その場しのぎの言い逃れだって。」
「っ……でも……」
 美咲は肩にかかる楽器ケースのストラップを強く握り締めた。
「大事な人の笑顔が消えて悲しいのは、誰だって一緒です。貴方だけじゃない。」
 感情を押し殺そうと必死な美咲の声が、トレモロのように震える。
「……知ったようなことを……」
 そして伊吹の声もまた、怒りで震えていた。
「あんた達には耳を貸さない。俺は、俺のやり方で弟を守る。」
「どうしてそんなに意固地になるんですか?少しは周りを……」
 説得を続けようとした美咲の肩を、やにわに誠が掴む。
「どけ!!」
「きゃあっ!」
 美咲を強引に退かして誠は発砲する。予想だにしない出来事に驚いて顔を上げると、そこには無傷の伊吹が立っていた。
「え……?」
 一体どこに発砲したというのか。美咲が周囲を見回すと、恐ろしい光景が目に飛び込んできた。
「ひっ……!」
 赤い目が六つ並んだ落ち武者の幽霊--時間遡行軍が、伊吹の背後に立っている。弾丸は大柄な遡行軍の、甲冑にめり込んで止まっていた。
「あ、あ……」
 危ない。そう言おうとした美咲を見て、伊吹は声を上げる。
「やれ。」
 その号令一つで時間遡行軍は太刀を構え、美咲と誠めがけて突進してきた。
「クソが……!」
 誠が繰り返し発砲するも、あっという間に距離を詰められる。
 最悪なことに、数発連射したところで拳銃が弾詰まりを起こした。
 銃を入れ替えようにも間に合わない。誠が咄嗟に美咲を背に庇おうとした時、前に則宗が躍り出た。時間遡行軍の攻撃を弾き返し、振り返る。
「お嬢さんを連れて逃げろ!早く!」
 誠の動きに迷いはなかった。美咲の手首を掴み、一目散に来た道を引き返す。
「山姥切、待て!」
 背後で山鳥毛の声がする。階段を駆け下りていた美咲は、振り向くことができなかった。
(何で、何で何で……!)
 パニックで半泣きの美咲に、誠が檄を飛ばす。
「泣いてる暇があったら走れ!!立ち止まったら殺されるぞ!!」
 半ば引き摺るように美咲を牽引していた誠の足が、二階で突如として止まる。
 前のめりになりかかった美咲を慌てて抱き起こし、誠は再度悪態をついた。
「畜生が……」
 誠の視線の先--二人がまさに向かおうとしていた一階から、時間遡行軍がゆっくりと階段を上ってきている。
 誠は美咲の腕を掴んだまま、二階の廊下を駆けった。ドアの壊れた病室に駆け込み、誰もいないことを確認する。
「下がってろ!」
 そう叫ぶと、誠は転がっていた椅子を窓に向かって思い切り投げた。
 脆くなっていた窓ガラスが派手な音を立てて砕け散る。咄嗟に蹲った美咲に、誠は言った。
「お前はこっから飛び降りろ。」
「え……」
「入り口が奴等に塞がれてるんだ、それしか方法がねぇ。」
 絶望する美咲を置いて誠は病室から飛び出していく。
「待って……待ってください!!」
 泣き叫ぶ美咲の耳に、あの発砲音が聞こえてきた。時間稼ぎのために誠が応戦している。頭ではわかっていても、美咲は誠を置いて逃げることができなかった。
「どうしよう、どうしよう……どうしよう……」
 暗い病室で泣きながらへたり込む。そんなことをしている場合ではないが、この時の美咲は混乱していて子供のように泣きじゃくることしかできなかった。
「うう、ううぅ……」
 みっともなく泣き続ける美咲。と、左脇がドンと揺れる感覚で我に返った。
 楽器が、ぐいぐいと美咲を窓際に引っ張るように揺れる。今までにない強い力に美咲は逆らえず、割れた窓枠の方へと向かった。
「ちょっ……!」
 美咲が窓際に来たところで、楽器の動きがぴたりと止まる。下を覗き見ると、中途半端な高さに自分がいることを実感した。返って恐怖心が増してしまい、美咲の足が竦む。
 と、視界の端を何かが落下した。黒い影と、白い残像。
「え……」
 呆然とする美咲の目に、塵と化していく時間遡行軍と、それに刃を突き立てる山鳥毛の姿が映った。
「さん、ちょう……も……」
 驚いてまともに言葉を発せなくとも、その声は確かに山鳥毛の耳に届いていた。
「美咲?」
 振り返り、二階を仰ぎ見た山鳥毛が美咲の姿を見付ける。それから窓の真下へ走り、腕を広げて呼び掛けた。
「飛べ、美咲!」
「えっ……」
「早く!」
 それでも美咲の恐怖心は消えない。
「無理、無理だよ……怖い……」
 小声で呟きながら窓際に崩れる美咲。すると、階下から美咲を呼ぶ声がした。
「美咲。美咲、聞いてくれ。」
 やっとのことで立ち上がり、下を見ると、山鳥毛が優しく言った。
「大丈夫だ。私が必ず受け止める。信じてくれ。」
「山鳥毛さん……」
 微笑んで腕を広げる山鳥毛。まるで大きな鳥が翼を広げているようだ。
「さあ、おいで。大丈夫、何も怖くない。」
 その声に美咲は意を決した。楽器をしっかり左腕に抱え込み、窓枠に足をかける。
 そして、ついに二階の窓から美咲は飛び降りた。宣言通り、山鳥毛が美咲と楽器をしっかりと抱き留める。
「美咲、よく頑張ったな。」
 優しく声を掛けられ、恐怖で固まっていた美咲の緊張が解れる。
「……うっ……ふええぇ……」
 安心してまた涙が出てきた。逞しい胸に縋って泣きじゃくると、山鳥毛の大きな手が美咲の頭を撫でた。
「もう大丈夫だ。心配しなくていい。」
「……感動の再会を果たしているところ、悪いんだがなぁ。」
 突然聞こえてきた則宗の声が、美咲を現実に引き戻す。ばっと顔を上げると、笑顔の則宗が横に立っていた。
「そんな悠長に喜んでいる場合じゃあないぞ。」
 言っている側から、窓ガラスの割れる音と共に誠が二階から飛び降りてくる。受け身を取って素早く立ち上がり、こちらに駆けながら誠が叫んだ。
「早く逃げろ!まだ追っ手が!」
「美咲、その楽器をしっかり持っていなさい。」
 一言そう断るなり、山鳥毛が美咲を横抱きにして駆け出した。則宗も先行して走っていく。
「きゃあっ!さ、山鳥毛さん、下ろしてください!」
「少しの間だけ辛抱してくれ。この方が速い。」
 人間一人と楽器一台を抱えているとは思えない速さで山鳥毛は走る。と、美咲のポケットから、催涙スプレーが一本落ちた。
「あっ……!」
 当然ながら拾っている暇はない。転がったスプレー缶に、後続の誠が危うく足を取られそうになった。
「っ……ぶねぇなぁこのタコ!」
 怒りながら全速力で逃げる誠の、数メートル後ろに時間遡行軍の大群が迫る。と、美咲は瞬時に閃いた。
「國井さん、あれ!」
「あ!?」
「撃って!!」
 山鳥毛の肩越しに美咲が叫ぶ。誠はそれで美咲が何を言わんとしていたのか、すぐに理解した。
 急停止して振り向き、拳銃を構える。誠が狙ったのは時間遡行軍ではなく、催涙スプレーの缶だった。
 小さな缶に誠の放った弾丸が命中する。圧縮されたガスが噴出し、突進してきた時間遡行軍は身動きが取れなくなった。
 その隙に山鳥毛達は敷地内から逃げ出す。後ろ姿を見送る伊吹に、飾り羽根の兜を被った時間遡行軍が声を掛けた。
「どうする?」
「お前はあの四人を追え。俺はアパートに戻る。」
 そう答える伊吹に、遡行軍の隊長が集めた小鬼を差し出す。
「これを。」
「……助かる。」
 伊吹は多数の小鬼を抱えると、踵を返した。
「行くぞ、山姥切。」
「わかった。」
 襤褸布を深く被り直し、山姥切が後をついていく。
 その目は本来の美しい翡翠色ではなく、暗い灰色に濁っていた。

3件のコメント

とある隠居

とても面白かったです。
映画の登場人物が出てくるの最高でした!
一つ、とても気になっているところがあります。最後のメールの相手、もしかして…ですよね!?

返信
銀扇

ありがとうございます!
どうにかして映画の登場人物(特に琴音ちゃん)と会話させたい一心で盛り込みました。

美咲のメール相手(旦那さん)、ご想像の通りでございます(*´ω`*)
実は、仮の主二人が記憶を消された後の話も頭の片隅で展開されていたりします。
刀剣男士がほぼ絡まなくなるのと、長くなってしまうので今回割愛してしまいましたが、つまりはそういうことになります。

返信
とある隠居

お返事ありがとうございます、作者様。
ああ、やはり…!それを聞いてさらにハッピーハッピーハーッピー(最近の猫ミームのアレ)になりました😂!
ふせったーも読ませて頂きました。そういう裏話大好きなのでとても興味深く拝読しました。本当に細かく設定を作り込まれていると感心致しました。
素敵な小説をありがとうございます。

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