琵琶の縁 - 11/18

 面会を終えて廊下に出た美咲を、山鳥毛達が出迎える。
「どうだった?」
 山鳥毛に聞かれ、美咲は首を横に振った。
「そうか……」
「まあ、医療じゃどうにもならんだろうな。僕の予想が当たっているなら、あの小鬼を持って行った親玉をとっちめて解決させるしかないだろう。」
 則宗がわざとらしく大声で言う。
「あー、どこかのやんちゃ坊主が僕の後釜に向かって発砲しなきゃ良かったんだがなぁ……」
「うるっせぇ。」
 心底不愉快そうに誠が吐き捨てる。と、美咲の背後から声を掛ける者がいた。
「……美咲?」
 聞き覚えのある声に美咲の喉がひゅっと鳴る。恐る恐る振り向くと、数日前まで所属していた楽団の、パートトップがそこにいた。
「やっぱり美咲だ!春花のお見舞いに来てたの?」
「え、ええ……」
 パートトップの女性は美咲より少し年上で、きっちり身形を整えている。彼女も小脇に楽器を抱えていた。
「……あれ?今日って練習日でしたっけ?」
「練習どころか、この病院で訪問演奏するって話してたでしょ。」
 呆れ気味に言われて美咲はどきっとする。辞める後ろめたさで頭が一杯だった美咲は、定期演奏会直後に予定していた病院の訪問演奏会のことをすっかり忘れていたのだ。
「春花のソロもプログラムに載せてたのに、その春花が入院しちゃうなんて……私達もさっき様子見てきたけど、あれじゃ演奏なんてとてもできないし……」
 困り果てた様子で話す女性の背後から、中年の男性がやってくる。
「おーい!そろそろ本番始まるぞ……って、あれ?」
 楽団の指揮者だ。美咲はますます身を強張らせた。
「美咲?楽器なんか持ってきて、どうしたんだ?」
「え、えっと……春ちゃんのお見舞いに来たついでに、メンテナンスに行こうと思って……」
 楽器が連れて行けと駄々をこねたなど、口が裂けても言えない。しどろもどろの美咲に、指揮者が提案した。
「そうだ!美咲、春花の代わりにソロ弾かないか?」
「はい……はい?」
 反射で頷いた後、時間差で言葉の意味を理解した美咲は目を見開く。
「え?ソロって……春ちゃんの代わりに?」
「よかった、引き受けてくれるんだな!じゃあ、司会にそう伝えてくるから!」
 そんな美咲に構わず指揮者は踵を返して行ってしまう。事の重大さをようやく理解した美咲は、慌てて追いかけようとした。
「いえ、あの!私じゃ無理です!春ちゃんの代わりなんて……」
「美咲。」
 その肩をパートトップが叩く。
「この病院、春花以外にうちの楽団員の身内も入院しているの。今日の演奏会を楽しみにしているって聞いたし、他の患者さんも待ってる。お願いだから、協力して。」
「…………」
 この世の終わりだという顔の美咲に、パートトップが言う。
「大丈夫よ!美咲、何曲かソロ弾けるでしょ?得意なやつやってくれればいいから。」
「……随分簡単に言うなぁ。」
 コートで姿を隠している則宗が、同じく神通力で姿を消している山鳥毛に耳打ちする。
「ああ。美咲が楽団を辞めたのも納得がいく。数日しか共にしていないが、あの子が控え目な性格だというのは私にもわかる。それなのにいきなり表立って弾けと言われたら……」
 その時、誠が美咲の隣に進み出た。
「あの。」
「えっ?……失礼ですけど、どちら様ですか?」
 突然やってきた見知らぬ男に、パートトップが驚く。誠は丁寧に挨拶した。
「國井誠といいます。昨日上京したばかりで、従姉妹の美咲を頼ってここに。」
 今までの態度からは想像もつかないほど紳士的な口調で嘘をつく誠に、美咲は化け物でも見るかのような視線を送る。そんな美咲に構わず、誠は続けた。
「先程、美咲のソロの話が出ましたよね。」
「ええ。急で申し訳ないけれど……」
 ちらりと美咲を見てから、誠は尋ねる。
「ソロではなくて、デュオでも構いませんか?」
「え?」
「は?」
 誠の質問にパートトップは鳩が豆鉄砲を食らったような顔に、美咲は怪訝な顔になる。
「……え、ええ、別に構いませんけど……貴方、楽器は?」
「ギターをお借りできれば、弾けます。」
 誠の言葉に美咲は開いた口が塞がらない。一方のパートトップは誠の言葉に頷いた。
「わかりました。ギターパートに掛け合って手配してもらいます。」
「ありがとうございます。」
 頭を下げる誠。パートトップはスマートフォンを取り出し、操作しながら美咲に言った。
「じゃあ美咲、悪いんだけどすぐ一階のロビーに来てちょうだい。控え室まで案内するから。」
「えっ、あ……」
 戸惑う美咲に構わず、パートトップは電話を掛けながら立ち去ってしまった。
「…………」
「おい……おい!」
 元通り乱暴な口調に戻った誠に声を掛けられ、美咲は跳び上がる。
「ひっ!な、何、何ですか!?」
「ボーッとしてる場合じゃねぇだろ。さっさと行くぞ。」
「いや、ちょっ……え!?」
 すたすた歩いていく誠の後を美咲が慌てて追い掛ける。山鳥毛と則宗も顔を見合わせてから着いてきた。
「待ってください國井さん!さっきギター貸せって言ってましたけど……」
「昔弾いてたからな。」
「ハァ!?」
「大声出すな、病院だぞ。」
「いやだって、そんな昔弾いてた程度で……」
「だから今から行って指慣らしすんだよ。」
 美咲の質問に誠はうんざりしたように答える。階段を下りながら、美咲は続けて質問した。
「そんな、だって私はチェロしか弾けないんですよ!?ギターのデュオなんて無理……」
「誰がギター二台のデュオっつったんだよ……」
 呆れ気味に溜息をついてから、誠が呟く。
「サン=サーンス。」
 その名前に美咲の足が止まった。誠が背後を振り返る。
「お前、弾けるか?」
 美咲はケースの肩紐をぎゅっと握り締め、頷いた。
「……一応。」
「ならいい。」
 それだけ言って誠はロビーに向かう。美咲は二振りに言った。
「ごめんなさい、しばらくロビーで待っててもらえませんか?」
「構わないが……」
 山鳥毛の返事に美咲は一礼し、誠の後を追って行った。

 それから三十分と経たぬうちに、病院のロビーで演奏会が行われた。
 患者達に混ざって演奏を聴いていた山鳥毛と則宗は、楽団の演奏レベルの高さに舌を巻いていた。
「あまり音楽を聞く方じゃないんだが、僕でもあの集団が上手いことくらいはわかる。」
「ああ。」
 拍手の合間にそんな会話をしていると、マイクを持った司会が言った。
「続きまして少人数編成の演奏に移ります。プログラムにはマンドラのソロからと書いてありますが、諸事情により変更となりました。」
「おっ、来たな。」
 則宗が身を乗り出す。椅子が二脚のみになった舞台に、美咲と誠が現れた。
「--それではお聞きください。サン=サーンス作曲、組曲『動物の謝肉祭』より第十三曲”白鳥”。」
 司会が捌けたのを確認し、美咲と誠が視線を合わせる。
 誠のクラシックギターの前奏を聞いて、美咲が演奏を始めた。
「ほう……」
 本来は一般的なチェロとピアノを用いる二重奏を、美咲と誠は別の弦楽器を使って演奏している。それでも、原曲と違わぬ美しい旋律が辺りに響き渡っていた。
「見事なもんだなぁ。」
 感心する則宗の声も聞こえていない様子で、山鳥毛は舞台に釘付けになっている。
 山鳥毛も、美咲の演奏を聞くのはこれが初めてだ。記憶にある琵琶の音とは全く異なる、西洋琵琶の音。新しいのにどこか懐かしく、優しい音色は美咲の心をそのまま音にしたようだった。
 初めての二重奏とは思えないほど息の合った演奏は、三分ほどで終わってしまった。客席や通りかかった人々から惜しみない拍手が送られる。
 深々と頭を下げた後、二人が袖へ捌けていく。コンサートが終わってしばらくすると、美咲と誠が山鳥毛達の所へ戻ってきた。
「お待たせしました。」
「おお、なかなか良い演奏だったじゃないか!」
 則宗に誉められて美咲は嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます。」
「いやぁしかしまこっちゃん、お前さんギター弾けたんだな。」
「……まあ……」
 対して誠は疲れた顔をしていた。
「ん?どうした?人前で演奏して緊張したのか?」
「んなわけあるか、そこにいる蚤の心臓じゃあるまいし。」
 そう言われてカチンときた美咲が、皮肉たっぷりに告げ口する。
「國井さん、ギターパートからそれはそれは熱烈なスカウトを受けていました。」
「ほー!まこっちゃん良かったな、演奏の腕を認められた証拠じゃないか!」
「良くねぇ……マルチの勧誘かってくらいしつこいんだぞ……」
 げっそりした誠の様子に、美咲は内心良い気味だと思った。二重奏を申し出てくれた時は見直しかけたが、やはり誠は口が悪い。
「美咲。」
 そんな中、山鳥毛が美咲に声を掛けた。
「素晴らしかったよ。直に聞けて良かった。」
「ありがとうございます。山鳥毛さんにそう言っていただけて嬉しいです。」
 美咲は顔を綻ばせ、左肩に提げた楽器ケースに向かって言う。
「誉めてもらえたよ。良かったね。」
 ケースの中で僅かに楽器が揺れたのを感じ、美咲は笑い声を零した。
 その時ふと、擦れ違った親子連れの会話が耳に届く。
「本当だよ。本当に白いお化けいたんだもん。キラキラしてて、黒いお化けも一緒だったよ。」
「もう、また変なこと言って……大人しく待ってなさい。」
 母親がそう言って受付に向かう。美咲は子供の言った単語が引っかかった。
「……あの。」
 子供を指し示し、三人に向かって言う。
「あの男の子、今気になることを言ってたんですけど……」
「気になること?」
「ええ。白いお化けと黒いお化けを見たって……」
 その言葉に三人が顔を見合わせた。
「……おい、お前が話聞いてこい。」
 誠にいきなり言われて美咲が驚く。
「私が?何でですか?」
「決まってんだろ、この中でただ一人の女だからだよ。成人した男じゃ子供が怖がるし、まして刺青入ったヤクザと金髪黒づくめが行ったら泣き出すだろ。」
「まこっちゃん、お前さんは子供の時に厳つい見目の男を見て泣き出すような弱虫だったのか?」
「誰もそんな話してねぇ。」
 則宗に言われて誠が反論する。美咲は溜息の後、子供に近寄っていった。
「……こんにちは。」
 しゃがみ込んで目線を合わせると、子供は不思議そうに美咲を見た。
「お姉ちゃん、誰?」
「お化け捜しの探偵。お化けのお家の仲間がね、一人いなくなっちゃったって困っているから、捜しているの。」
 美咲の作り話は半分本当だ。お化けではないが、付喪神の三日月宗近は山姥切国広を捜している。この子供の言う”お化け”が山姥切国広なのではないかと、美咲は直感で思っていた。
「ぼく、お化けをどこで見たか、お姉ちゃんに教えてくれる?」
「うん!」
 子供は椅子から立ち上がり、病院の玄関を指さす。
「さっきね、ママと一緒に病院入る時に、白い布のお化けを見たよ。外に出たら、黒いお化けと一緒にどこかへ行っちゃった。」
「お化け達、真っ直ぐ歩いていったの?」
「ううん。えーっと……右に曲がってった。」
 一生懸命説明する子供の頭を、美咲は優しく撫でた。
「そっか、ありがとう。」
 優しそうな美咲に気を良くした子供は、目を輝かせて尋ねた。
「ぼくもお化け退治、ついてっていい?」
「退治はしないよ。捕まえて、連れて行くの。」
「じゃあ、ぼくも捕まえる!」
「うーん……訓練した大人じゃないと、お化けを捕まえるのは難しいかなぁ……」
「えー!」
 がっかりする子供。と、山鳥毛が美咲の方に歩いて行った。
「おい……」
 止めようとする誠を、則宗が制止する。
「まあ見ておけ。悪いようにはならんだろう。」
 誠達が見ている前で、山鳥毛が声を掛ける。
「これはこれは、随分と可愛らしい雛鳥だ。」
 子供は山鳥毛に驚きはしたものの、怯えた様子はない。目を丸くする子供に、美咲は慌てて言った。
「大丈夫よ、怖い人じゃないから。」
「お化けを捕まえる人?」
「そう!」
 尋ねられて美咲は大きく頷く。山鳥毛は片膝をつき、美咲と同じように目線を子供に合わせた。
「勇ましいのは良いが、勇気と無謀は違う。」
 山鳥毛に言われて子供は首を捻った。
「……よくわかんない。」
「はは、そうか。」
 大きな手で子供の頭を撫で、山鳥毛は言い聞かせた。
「今はわからなくとも、いずれわかるようになるさ。それに、君はお母さんと一緒に来たのだろう?」
「うん!パパのお見舞い!」
 そう元気良く答えたかと思うと、子供は急にしょげ返ってしまった。
「パパ、昨日急に動かなくなっちゃったんだ……ママも、すごく心配しているの。」
 子供の話に美咲と山鳥毛は視線を交わした。この子の父親も、原因不明の意識喪失になっているのだ。
「そうか。それなら君は、お母さんを守ってあげなさい。」
「でも……」
「お化けはお姉ちゃん達にしか捕まえられないし、ママを守るのはぼくにしかできないよ。」
 美咲は子供の両手を握り、言い聞かせた。
「ママの側にいてあげて。そうすればきっと、パパも良くなる。」
「本当?」
 美咲が力強く頷くと、子供は明るい表情に戻った。
「じゃあぼく、ママのこと守る!お姉ちゃん達はお化け捕まえるの、頑張って!」
「うん。あ、お姉ちゃん達がお化け捜してるの、みんなには秘密だよ。」
「どうして?」
「お化け、すぐ気が付いて遠くに逃げちゃうから。だから、内緒ね。」
 美咲が唇に人差し指を当てる仕草をすると、子供も真似をする。その様が可愛らしくて頬を緩めていると、山鳥毛に促された。
「さあ、遠くに逃げないうちに捕まえに行こう。」
「あっ……はい。」
 美咲は立ち上がって子供に手を振る。
「じゃあね。」
「うん!バイバイ!」
 立ち去る美咲と山鳥毛に、子供も目一杯手を振った。

3件のコメント

とある隠居

とても面白かったです。
映画の登場人物が出てくるの最高でした!
一つ、とても気になっているところがあります。最後のメールの相手、もしかして…ですよね!?

返信
銀扇

ありがとうございます!
どうにかして映画の登場人物(特に琴音ちゃん)と会話させたい一心で盛り込みました。

美咲のメール相手(旦那さん)、ご想像の通りでございます(*´ω`*)
実は、仮の主二人が記憶を消された後の話も頭の片隅で展開されていたりします。
刀剣男士がほぼ絡まなくなるのと、長くなってしまうので今回割愛してしまいましたが、つまりはそういうことになります。

返信
とある隠居

お返事ありがとうございます、作者様。
ああ、やはり…!それを聞いてさらにハッピーハッピーハーッピー(最近の猫ミームのアレ)になりました😂!
ふせったーも読ませて頂きました。そういう裏話大好きなのでとても興味深く拝読しました。本当に細かく設定を作り込まれていると感心致しました。
素敵な小説をありがとうございます。

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