琵琶の縁 - 10/18

 倉橋達と別れ、電車を乗り継いで目的の駅に着いた頃には昼になっていた。
「そろそろお昼にしましょうか。」
 美咲の提案に山鳥毛が頷く。
「そうだな。この辺りに飲食店は……」
 山鳥毛が周囲を見回していると、女性の声が聞こえてきた。
「へっしー!へっしー、どこー?」
「……ん?」
 キャリーバッグを引きながら誰かを捜している若い女性は、美咲と目が合うとこちらに駆け寄ってきた。
「すみません、この辺で紫の神父服みたいな格好の人、見ませんでした?」
「紫の神父服……?」
 美咲には覚えがない。山鳥毛に視線を送ると、もしやといった風に答えた。
「ヘし切長谷部のことではないか?」
「えっ、何で知ってんの!?」
「えっ!?」
 驚く女性の言葉に更に驚愕する美咲。今、山鳥毛はサングラスを外していて、普通の人間には姿も声もわからないはずだ。
「今の山鳥毛や僕が見えているなら、お嬢さんやまこっちゃんと同じ”仮の主”だな。」
 解説しながら則宗が歩み寄る。
「へし切長谷部というのは、紫の神父服の刀剣男士だ。そこの山鳥毛の本丸にもいるんだろう。」
 すると、女性が「おー!」と感心した声を上げた。
「すごーい!ひょっとして探偵?だからそういう格好してるの?」
 まじまじと見てくる女性に則宗が言う。
「僕は探偵ではないなぁ。時の政府配属の、刀剣男士だ。」
「へー!お兄さんも刀剣男士なの?あっ、よく見たらコートの下に刀ある!」
 初対面だというのに則宗のコートの裾をめくる女性。美咲はぎょっとしたが、則宗は豪快に笑い飛ばすだけだ。
「うははは!随分肝の据わったお嬢さんだなぁ。」
「そう?普通だと思うけど。」
「普通はそんなことしねぇよ……」
 女性の行動に引いているのは後からやってきた誠だ。と、そこへ走ってくる人物がいた。
「こんな所で油を売っていたのか!」
「あっ、へっしー!」
 女性が紫の神父服の男性に手を挙げて答えると、男性は怒って訂正した。
「長谷部だ!何度言えばわかる!」
「……あの人が、ヘし切長谷部さん……ですか?」
「ああ。私の巣にもいるが、生真面目な男だ。」
 美咲が隣の山鳥毛に小声で確認すると、ヘし切長谷部が不審そうな視線を向けてきた。
「……何だ貴様等は。」
「おいおい失礼だぞ。お前さんと一緒で、今回の件を片付けるために派遣された刀剣男士と、その仮の主だ。」
 横から則宗が口を挟むと、長谷部はぶっきらぼうに言った。
「ああそうか。悪いが俺はそんな悠長に構えていられないのでな。これで失礼する。」
「待ってよへっしー!」
 足早に去ろうとした長谷部の袖を、女性が引っ張る。長谷部はうんざりしたように聞いた。
「何だ。」
「お昼まだ食べてないじゃん。この人達にお店紹介してもらお?」
「はあ!?」
 正気かと言わんばかりに大声を出す長谷部。
「そんなことを言っている場合か!事は一刻を争うんだぞ!」
「でもへっしー、朝ご飯すら食べてないよ?あたしはお弁当食べたからまだいいけど……」
「いらん!」
 怒鳴る長谷部の腹から、ぐぅ~という大きな音が聞こえてくる。
 気恥ずかしくなって黙り込む長谷部の肩を、山鳥毛が叩いた。
「腹が減っては戦はできぬ。人は皆そう言うだろう?」
「俺達は人ではない。」
「そうは言っても、今は人の身だ。ここは大人しく従ったらどうだ?」
「そうだぞ。つまらん意地張ったところで、困るのはお前さん自身だ。上手く立ち回れずに任務が失敗したら、お前さんの主はどう思うだろうなぁ?」
 則宗の追撃が効いたのか、長谷部は溜息をついた。
「……食ったらすぐに行くぞ。」
「やったー!」
 万歳して喜ぶ女性。すると、今度は誠が盛大な溜息をついて歩き出した。
「ちょ、ちょっと國井さん、どこ行くんですか!?」
「俺の知り合いの店に行く。こんな大所帯じゃ目立ってしょうがねぇからな。」
 そう答えた誠の後を、美咲は慌てて追いかける。他の面々もそれに従って歩き始めた。

「おいしー!」
 連れてこられたラーメン屋で、女性が実に美味しそうに醤油ラーメンを啜る。
「博多のが一番だと思ってたけど、東京のラーメンも美味しい!」
 はしゃぐ女性に、同じ醤油ラーメンを選んだ美咲が聞く。
「九州から来たんですか?」
「そう、夜行バスで。あっ、自己紹介まだだったね。あたし、実弦っていうの。」
「長尾美咲です。よろしくお願いします。」
「美咲?じゃあ、ミッキーだ!」
 いきなりあだ名を付けられて一瞬戸惑ったが、美咲は両手で作った丸を頭の上に当てた。
「おー!ノリがいいー!」
 喜ぶ実弦に、更に裏声で「ハハッ!」と笑ってみせる。すると、誠の隣に座る則宗が指摘した。
「お嬢さん、あんまりはしゃぐと”舞浜さん”に叱られるぞ。」
「……えっ?」
 何のことかと目を瞬かせる美咲。豚骨ラーメンを啜っていた誠が、則宗に肘鉄を食らわせた。
「わけわかんないこと言うな。そもそもここは千葉じゃねぇ。」
「あれ?舞浜って東京にあるんだよね?」
「違ぇよ、千葉だ。」
「えーっ!!」
 誠に質問した実弦がショックを受ける。
「そんなぁ、ついでに寄って帰ろうと思ってたのに……」
「確かに千葉県にありますけど、東京駅から京葉線に乗ればすぐ着きますよ。」
 気落ちさせまいと美咲が必死に説明する。長谷部が怒った。
「何をしに東京まで来たと思ってるんだ、遊びじゃないんだぞ!」
 いよいよしょげかえってしまった実弦を見て、美咲が長谷部を宥める。
「実弦さんは今すぐ遊びに行くつもりじゃないんですよ。問題が解決した後で観光するくらい、いいじゃないですか。」
「ミッキィ~……」
 実弦は感極まった声を出したかと思えば、いきなり美咲に抱き付いた。
「うわぁっ!」
「ありがと~!ミッキーみたいな優しい人に会えて本当によかった~!」
 無邪気な実弦の笑顔に、親友の面影が重なる。
 不意に鼻の奥がツンとして、美咲は慌てて視線を逸らした。
「……えっ、どしたのミッキー?」
「す、すみません、何でも……」
 言っている側からぼろぼろと涙が零れてくる。実弦は慌てて自分のおしぼりを差し出した。
「えっ、えっ!?何、どうしたの!?どっか痛い?」
「いえ、そういうんじゃなくて……」
 受け取ったおしぼりで目元を押さえながら、美咲は話す。
「ごめんなさい。実弦さん、私の友達によく似ていて……」
「あ……もしかして、もう……」
「大丈夫です。生きてはいるんで。」
 洟をすすって一呼吸置く美咲。
「ただ、意識が戻らなくて、いつ治るかもわからなくて……これからお見舞いに行くところだったんです。」
「そうだったんだ……」
「私、最近仕事をクビになって、所属していた楽団もやめることになっちゃって……そんな時に友達が倒れたから……色々あってすごく不安だったんですけど、実弦さんの笑ってる顔見たら急に安心しちゃって。突然泣いたりして、ごめんなさい。」
 さすがの実弦も神妙な面持ちになる。それから美咲の肩に手を添えて言った。
「『障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり』。」
「……へ?」
 急に難しい言葉を聞いた美咲がきょとんとする。
 美咲だけではない。山鳥毛と則宗、長谷部も食事の手を止めて実弦の方を見た。
「まあ、簡単に言っちゃうと、何があってもめげずに頑張れば良いことがあるってことだよ。今は大変かもしれないけど、万事解決するって信じよう。ねっ?」
 笑顔で励ます実弦に、美咲も微笑んだ。
「……ありがとうございます、実弦さん。」
 そんな中、テーブルの端から無愛想な声がする。
「おいお前等、麺伸びるぞ。お涙頂戴話してねぇでとっとと食え。」
 横槍を入れられ、女子二人はキッと誠を睨み付けた。
「嫌な言い方……」
「まこってぃ、マジKYじゃん。」
 初対面の実弦に珍妙なあだ名で呼ばれ、誠が噎せる。
「ぐふっ、ごほごほっ!……てめ、ふざけ……」
「さっ、麺が伸びないうちに食べ切っちゃいましょう。」
「そだねー。」
 そんな誠を無視して美咲と実弦は食事を再開する。
 苦しむ誠に、店主が追加の水を持ってきた。
「まこっちゃん、何か大変そうだな……」
「ああ……やってらんねぇ。」
 自棄になって水を呷る誠。
 しばらくしてから、実弦が不思議そうに尋ねた。
「ねえミッキー、何でまこってぃみたいな人と付き合ってんの?」
 その言葉に美咲は食べようとしていた煮卵をスープの中へ落とし、誠に至っては飲んでいた水で再度噎せた。
「ごふっ……」
「……そ、それはえっと……男女のお付き合いのことですか?」
 困惑した美咲の質問に、誠がますます咳込む。
「そりゃそうだよ!」
「いや、あの……國井さんは私の彼氏じゃないので……」
「え?」
「まこっちゃんはなぁ、お嬢さんのボディガードなんだよ。」
「えーっ!あの、いかにも組長みたいな人がミッキーのボディガードなのかと思ってたのに!」
 飛び火した山鳥毛が、複雑な面持ちで実弦を見る。
「確かに山鳥毛もそうだが、僕とまこっちゃんもだぞ。」
「へー!ミッキーってお嬢様なんだね!」
「えっと……」
 そんな身分ではないのだが、正直に話していいのかわからない。困る美咲に代わって則宗が説明した。
「お嬢さんはごくごく普通のレディなんだがな。ちょいとわけあって、僕達が一時的に守っているわけさ。」
「そうなの?何か大変だねぇ。」
「ま、まぁ……でも、山鳥毛さんも則宗さんも優しいので。窮屈な思いはしてないですよ。」
 美咲の言葉に山鳥毛は照れたように笑い、則宗は頬杖をつきながら言った。
「こんなに気立ての良いお嬢さんなら、うちの嫁に来てもらいたいくらいなんだがなぁ……なぁ?」
 視線を送られた誠が、則宗を低い声で脅す。
「クソジジイが、水ぶっかけんぞ。」
「酷いなぁ、老婆心で言ってやってるのに。」
「お断り申し上げます。」
「則宗、笑えない冗談はやめてくれ。」
 次いで美咲と山鳥毛にぴしゃりと言われ、則宗は肩を竦めた。
「そうだよー。ミッキーにはもっと真面目で良い人の方が似合うよ。うちのへっしーみたいに。」
 今度は長谷部がとばっちりを食らい、憤慨する。
「なぜ俺の名前を挙げる!俺は主一筋だぞ!」
「へっしーってば一途~!」
「うるさい!」
 実弦に肘でぐりぐりと押され、苛立ちを露わにする長谷部。
 そのやり取りを呆然と見るラーメン屋の店主に、誠は一万円札を渡した。
「食ったらすぐに出てく……」
「いや、別にそんな焦んなくていいけど……まこっちゃん、仕事だからって無理すんなよ。」
 店主に心配され、誠は乾いた笑い声を上げることしかできなかった。

 昼食後に実弦達と別れ、美咲一行は病院へと向かう。
 病室に入ると、山梨から駆けつけた春花の両親が出迎えてくれた。
「美咲ちゃん!」
「おじさま、おばさま……」
 春花の両親とは面識がある。父親が、美咲に頭を下げた。
「迷惑を掛けてしまって、本当にすまない。」
「いえ、とんでもないです。大したお力にもなれずに……」
「そんな、十分よ。すぐに救急車を呼んで運んでくれたんだもの。」
 実際は通りすがりの各務が呼んでくれたのだが、感謝の意を示す母親に美咲は遠慮しがちに頷くことしかできなかった。
「あの、ところで……」
 美咲は右手に持っていた楽器ケースを持ち上げる。
「この子、うちで預かっていたんですけど……」
「ごめんねぇ、何もかも面倒見てもらっちゃって……」
「当分はこっちで娘の看病にあたるから、置いてってもらって構わないよ。」
 両親に言われて美咲は楽器を端に置いた。それからベッドを覗き込む。
「……春ちゃん、まだ起きないんですか?」
「ええ。全く動かないの。どうしちゃったのかしら……」
「この間電話した時は、元気そうだったのにな……」
 悲しそうに項垂れる両親に、美咲はいたたまれない気持ちになった。ふと、春花の楽器に目をやる。
「……あの、春ちゃんにマンドラを触らせてあげてもいいですか?」
 美咲の申し出に、春花の両親は顔を見合わせる。
「別に構わないけど……」
 返答に美咲は頷き、春花の楽器ケースからマンドラを取り出した。
 左手にネックを握らせ、右手をボディの上に置く。
「春ちゃん、わかる?春ちゃんの大事な楽器。私と一緒に弾いていた、マンドラだよ。」
 優しく語りかけても春花は無反応だ。不意に、触れている楽器から物悲しくなるような感覚が伝わってきた。
(……寂しいんだ。)
 美咲は彫り込みのあるリブ(直訳すると”肋骨”。マンドリンのように丸みを帯びた楽器は薄く切った木材を貼り合わせて曲線状のボディを形成することが多く、それが肋骨のように見える)に手を添え、心の中で語りかけた。
(きっと元に戻るから。そうしたら、春ちゃんも沢山弾いてくれるよ。だから、元気を出して。)
「ありがとう。」
「えっ?」
 はっきりとした女性の声が聞こえて、美咲は顔を上げる。だが、聞き覚えのない声の発生源がどこだかわらかない。春花は相変わらず茫然自失のままだし、辺りを見回す美咲を春花の両親が不思議そうに見ている。
「美咲ちゃん、どうかしたの?」
「今、誰か……いえ、何でもないです。」
 言いかけた疑問を美咲は撤回した。それから、春花に向かって言う。
「春ちゃん、元気になったらまた一緒に弾こう。約束だよ。」
 返事のない春花の手を、美咲はぎゅっと握り締めた。

3件のコメント

とある隠居

とても面白かったです。
映画の登場人物が出てくるの最高でした!
一つ、とても気になっているところがあります。最後のメールの相手、もしかして…ですよね!?

返信
銀扇

ありがとうございます!
どうにかして映画の登場人物(特に琴音ちゃん)と会話させたい一心で盛り込みました。

美咲のメール相手(旦那さん)、ご想像の通りでございます(*´ω`*)
実は、仮の主二人が記憶を消された後の話も頭の片隅で展開されていたりします。
刀剣男士がほぼ絡まなくなるのと、長くなってしまうので今回割愛してしまいましたが、つまりはそういうことになります。

返信
とある隠居

お返事ありがとうございます、作者様。
ああ、やはり…!それを聞いてさらにハッピーハッピーハーッピー(最近の猫ミームのアレ)になりました😂!
ふせったーも読ませて頂きました。そういう裏話大好きなのでとても興味深く拝読しました。本当に細かく設定を作り込まれていると感心致しました。
素敵な小説をありがとうございます。

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