2015特命任務始末・改稿 - 3/6

「今向かっているのは、その女子大生の自宅付近です。検証の結果、現状ではそこが一番敵に狙われやすいと判断しました」
すでに国家安全保障局の特別武装チームが後方支援に入っている。彼女の自宅から半径500メートル地点は謎のガス漏れという名目で、本人たち家族や周辺の住民の安全も確保した。

ずいぶん手慣れてるな、と呆れ半分、感心半分のような長義の口調に、遠慮がちな会釈で答える。
今日のはまだ良い方だ。いつかは実行部隊が時間遡行軍を撃破するまで、非公式審神者候補の帰宅を足止めするのに、支援チームがやれキャッチを装ったり、迷子に扮して道を聞いたりなど、地味な工作を繰り返した。それでも、そんな地道な裏工作が一番安く済むのだから仕方がない。

車内はつかの間の静けさを取り戻した。窓からは、平和そのものの景色が時速50キロのスピードで通り過ぎていく。腕組をしてそれを眺めていた青年は、独り言のようにぽつりと言った。

「この街の住人の中には、あの日、渋谷にいた者もいるかもしれないな。全て忘れているのだろうが」
倉橋や実弦のように代々、審神者の仮主の役を継いできた家の出でない者を、政府は非公式審神者候補、と名称づけた。
彼らは記憶を消された後、また元の日常を生きている。琴音や、あの少年もそうだった。彼の弟の命を奪った轢き逃げ犯は渋谷襲撃の半年後、警察の執念の捜査の結果、逮捕されて実刑判決を受けた。伊吹は今、行政の援助のもと、働きながら夜学に通っているというところまでは経過報告書で把握している。

次に彼らが秘められし力を発揮するのは、また2012年渋谷のような大規模な襲撃が起きた時に限られていた。何故なら時の政府が発足するのはもっとずっと未来の話──、180年以上も後だ。審神者の教育や管理をする機関もない状態で、余計な知識を与えることは混乱を起こすだけであり、また危険を招くことにもなりかねない。
このまま時間遡行軍の襲撃がなければ、彼らは記憶を取り戻すこともなく、平凡に一生を終えるのだろう。

「まぁ、それは俺も同じだ。3年前の記憶はすでに削除されている。君とこうして言葉を交わすのが、何度目かということすら覚えていない」
淡々とした語り口に、どこか寂しげな響きが混じっているような気がして、各務は危うくハンドルを切りそこねそうになった。
時の政府から出向されてくる刀剣男士は、帰還した後は仮の主の記憶を全て抹消されるらしい。そうしないと、仮の主に心が残り、任務に支障をきたすから、というのが理由だという。自分のような冴えない人間に、この誰よりも高潔で美しい刀がそのような思いを抱くなど、にわかには信じられない。
前回の時は、とにかく全てが初めてのことで、目まぐるしい状況を把握するので精一杯だった。そんな自分に彼が唯一、心の内を見せてくれた、と思えたのは本当に最後の別れの瞬間のみだ。避難誘導以外のことは何も出来ず、それでもどうにか最後まで離れずについてきた自分に、彼は言った。

「世話になったな──、各務」と。最初で最後に聞いたやわらかな声音に目頭が熱くなり、いつまでも顔が挙げられずに困ったことを思い出す。

「……人は、水をいくら手の中にすくっても、取っておくことはできませんよね?」
ステアリングを切りながら、気づけば各務はぶつぶつと呟いていた。バックミラーの中の長義が、意味をはかりかねて眉をひそめる。その様子にさらにあせりながら、早口で続けた。

「水って、個体じゃないから指の間からすり抜けちゃうじゃないですか。何か、コップとか湯呑とか、ものに入れないと保管できない。ようするにそれが記憶ですよね?」
急に意味の分からないことをまくし立てる仮の主に、刀の付喪神は、ああ、とか、うん、とか、困惑した相槌を打った。またしても各務の背中を冷や汗が伝う。何を言っているのだろう、自分は。

「でも、その、水は取っておけなくでもですよ? その時、水に触れて、冷たかったなぁとか、心地よかったなぁって気持ちは、覚えてると思うんですよ! あの時、記憶を消された人たちの中には、渋谷の交差点でふと何かを感じて立ち止まったり、スカイツリーの夕暮れに泣きそうになったり、そういう、断片的って言うんでしょうか、記憶のかけらみたいなものを持っている人が一定数いるようだ、という報告が、監視班からも上がってきてるんです」
緊張で乾いた唇を一度強く噛んでから、各務は言った。

「──だから、なにかの拍子に忘れていたはずの記憶が呼び起こされるということも、充分あり得ると思います」

一息に言い切ると、口をつぐむ。また重たい沈黙が公用車の中に広がった。言わなきゃ良かった、と各務は頭を抱えたくなった。今すぐ自宅に帰って、布団を被り、羞恥の叫び声をあげたい。運転していなければ絶対にそうしていた。
さっき自分が言ったことは今すぐ忘れてほしい──、いや、どっちにしろ、この記憶は長義には残らないのだか。

付喪神の視線が右から左に、ゆっくりと一巡する。「……君は、」とミラー越しの青年が各務に呼び掛けた次の瞬間──。

真っ赤な稲妻が車のボンネットめがけて放たれた。一瞬遅れて、耳をつんざくような雷鳴。衝撃で公用車のハンドルが大きく右に取られた。
横転する──。とっさにそう直感した。このスピードで横転したら、後部座席にいる長義の負傷は免れない。この時代に刀の手入れ部屋などは存在しないのだから、負傷したらそのままだ。

バックミラーに映る青年が、ぎょっとしたように顔を引きつらせた。バカ、とか、無茶するな、とか大方そういう類の台詞を言おうとしたのだろう。そんなことを思いながら、各務は逆方向にハンドルを回した。同時に蹴飛ばすようにしてブレーキを踏みつける。ギュルギュル、という耳障りなスリップ音を響かせ、遊園地のジェットコースターのように揺れる車内の中で叫んだ。

「掴まっててくださいっ!」

視界の端に民家に植えてある生け垣の残像を捉えた。相手が木なら最悪、大怪我で済む。一瞬の判断に迷いはなかった。各務は緑色の垣根目掛けて、ステアリングを一杯に切った。

12件のコメント

匿名

たいへんに!素敵!でした!!
語彙力ないのでこれしか言えない。写真の複製ください!!!

眠ル米

なるほど、それで我らが知るあのゲームが発生…? でも確か、『刀剣乱舞ONLINE』の始まりは2015年1月14日だから時間が足りない……。渋谷の記憶が微かに残る誰かさんがゲームを作り上げた所で、山姥切長義と言うキャラを後発で入れるように要請した、と言う所かなー。(後から権力で押し付けられたから、原作サイドからの扱いが悪くなりがち……と言う所まで考えてしまった。)

さっち……in廣島

脳内で映画刀剣乱舞の三作目(もはや、本編)が再生されてしまいました…尊すぎて、何度も声が漏れ出たので映画館ではなく脳内で良かったです危なかった…。

世界観の設定や、描写が素晴らしくて惹き込まれました。
所作や言動、布の動きまでも完璧な再生具合で、上質な美と緊張感でビリビリしました…。各務さんの顔色が悪くなるのも分かります。推しの魅力激し過ぎて魂が削れる感覚…良過ぎる…(顔色悪い理由はそれだけではないのは分かってはいますが)。
なにもかもが、たまらなく良かったです(語彙が消えました)。
この作品を経てまた、黎明を観返したいと思います。
ありがとう御座います!

ひむか

各務さんと山姥切長義の一挙一動が最高で、設定にも説得力があってとっても素敵なお話でした!
水の例えが口をついて出てくるくらい、各務さんはこの3年あのことを考え続けていたんだなぁと思うと感慨深いです。

依織

な、な、なんて素敵な……
最後のオチまで素晴らしく「読みたかった山姥切長義&各務さん」だー!!

匿名

素敵な各務さんと長義くんの話をありがとうございます!
記憶と水の例え、それを聞く長義くんの澄んだ瞳を想像してニコニコしちゃいました。

各務さん、末長く健康でいて欲しいなぁ……

匿名

ありがとうございます、ご隠居様
何て素敵なバディもの!!
長義さんと各務さんの関係最高です

匿名

御隠居様!!!
最高過ぎて語彙力が消えました!
確かに事故も災害もないのに突然の計画停電の上電気料金が爆上がりしたら現政府と電力会社を呪う自信がある(キリッ
各務さんは勿論のこと実弦ちゃんも元気にやってそうなのがまたいい。
次回作も楽しみにしております。

慈苑

素晴らしすぎるんですけど、ご隠居様実はプロだった?!
倉橋さんと実弦ちゃんが仮の主になる家系という設定がとても好き!
長義と各務の掛け合いに時々涙出そうになりました

謀叛人もどき

隠居最高!! ありがとう隠居!!!
自分は彼のためだけに存在している。最高。

花丸優をあげたい。

藤原惟光

長義さんと各務さんの距離感がとても好きです。

匿名

すごくすごく素敵なお話でした!!
丁度12時間前に映画初見してきたばかりなので、長義さんと各務さんの姿が、やり取りが、脳裏というか目の前に浮かぶようでした。

実弦さんが美容系インフルエンサーになってるとこと、各務さんが長義さんの正式名称を諳んじられるとこが大変に解釈一致で嬉しかったです(笑)

1ページ目の終わり方が本当に素敵で、ああ…と余韻に浸りながら次ページに来ると、まさかのというか待ってましたというかで、声出して笑ってしまいました(笑)
長義さんのコスプレ写真、私のTLにも流れてこないかな!!と思いましたが、実弦さんは多分ツイッターじゃない媒体でバズってますよね(笑)
あ、でも細やかに抜け目なさそうな彼女だから、ちゃんとツイッターでも有名人かもですね!

映画見てパンフレット読み終えて、くらいの、まだちょっとふわふわしてる状態でこのお話を拝読できたのは、長義さんと各務さんのお別れのシーンを重ねて堪能できた気分で、とても幸せな気持ちでいます。
素敵なお話を、本当に本当にありがとうございました!!

よろしければまた、次の作品も楽しみにさせていただけたらなと思います。

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