仮の主を抱え、白山は東京の街を跳んだ。
重い決意を下した幼い彼女の心は、しかし不安と恐怖が溢れそうな程に満ちているのだろう。白山の首元にギュッと抱きついたまま顔を肩口に押し付けている。この事態を境に何も受信できなくなったらしい白狐は、大人しく少女の胸元に収まっていた。
白山の向かう先、赤い稲妻が幾筋も断続的に落ちている。
あれは時間遡行軍の出現を現す光だ。それが雨のように降り注いでいるとなれば、敵の数は生半可なものではないはずだ。少女を抱く腕に力を込めて、白山はただ渦中の街へと足を進めた。
ーーーキイィンと剣戟の音が聞こえる。
視線を落とせば、白い衣を翻した刀剣男士が、遡行軍に囲まれながらその刃を振るっていた。男士自身の練度はかなりのものであるものの、数で攻める遡行軍に押されている。白山はふわりと地面へ降りると、狐を抱いたままの少女を物陰にそっと隠した。
「こちらで、身を潜めていてください」
「はっくん?」
「わたくしの狐を、よろしくお願いいたします。あるじさま」
少女に向けて不器用に口元を緩めた白山は、身を翻して彼の加勢に向かう。
気配に気付いたらしく振り向いた遡行軍を一振りで斬り果たし、先に戦う男士に声を上げた。
「亀甲貞宗、加勢いたします」
「あぁっ、助けに来てくれたんだね!さすがに数の多さに難儀していたところだからありがたいよ!!」
続け様に刃を振るって作った活路を辿り合流した亀甲貞宗は、戦闘中とは思えないような優雅な笑みを浮かべた。
ところどころ服は裂け、傷をいくつも作った彼の姿を至近距離で見た白山は、異変に気付きハッと目を見開いた。
亀甲貞宗の色が、失われている。
もともと貞宗は白を基調とした衣装ではあるが、そうではない。「色」という要素を吸い取られたように、彼を構成しているはずの全ての色が失われているのだ。
「ちょっ、亀甲モノクロ写真みたいになってる!?」
振り向くと、白山の仮の主の隣で青年が亀甲貞宗を指差し慌てている。
あの青年が彼の仮の主なのだろう。普通の人間が少女の母親の如く活動を停止している姿を、白山はここに至るまでの道中で数えきれないほど見て来たのだから。
「は、はっくんも!なんかへんだよ!!」
少女の声に、白山はようやく自分にも亀甲貞宗と同様の異変が起きている事に気がついた。
思わず凝視した己の手が、ジジ…ッと揺らぎ、白山はここが戦場である事も忘れて「なぜ、」と零した。
ガキン!と鈍い音が至近で上がり、ようやく白山は今の状況を思い出す。
音の正体ーーー敵の槍を弾いた亀甲貞宗はその衝撃によろけ、膝をついた。直後遡行軍の太刀による追撃を白山は己の刀身で受けるも、力が明らかに弱まっている。押し切られそうになる寸前に亀甲貞宗が太刀の胴を払い、その攻撃を敵が避けた事によりようやく距離が空いた。
「…どうやら、ご主人様達にもこの時代の影響が及んでしまっているようだね…!」
「手段は不明ですが、審神者と刀剣男士という存在に対して、改変を行っているものと推定されます」
力が出ない。
刀剣男士としての存在が揺らいでいるのがわかる。
この影響が他の男士にも及んでいるのであればーーー
「…戦況は著しく不利と判断」
「無視をされるのはやぶさかではないけれど…総てを無かった事にされるのはいただけないな」
そう自嘲する亀甲貞宗もジジッという雑音と共に姿がブレる。このままでは、顕現を維持できなくなるのも時間の問題だ。敵の軍勢が敢えて手を出してこないのも、刀剣男士という存在が消えるその時を待っているようだった。
気が早る。焦りが判断を鈍らせる。落ち着こうと己を戒めるほど、焦燥感が加速する。
表情の見えないはずの敵が、表情を笑みに歪ませた、気がした。
「はっくん!!」
膠着を崩したのは、小さな子供の声だった。
物陰から飛び出した白山の仮の主が、転がるように白山へと掛け寄る。
「あるじさま!?」
倒れ込むように抱きついて来たその身体を、白山はなんとか抱き留めた。
なんて無謀な事を、と咎めるより先に、白山は少女の瞳に気圧される。
「はっくんがいなくなっちゃ、やだ!!」
ぽろぽろと、丸い瞳から涙が溢れた。
震える手を動かして、少女は猫のポシェットから絆創膏を取り出す。
「おけがしてるとこ、バンソーコはるから!!
はっくんいなくならないで、わたしといっしょにママをたすけて!!!」
動物の絵が描かれた絆創膏を、少女は白山の手の甲にそっと貼り付けた。
白山は少女の顔を見て、自分の手の甲を見る。
怪我を負ってはいない、色を失くした己の手の甲で、可愛らしく描かれた動物の絆創膏だけがひどく鮮やかだ。
(ーーーああ、だから、)
白山の手がそっと、少女の頭に伸びる。
「あなたはこの時代の、わたくしのあるじさまなのですね。」
ぎこちなく、ゆっくりと、小さな頭を撫でれば、白山の仮の主は泣きながらくしゃりと笑みを浮かべた。
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