―――― 夜が来た。
明かりが消えた病室では、入院着の女が横たわったまま、外を眺めていた。
―――― 今夜もまた、あの化け物が・・・姑獲鳥(うぶめ)が来る・・・・・・!
息をひそめて闇から目を逸らす彼女の耳を、鋭い風切り音が叩く。
きつく目を瞑り、食いしばった歯が恐怖にカチカチと鳴った。
しかし、続いて聞こえてきたのは、ぱたぱたと軽い子供の足音だ。
ほっとして目を開けると、明かりの消えた病室に並ぶベッドの縁から、ぴょこぴょこと跳ねるような足取りでやって来る子供の頭が覗いていた。
「風邪ひいちゃいますよ?」
言うと彼は、細く開けた窓から吹き込む夜風に目を細め、背伸びをしながら閉めてくれた。
「ありがとう」
微笑むと、振り返った彼はにこりと笑って、ベッドの傍らにある椅子に、ちょこんと座る。
「早く元気になってくださいね、母上。
お外に出られるようになったら、僕とお庭で遊びましょう!」
床に届かない足をぶらぶらと振る子供に頷いて、ふわふわの頭をゆっくりと撫でてやった。
「帰れ」
目を吊り上げた監査官の、斬りつけるような声を柳に風と受け流し、彼はふわふわと笑った。
「もちろん帰るよぉ。
おうちはすぐそこだもの」
と、髭切は表に面した窓を指す。
道を挟んだ向かい側には、天満宮の鳥居があった。
「俺は少し遠いが、まぁ、近所と言えなくもない」
ふわふわと湯気をあげる湯豆腐の様子を見ていた膝丸が、お玉を取り上げる。
「兄者、もういいようだ。
長義も食べていけ」
「うるさい、自分の本丸に帰れ」
「まぁまぁ、山姥切長義さま」
別のテーブルに着く老爺が、穏やかな声をかけてくる。
「うちの御神刀さまですし、私が責任を持ってお返ししますから」
天満宮傍の湯豆腐屋に集っているのは、9月の事件を解決に導いた源氏の重宝達、そして彼らの仮の主であった倉橋だった。
「せっかく現世に来たのに、満喫できなかったからさぁ。
来ちゃった!」
膝丸によそってもらった湯豆腐に目を輝かせる髭切へ、長義は舌打ちする。
「気軽に言ってくれる・・・!」
「兄者、着物が汚れないように、この布をかけてくれ」
立ち上がった膝丸が髭切の背後に回り、首にナプキンを掛けた上、袖の端を帯に挟んで両手を自由にしてやった。
「ねぇねぇ、うちの弟、気が利くでしょぉ?」
「は?
うちの各務も負けていないが?」
食事の邪魔になる羽織は既に衣文掛けにかけて別室にあり、ナプキンは襟元に、両袖はコーリンベルトで摘まんだ上、背後に回して留めてある。
「皆さんが集まれば目立つからと、店を貸切ってくださっていますしね」
彼らの他に客がいない店内を見回して、倉橋はにこりと笑った。
「なぜだ、地味にしているだろう」
不快げに言った長義は今、濃紺の袷(あわせ)に黒とグレーの縞模様の帯を締め、確かに色合いとしては地味な部類だ。
襦袢の襟も、今は脱いでいる羽織もグレー。
唯一の彩りと言えば、羽織紐の中心に据えた青い飾り玉くらいだが、きれいに撫でつけた白銀の髪と深い湖の底を思わせる青い瞳が、地味でいようとする彼の、全ての努力を無駄にする。
対面する源氏の重宝達は、これは目立たない努力など端からするわけもなく、白地に黒のアクセントを入れた髭切の装いはシンプルながらも華やかで、黒地に紫のアクセントを入れた膝丸は渋すぎない落ち着きを出していた。
「各務さんも、和装でいらっしゃればよかったのに」
「いえ、私は・・・」
着流し姿の倉橋に言われて、各務は恐縮するように猫背を丸くする。
「装束なんて、どうでもいいじゃない。
お豆腐おいしいよ?」
にこにこと頬張っていた髭切は、『そうだ!』と、隣の膝丸を見遣った。
「今度、燭台切と歌仙を連れてこよう!
本丸でもこれが食べられるよぉ!」
「あぁ、それはいい」
「不可だ!」
頷いた膝丸にすかさず、長義が声をあげる。
「うちの祖を巻き込むな!
そもそもお前たちは、俺がなぜ2012年から離れられずにいるのか、事情を知っているのだろうに!」
「あぁ、帰れない子がいるんだってね」
あっさりと言って、髭切は小首を傾げた。
「これが公になると、まーた政府の人間の首が飛ぶんじゃない?」
楽しそうに笑う髭切に、膝丸も頷く。
「非常事態だからと言って、顕現できる条件を提示しなかった政府の責任だろう。
俺達の知ったことではない」
「あぁ、おっしゃる通りだ!
しかし!!」
寄せ豆腐に舌鼓を打つ髭切を、びしぃと指さす。
「事後処理を押し付けられた俺に、これ以上の厄介ごとを持ち込むな!!」
「次は抹茶すいーつ三昧したい!」
などとぬかす髭切たちと別れた長義は、こめかみを引き攣らせながら、各務が表に回した車に乗り込んだ。
「お・・・お疲れさまでした。
源氏の二振りのことは、本日中に本丸へお戻り頂くよう、倉橋さんにお願いしておきましたので・・・」
「いくら天満宮の御神刀だからと言って、甘やかしすぎだ!」
舌打ちした長義ははっとして、バックミラー越しに各務を見遣る。
「・・・まさか、三日月やへしきり長谷部まで再訪していないだろうな?!」
睨みつけると、各務は運転席で、気まずげに身じろぎした。
「三日月さまはいらしてませんが・・・長谷部さまは、お詫びの菓子折りを持って伺ったと聞いています」
「せっかく記憶を消したのに、余計なことをするな!!」
実弦も突然知らない男に詫びられ、菓子折りを押し付けられて、大層驚いたことだろう。
しかし、
「その点はご心配なく。
刀剣男士の記憶はなくても、国家安全保障局に協力した、という記憶は残っていますので、私から『お怪我をさせてしまったお詫びとお見舞いです』と連絡を入れておきました」
卒のないサポート体制には、長義も思わず感心した。
「・・・だったらいい。
目的地へ向かえ」
窓の外を見遣った長義は、観光客が行きかう街を眺める。
「京はいつの時代も賑やかだな」
「はい。
世界中から観光客が来ていますが・・・多すぎる観光客のために、色々問題もある現状です。
その点は徐々にすり合わせていかなければなりません」
「ふん、まどろっこしいものだな」
一気に解決できないのはもどかしいが、摩擦を生まないためには各務の言う方法が正しいのだろう。
「しかしさすがに、これから行く場所はここまで騒がしくないだろうな」
源氏のせいで寄り道をさせられたが、今回の長義の目的は『病院に現れる子供の幽霊』だ。
本当に怪奇現象なら放置するが、刀剣男士が行方不明になった本丸の審神者が、半狂乱になって政府に提出した情報と多くが合致する。
「迎えの男士も、既に到着しているとのことです」
「わかった」
先日の明石のように鬱陶しくなければいいと思いながら、長義は待ち合わせのホテルへ向かった。
ホテルのラウンジに入った瞬間、長義はひどい頭痛をこらえるように眉根を寄せた。
「予想はしていたが、明石より厄介そうなやつがいる・・・」
「なんのことですかな」
詰め寄ってきた一期一振を押しのけ、長義は一人掛けソファの前にしょんぼりと立つ青年へ目をやる。
「仮の主か」
「は・・・はい、柳と言います・・・」
長義の鋭い視線を避けるように、彼は深々と頭を下げた。
「数日前、秋田がいる病院の前でうろうろしていたので捕まえました」
「不審者かな?」
「いや・・・あの・・・」
長義の冷ややかな声には、慌ててかぶりを振る。
「研修医・・・です・・・・・・」
柳というよりは枯れたススキのように細く、頼りなげな青年は、うなだれるように再び頭を下げた。
と、
「柳さま、この度はご足労頂きまして、ありがとうございます」
長義の影から進み出た各務が、そっと名刺を差し出す。
「私、内閣官房国家安全保障局の各務と申します。
ご協力感謝いたします」
「あ、はい・・・・・・」
両手で名刺を受け取った柳は、おどおどした目で長義と一期一振を見比べた。
「あの・・・一期さんから、大体の事情は聞きました。
あの病院に出る子供の幽霊は一期さんの弟で、正体は刀剣男士って言う、刀の付喪神だって」
「へぇ・・・。
素直な人間だね。
そんなにもあっさり信じるものかな?」
ラウンジに設置されたテーブルを囲み、着座した長義の問いに、柳は頷く。
「子供の幽霊・・・いえ、秋田くんの姿は僕も見ましたから。
看護師さん達は、『仕事の邪魔をしないならほっといていい』って気にしてませんでしたけど・・・」
「それはまた剛毅な人間達だな」
呆れつつ言った長義は、注文した茶を運んできたスタッフがサーブする間、口を閉じた。
今の長義は黙っていれば、老舗呉服店の若旦那といった風情だ。
対面する一期一振も、仕立ての良いダークグレーのスーツの胸ポケットに白いチーフを覗かせ、シルクのネクタイは紺地にシルバーグレーとライトブルーの差し色を入れた、上品で落ち着いた洋装である。
秘書らしく控える各務と、新人研修中にも見える緊張顔の柳に商談中と察したのか、スタッフは手早くセッティングして去って行った。
ソーサーごとティーカップを取り上げた一期一振は、紅茶へため息をこぼす。
「秋田は刀剣男士というより、守り刀としての本能に引かれてしまったようなのです」
「ん・・・?
つまり、本丸で受けた任務外のことをしている、と言うことかな?」
帰還できなくなったのでは、と問う長義に、一期一振は眉根を寄せて頷いた。
「秋田は、この京都に本体がありますし、仮の主にも会えて、顕現することはできたのです。
ただし仮の主になったのは、療養中で動けない女人でした」
「原 志津子(はら しづこ)さん。
先月下旬に道端で動けなくなったために救急搬送。
切迫早産のため、絶対安静の患者様です」
柳の補足に、長義が頷く。
「あの時は念い(おもい)を奪われ、意識を失って病院に運ばれた人間も多かったからな。
鶴丸国永のように、入院患者が仮の主になったものは少なくないが、病床から動けないとなると、秋田の動ける範囲も限られたということか」
2012年に顕現した刀剣男士は、仮の主と離れると実力を発揮することはできない。
誉をあげ損ねたのは残念だろうが、全体の結果として、この時代に攻め入った時間遡行軍は殲滅できている。
「俺としてはおとなしく帰ってほしいのだが・・・」
「えぇ、我が主も、信じて送り出したのに帰ってこないと半狂乱でして・・・」
特にかわいがっていたからと、一期一振はまたため息をついた。
「しかし、柳殿から志津子殿のご様子を伺いまして、納得しました。
あの子は志津子殿が回復されるまで、お傍にいたいのでしょう。
それは粟田口の短刀が守り刀として重宝されたための本能と言うべきですが・・・ただ、このままではあの子自身に害が及びます」
既に、限られた時間しか顕現出来なくなっている、という一期一振に長義は頷く。
「先日の蛍丸がそうだった。
あちらの場合は時間軸のはざまに落ちてしまい、何かの拍子でこちらの世界に姿を現す、というものだったが、秋田の場合はこちらでの姿を保てなくなっているということかな」
ならば、と、長義はコーヒーカップを取り上げた。
「自身の本丸に帰せばいいだろう。
なにを迷うことがある」
「それができたら、いちいちご足労願わないのですよ、監査官殿」
にこりと笑った一期一振に、各務と柳はなぜか震え上がった。
例えるなら、白刃を喉元に突きつけられた感触だ。
「ご協力をお願いしたく」
「・・・・・・承知した」
今にも舌打ちしそうな顔で、長義は頷いた。
「あの・・・一期一振さまとは、どのような・・・・・・」
先般の事件から何振りかの付喪神とはまみえたものの、あれほど冷たい気を発する刀はいなかったと、未だ怯える各務に、長義は鼻を鳴らした。
宿泊用に取ったホテルの一室でスーツに着替え、脱いだ和服を各務へ渡す。
「あいつの主は、あまたいる審神者の中でも屈指の実力者だ。
現在政府が管理する二十一の国、その中でも五箇伝と称される古い五国の、古い審神者・・・」
忌々しげに舌打ちした長義の顔色を窺いながら、各務は彼の和服を衣文掛けに吊るし、帯を伸ばした。
そんな彼に、長義も独り言のように続ける。
「歴史修正主義者との戦端が開いた当初、時の政府が予想した敵の全数は八億四千万」
「そんな・・・!途方もない・・・・・・!」
日本の人口の約7倍である。
震える各務に、しかし、長義はため息をついた。
「そうだ、途方もない・・・。
だがそれが正しければ、奴が所属する本丸をはじめ、同等の実力を持つ本丸だけで既に制圧できていた」
「そんな本丸が?!」
驚く各務に、長義は苦々しく頷いた。
「あの本丸へ赴いた監査官が報告をあげていた。
戦績を見る限り、当初の予想が正しければ3年で制圧できていたはずだと。
所属するすべての刀剣男士の戦力は最大限まで高められ、当然、審神者自身の能力も最高値だ。
そんな本丸に反乱を起こされてみろ。
時の政府などひとたまりもない」
「そ・・・そんな本丸の審神者様を・・・半狂乱に・・・・・・」
思っていた以上の非常事態に、各務が青ざめる。
「一期の様子を見る限り、相当腹に据えかねているな。
早急に事態を収めなければ、激怒した審神者が何をやらかすかわかったものじゃない。
面倒だが、今夜中に片づけるぞ」
細い銀縁の眼鏡をかけた長義に、各務はぶんぶんと頷いた。
「職員用の出入り口はこっちです」
先に立って案内した柳は、しかし、ドアの取っ手に手をかけたまま、固まってしまった。
「どうした、見習くん。
鍵でもかかっているのか?」
動けない柳の背後から長義が声をかけると、彼は大きく息を吸ってドアを開ける。
先に長義たちを通してから、最後に入ってドアを閉めた。
しかし、やはりそのまま動けずにいる彼の俯いた顔を、一期一振がのぞき込む。
「いかがされましたか?」
優しく問えば、柳は泣きそうな顔をあげた。
「僕・・・研修中なのに・・・ここにはしばらく来られなくて・・・・・・」
「それはもしや、秋田のせいでしょうか。
幽霊だと思っていたそうですし、怯えさせてしまいましたかな?」
苦笑する一期一振に、柳は首を振る。
「それ以上に怖い・・・・・・!」
「それは!俺の!ことかな?!」
「ひぃっ!!」
悲鳴を上げて固まった柳だけでなく、各務もまた、驚いて壁に背をぶつけてしまった。
薄暗い廊下の先にいたのは、鬼の面をかぶり、仁王立ちになった男だ。
訝しげに見つめる長義と一期一振の元へ、彼はスキップしながら寄ってきた。
「柳先生に・・・君たちは、そうだ、研修医たちだ」
微笑んだ一期一振によって勘違いさせられた鬼が、ばたばたと手を振る。
「ほら!
回診に行くよ!
早く着替えて着替えて!」
「さっきの男はなんなんだ」
更衣室に案内された長義が、柳が差し出す白衣を羽織りつつ尋ねると、彼はしおしおとうなだれる。
「指導医の神崎先生です。
すごく優秀な小児科医です」
「あれが?」
「鬼の面をかぶって、スキップしておられましたな」
訝しげな長義と苦笑する一期一振に、柳は頷く。
「病気の子供たちはストレスを抱えていますから・・・和ませるための方法だそうです」
「あの面がどういった効果をもたらすのか知らないが、秋田が出てくる時間まで、情報収集はしておかなければ」
既に各務は、院長はじめ事務系のスタッフへの情報収集に走り回っている。
「ひとまず、あの鬼面の御仁について行ってみますかな。
面白いことがあるかもしれない」
一期一振に促され、三人は更衣室を出た。
「具合悪い子はいねがー!
薬飲んでない子はいねがー!!」
大声をあげて神崎が病室に乗り込むと、ベッドの上の子供達はきゃあきゃあと歓声をあげた。
「なまはげだったのか・・・」
呆れる長義は、死角から飛んできたゴムボールを軽々と避けて掴む。
「俺を狙うとはいい度胸だ。
強制的に眠らされたくなければ、布団をかぶっておとなしくしていろ」
肩越しに睨みつけた子供はしかし、怯むどころか隣のベッドの子供と協力して、次々にゴムボールを投げつけてきた。
「いい加減に・・・!」
「これはこれは、元気な子供達ですな」
微笑んでベッドに歩み寄った一期一振が、両手にゴムボールを持った女児の頭を撫でる。
「お嬢様、どうぞお静かに。
今日はお元気そうですが、どこか痛いところはありますかな?
お薬はちゃんと、お飲みになったでしょうか」
優しい笑顔で迫られた女児は、途端にもじもじとして布団の中に隠れてしまった。
「おやおや、こちらは天照大御神でおわしたか。
ならばこちらは須佐之男命であられるかな?」
ゴムボールを風船の剣に持ち替えた男児が斬りつけてくると、一期一振は大仰な仕草でしゃがみ込む。
「これは勇ましくお強いお子であられる。
きっと、苦い薬もお飲みになったことでしょう」
ねぇ?と尋ねられた男児は、顔を真っ赤にして、枕の下から薬の袋を取り出した。
「これは勇気のある行いですな。
では、私が苦くなくなる方法を教えましょう。
よいですかな?
これは、勇気あるものだけが知る方法ですぞ?」
わざと周囲にも聞こえるように言えば、子供達が枕や棚の後ろから薬の袋を取り出して、一期一振の元へ寄ってくる。
「なるほど、勇者がこんなにも。
では、お好きな味を選んでください」
言うや、一期一振は白衣やスラックスのポケットから、次々とゼリー、ココア、果汁のジュースなどを取り出した。
「いつの間に・・・!」
「病床のお子様にお会いすると聞いたのですから、当然の準備でしょう」
驚く長義に、一期一振は余裕の笑みを見せる。
「ちなみに、神崎殿には既に混合の許可を頂いております」
こんなところでも実力の差を見せつけられ、長義は悔しげに眉根を寄せた。
「粟田先生、すごいね!
あの部屋は重篤な患者がいない分、やんちゃな子ばかりで時間がかかるのに、いつもの半分で終わったよ!」
鬼・・・いや、なまはげの面を外して、神崎が嬉しそうに言う。
素顔の彼は、実年齢よりは若く見える、ごく普通の中年男性だった。
「ありがとうございます。
うちの弟達はもっとやんちゃですから、あの程度なら楽なものです」
にこにこと笑う一期一振に何度も頷き、神崎は長義の腕を叩く。
「長船先生は全然動けてなかったけど、子供は苦手かな?」
「苦手・・・というほど、慣れていないだけです」
どこかの本丸に所属していれば、否応なしに短刀と交流したのだろうが、今の長義は政府の刀剣で、やや交流がある長船の一派でも最年少だ。
謙信景光は短刀ではあるが、あの部屋にいた猛獣達ほど物分かりは悪くない。
「ま、研修してたら嫌でも慣れるよ!
それで、柳先生はまだ病室には入れないかな?」
廊下で身を縮めていた柳に声をかけると、彼はびくりとして頷いた。
「すみません・・・・・・」
「まぁ、あんなことがあったし、すぐに切り替えろとは言わないけどね」
慰めるように、神崎は柳の肩を叩く。
「もうあんなことがないように、精一杯あの子たちのお世話をしなさいよ」
「はい・・・・・・」
うなだれてしまった柳の顔を、神崎が覗き込んだ。
「先生もかぶる、なまはげ?
みんなが俺みたいになったら病院が地獄絵図だけど、たまにはいいかもよ?」
「自覚はあるのか」
思わず呟いた長義に、神崎はにんまりと笑う。
「こんなことやんのは俺くらいだし、許されるのは小児科くらいよ。
万年不採算部門だけどさ、必要とされる科でもあるでしょ。
小児科はいいぞ!おいでよ小児科!」
特に、と、神崎は一期一振に迫った。
「粟田先生、才能あるよ!
初回からあれはガチですごい!
小児科は君を待っている!!」
「えぇ、候補に入れておきます」
にこやかに当たり障りのないことを言う一期一振に、長義は鼻を鳴らす。
「じゃ!
次、行っといでキッズルーム!」
「は・・・?」
問い返す間もなく、長義は次なる地獄へ追いやられた。
「この俺を・・・甘く見るな!」
いつもの刀に比べて頼りない風船の剣を持った長義は、半身の体勢で敵に向き直った。
手に手に武器を持った小鬼の大軍である。
中にはゴムボールを抱え、次々に投擲してくるものもいる。
いくつかは避けたものの、一度弾き飛ばそうとして剣の方が割れたこともあり、慎重にならざるを得なかった。
「たああ!!」
打ち掛かってきた一人を避け、更に一人の剣を受け止める。
それをはじき返すと同時に、背後に迫った剣は身を翻して受け止め、更にはじき返す。
「おさふねせんせーすげー!!!!」
興奮した小鬼たちは、怯むどころか更に凶暴さを増し、次々に襲い掛かってきた。
「ここからは本気だ!覚悟しろ!!」
突きを交わし、横薙ぎに迫る剣を受け止め、はじき返して更に投擲されたゴムボールを紙一重で避ける。
「あんなにむきになって、可愛いですな」
襲い来る子供達と本気で戯れる長義に微笑み、一期一振は部屋の隅でちらちらとこちらを窺う女児を手招きした。
しかし、恥ずかしげに首を振る子に、自ら歩み寄る。
足に何人も子供達を絡めつつ近寄ってきた一期一振から隠れようとする女児の手を、彼はそっと取った。
「どうしました?
どこか痛いところでもありますかな、お嬢様?」
真っ赤になって俯いた子が、点滴の管に繋がれたもう一方の手を背に隠す様に、一期一振は微笑んで頭を撫でてやる。
「まだ小さいのに、大変ながんばり屋さんです。
恥ずかしくなんてないですよ。
病気が治れば、傷も消えるでしょうから」
「ほんと?
むらさきのいろ、きえる・・・?」
うるんだ目で見つめてくる子に、一期一振は大きく頷いた。
「ええ、もちろんです。
病気が治るまで、がんばりましょうね」
「うん・・・!」
隠していた手をそっと差し出してきた子にまた頷き、包み込んでやる。
「いたいのいたいの、飛んでいけ」
「あわたせんせー!わたしもー!」
「ぼくもー!!」
「はいはい、順番ですよ」
きらきらした目の子供達に囲まれて嬉しげな一期一振へ、長義は声を荒らげた。
「お前っ・・・!
楽をしてずるいぞ!!」
「話術の差ですな」
笑みを向けた先では、長義が子供達にしがみつかれ、動きを封じられながらもゴムボールを避け、風船の剣を受け流している。
「楽しそうで何より」
「お前が眼鏡かけろ!!」
思わず力を込めてしまい、風船の剣が音を立てて割れた。
「おやおや。
ちょーぎまん、新しい剣ですぞ!」
「くそっ!!」
一期一振が投げてよこした風船の剣を宙で掴んだ長義は、白衣を翻して斬りかかってくる小鬼の大軍に向き直った。
「・・・・・・・・・渋谷での乱闘より疲れた」
「お・・・お疲れ様です・・・」
病院1階にあるカフェテラスでテーブルに突っ伏す長義に、各務が書類で風を送る。
夕食の時間だからと、それぞれの病室に戻って行った子供達からようやく解放された長義は、一期一振に抱えられるようにしてここまでやって来た。
「他の研修医たちは、この後また雑用や書類の作成で忙しいそうですよ。
刀剣男士ともあろうものが、この程度でへばっていては、物笑いの種ですな」
くすくすと笑う一期一振を、長義が上目遣いに睨む。
「お前は女児たちとおしゃべりしていただけだろう!」
「遊んでいたあなたとは違い、情報収集をしていましたよ」
「俺に小鬼たちをけしかけた、の間違いだろうが!!」
声を荒らげる長義の前に、皿が置かれた。
「お腹すいたの?
パン食べる?」
「そしてなぜここにいる!!」
いつの間にか同じテーブルにいた髭切に、長義の目が吊り上がる。
「小腹が空いたから」
答えになっていない返事をする髭切を怒鳴りつける前に、ドリンクを運んできた膝丸が割って入った。
「山姥切長義、お前は現在の京を知らない」
「なんだと・・・?!」
何かあったのかと、座りなおした長義に、膝丸は真面目な顔で頷く。
「ここは日本屈指のパン好きの地。
有能な職人が腕を競い、人気店では開店間もなく売り切れる。
だが、入手困難なパンを食せるのが!この!卸先!!」
「職員と見舞客しか来ないからね。
買えるんだよ、ここなら!人気のパンが!」
「本当に今すぐ帰れ!!」
仲良く並んでパンを頬張る源氏の重宝たちに、長義はまた声を荒らげた。
「まぁまぁ、山姥切長義。
柳殿が怯えていますから、お静かに」
一期一振の声に見遣れば、各務と並んで座る柳が、枯れ果てたススキのように細くなってうなだれている。
「・・・そもそも、あの猛獣どもの相手は君の仕事じゃないのか?
なぜ部屋に入ってすら来なかった。
病室に入れない事情と同じなのか?」
長義が苦々しげに問うと、彼は首をすくめて震えだした。
「まったく、尋問じゃあるまいし・・・。
柳殿、胸につかえていることがおありなら、聞きますよ?」
ちなみに、と、一期一振は仮の主へ向けて微笑む。
「ここにいるものは各務殿を除き、人ではありませんので。
人形にでも話しかけるように、独り言を呟くといいですよ」
「しゃべる人形かも」
くすくすと笑う髭切を上目遣いに見て、柳はぼそぼそと話し出した。
「・・・小児科の研修に入って初めての日・・・でした・・・・・・。
朝に、風邪を引いたって受診にきた子がいて・・・。
風邪を引いた以外は、元気に見えたんです・・・・・・ほんとに・・・元気に・・・・・・」
なんの基礎疾患もない、普通の子供。
熱が高くなると少しぐったりしていたが、来週の遠足には行けるかと聞いてきた。
「・・・小学生の遠足には定番の山で、念のためにあったかい格好で行くんだよ、って言ったら、わかったって、頷いていたのに・・・・・・」
夜になって、意識がない状態で運ばれてきた。
手を尽くして処置しても、小さな命は削られて・・・朝には冷たくなっていた。
「急性脳症・・・です。
基礎疾患がない子供でも発症する・・・。
原因の一つはウィルス感染みたいですが、あんな風邪で・・・まさか、あんなにあっさり・・・・・・!」
ショックで立ち上がれなくなった柳を、同期の研修医たちは慰めてくれたが、彼ほどにショックを受けているようには見えなかった。
「僕も・・・覚悟は決めていたつもりでした。
でも、甘かったです・・・。
この時代、亡くなるのは高齢者や事故の被害者くらいだって・・・高をくくっていたんだと思います。
学校の成績が良かったから、なんとなく医学部に入りましたけど・・・親兄弟が医者の家で育った同期達とは、最初から覚悟が違いました」
神崎に言わせれば、『覚悟ガンギマリの連中』だそうだ。
特に小児科医が戦う相手は、病気だけではない。
時には子供の親や、行政とも戦う。
神崎の言う、『俺で気の強さは最弱レベル』はさすがに嘘だと思うが、柳は彼らの切り替えの早さについていけなかった。
「なるほどそれで、病院に入ることもできずにうろうろしていたわけですな」
頷いた一期一振は、柳の背を慰めるように撫でてやる。
「華岡青洲の例もありますし、さじの家に生まれたものの覚悟が違う、という話には同意しますな。
しかし」
うなだれた柳の顔を覗き込んで、一期一振は微笑んだ。
「あなたは、人の命を助けるすべを学んでいらっしゃる。
もし、あの時あなたほどの知識を持つものがいれば・・・救われるものもいたかもしれませんな」
「あの時・・・って・・・?」
顔をあげた柳を見る一期一振の目が陰る。
「大坂城・・・。
あの場所で亡くなったものの多くは、自ら命を絶ったものでした。
ただ、そのうちの幾人かは死にきれず、炎にあぶられる苦しみと恐怖に晒されていた・・・。
あの時の私に、太刀を薙ぐ手があったなら・・・彼らを苦しみから解放してやれたことでしょう」
しかしそれは、死を与えることだと、一期一振は呟いた。
「私達は、そのような救い方しかできない。
ですがあなたは別のすべをお持ちでしょう?」
頷きかけた柳に、
「そうだねぇ。
神剣の中には、病気治癒の能力を持ってるのもいるけど、ほとんどは斬るだけかなぁ」
「慈悲の剣というものだ。
苦しみを長引かせるのは気の毒だからな」
と、髭切と膝丸が余計なことを言う。
「・・・空気が読めない重宝はお帰りを」
笑顔でありながら、冷ややかな気を発する一期一振に、また各務が震え上がった。
「言われなくても、定崇(さだたか)が戻ってきたら帰るよぅ」
「ここで、彼の孫娘が養生しているのだ。
定崇の孫娘の事は生まれる前から知っているし、兄者も改めて刀の下をくぐらせたいと言うから、共に来たのだ」
髭切の、粉砂糖まみれになった手を拭いてやった膝丸が、出入り口を見遣る。
「噂をすれば影だ。
兄者、行こう」
「うん。
じゃーまたねー!」
「早く帰れ!!」
テーブルを叩いて怒鳴る長義を、各務がおろおろとなだめた。
「なんで次から次と!
嫌がらせか!
俺の邪魔をしているのか!!」
「誰もそんなつもりはありませんよ。
少なくとも私は、情報収集する間、小鬼達を引き付けていただきたかっただけです」
カップからティーバックを取り出して、一期一振は首を傾げた。
「あまりいい茶葉を使っておりませんな」
一言文句を言ってから、一期一振は『さて・・・』と、同席の面々を見回す。
「お嬢様方に聞き込みをした結果、うちの弟が最高に可愛いことが判明しました」
「なに言ってるんだ」
思わず真顔になった長義に、一期一振は嬉しげに微笑んだ。
「秋田は長い時間この場にいられないだけで、顕現すれば普通に肉体を持ちますのでね。
お嬢様方と遊ぶこともできるのですが、皆様が口を揃えておっしゃるのが、可愛い、親切、頼もしい、大好き」
紅茶のカップを持ったまま、一期一振は満足げに頷く。
「怖い目に遭ったお嬢様方からは特に好評でした。
この病院にはお化けが出るのだと。
それを秋田が退治してくれたと、熱心に話してくださいました」
さすが私の弟、と、自慢げな一期一振に長義が舌打ちする。
「もっとましな報告をしろ」
と、各務に言えば、彼はクリアファイルに入れていた書類を取り出した。
「院長はじめ、スタッフの方々と、看護師の方々にお話を伺ってきました。
特に看護師の方々はよくご存じで・・・その・・・・・・」
ちらりと、一期一振を見遣る。
「総じて言うなら、皆さん『秋田くんマジ天使』と・・・・・・」
「ほーぅらね?」
気に障る得意顔をされて、長義がこめかみを引き攣らせた。
「あっ・・・あの・・・!
秋田さまは、幽霊と違って人や物に触れられますから・・・」
機嫌の悪い長義の顔色を窺いつつ、各務は続ける。
「寝たきりで動けない方の元へ欲しいものを運んでくれたり、点滴でこわばった腕をもんでくれたり、眠るまで傍で話し相手になってくれたりと・・・お忙しい看護師の皆さんに代わって、甲斐甲斐しくお世話をしてくださるそうで、幽霊でもいいからずっといて欲しいとご希望です」
それに、と、各務は印刷した一覧を差し出した。
「現在入院中の方々にもお尋ねした、怪異の一覧です。
日時などは曖昧なところがありますが、消灯時刻を過ぎると多く発生するそうです」
並べられた事象は、壁から落ち武者のような化け物が現れた、床からいくつもの手が生えて足を掴まれた、天井から刀を突き付けられたなど。
「しかし、このような怪異に遭うたびに、秋田さまが現れて退治してくれたと。
秋田さまがいなければ眠れないとおっしゃる方までおいでです」
各務の言葉に、柳もぶんぶんと頷いた。
「僕も見ました・・・!
僕が病室に入れないでいる時・・・子供達が寝ている上を、骨のような・・・そう、刃を咥えた、蛇か魚の骨のようなものが飛び回っていたんです。
腰を抜かしてしまった僕の傍を走り抜けて、秋田くんがあっという間に全部退治してしまって・・・」
その上、と、柳は頬を染める。
「大丈夫ですか、って、心配してくれた顔がすごく・・・可愛かったです」
「ふふ・・・。
秋田がいい子で、皆さんに愛されているのは当然ですが、我が主もまた、あの子を愛しているのですよ。
まずはあの子の安全と、主の心の平安のため、我が本丸に戻ってもらいませんとね」
よろしいか、と、一期一振は柳を見遣った。
「はい・・・。
僕も、秋田くんには・・・その、ずっといて欲しいですけど・・・・・・」
しょんぼりと眉尻を下げて、一期一振を見上げる。
「お兄さんの所に、返してあげなきゃですよね」
テーブルに手をついて立ち上がった柳に、一期一振は嬉しげに笑った。
「消灯時間にはまだ間がありますが、そろそろ参りましょうか」
カップを置いて立ち上がった一期一振に、長義は舌打ちする。
「くそ・・・!
またあの猛獣どものいる場所に戻るのか・・・!」
唸る長義に、しかし、柳は首を振った。
「原さんがいらっしゃるのは産科です」
「だからなんだ」
「小児科とは別の科、別の場所です」
「は・・・?」
長義が、思わず目を丸くする。
「・・・待て。
じゃあなぜ俺は、あの猛獣どもの世話をさせられていたんだ?!」
「成り行き・・・ですね・・・」
「そんな成り行きあるか!!!!」
激昂して椅子を蹴った長義を、各務はおろおろしつつも懸命に宥めた。
「せ・・・先月までは僕、産科で研修していましたけど・・・。
もう、小児科に行ってますから・・・あの・・・・・・」
むやみに入っちゃだめだと言う柳に微笑み、一期一振は遠慮なく産科へと向かった。
すれ違う看護師やスタッフ、医師の気を逸らして、誰何も受けずに原志津子の病室へ入る。
「もうじきですな」
携帯端末の画面に表示された時刻に、一期一振は頷いた。
「柳殿、志津子殿を外に出していただけますかな?
危険がないように」
「は・・・はい・・・!」
遠慮がちに部屋へ入った柳は、各務に手伝ってもらいながら、眠っている志津子を起こさないよう、静かにベッドごと廊下に移動させる。
「秋田、もういいよ。
出ておいで」
「はいっ!」
時間軸の狭間から出てきた秋田は、きらびやかな戦装束を纏った手に自分の身体よりも大きな大太刀の首を掴んで、引きずりだしてきた。
「ちょっと待ってくださいね、とどめさしちゃいます!」
短刀を大太刀の首に突き立て、搔き斬ると、それは瓦礫が崩れるような音を発して霧散する。
「いち兄、来てくれて助かりました。
そっちは・・・えっと、政府の山姥切長義さんですね!
秋田藤四郎です!
よろしくお願いします!」
礼儀正しい短刀は、そう言ってちんまりと頭を下げた。
「早速で悪いんですが、お手伝いをお願いします!」
「は?
どういう・・・」
素早く横へ飛びのいた秋田の残像に向けて、刃が振り下ろされる。
時間軸の狭間に蠢くそれは、見慣れた敵の姿ではなく・・・。
「鵺・・・?!」
目を見開く長義に、秋田が頷いた。
「母上を狙っていた連中です。
結構な数がいたと思うんですが、出てくる端から斬っていたら、狭間に逃げ込んでしまって、そこで混じり合ってしまったようで」
大太刀の体から生えた複数の手には槍、太刀、大太刀が握られ、その背にはもう一面の顔。
長い髪を垂らし、背から生えた両手に薙刀を構えていた。
「姑獲鳥(うぶめ)・・・。
おなかの赤ちゃんを奪いに来た化け物だって、母上が怯えています。
僕一人で倒せたらよかったんですが・・・!」
屏風の虎だと、秋田は眉根を寄せる。
「僕がいるせいか、ずっと狭間から出てこないんです。
でもこっちから狭間に行くと、力が制限されて、倒せなくて・・・」
手伝いが欲しい、という秋田に頷いたものの、長義もまた、眉根を寄せてしまった。
「前回、狭間から敵を引きずり出せたのは、力士くんの神事と土地神の力添えがあったからだ。
だがこの場合は・・・」
「なるほど、こいつを引きずり出すだけの神通力がない、と言うことですな。
山姥切の霊刀で無理なら、俗世の私や秋田ではとてもとても・・・」
わざとらしい口調で、一期一振が首を振る。
「いにしえの都であれば、神剣は多くおられましょうに、なぜかここにはおられませんなぁ。
困りましたなぁ。
通りすがりの刀に、神剣の方はおられませんかー?」
お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか、のノリで一期一振が声をあげると、
「はぁーい!通りすがりの神剣でーす!」
「寺宝もいるが、役に立てるかな?」
と、帰ったはずの二振りが太刀を抜き放って現れた。
「なん・・・?!」
驚愕する長義の傍を、源氏の重宝達が駆け抜ける。
「鬼退治の始まりだ!」
狭間へと飛び込んで行く二振りに続いて、一期一振もまた、抜刀した。
「では、屏風の虎を引きずり出しましょうか」
病室内で戦闘が行われている中、廊下でも事態は差し迫っていた。
「ナ・・・ナースステーションに知らせてきます!」
走り去った各務に頷き、柳は院内用端末で産科医を呼び出す。
「は・・・原さん、産まれそうです!
点滴は外れてないのに、なんで・・・!!」
泣きそうな顔で言うと、回線の向こうから落ち着いた声で、『予定通りだよ。すぐに行くからそこにいろ』と、頼もしい声が返った。
震えながら待つ柳が、病室内に響く剣戟の音を恐る恐る覗き込むと、壁の中からどろどろと黒い塊が流れ出て来る所だった。
「危ない!」
「ひっ・・・!」
秋田の声が一瞬遅ければ、銃弾のように弾け飛んだ塊に撃たれ、蜂の巣にされていただろう。
壁に縋ってへたり込んだ柳の元へ、秋田が駆け付ける。
「柳先生!母上を・・・!」
小さな身体には意外な膂力で柳を抱え、立たせた秋田の背に槍の穂先が迫った。
「危ない!!」
思わず秋田を抱えこみ、床に転がった柳の首筋を、冷たい刃がかすめる。
が、確かに質量を感じたそれは次の瞬間、瓦礫が崩れるような音とともに霧散した。
「枯れススキくんのくせに、やるじゃないか」
未だ漂う黒い霧の向こうで、長義が高慢な笑みを浮かべる。
「は・・・・・!」
詰めていた息を吐く柳に、更なる援軍が到着した。
「なんで柳先生が産科にいるのか知らないが、ちょうどいいや!
手伝え!」
ナースたちと共にベッドに駆け寄った中年女性は、病室内の騒動に唖然とする。
「なんだこれ・・・!」
「佐々木先生!」
覆いかぶさる柳の下から秋田が顔を出すと、彼女の顔がとろけた。
「あっきゅんー!」
どこから出たのか、訝しむほどに高い声で秋田に呼びかけた佐々木は、
「今日もきゃわねぇ、あっきゅん!」
などと猫なで声を上げながらも、志津子の状況を確認する。
「分娩室に運ぶぞ。
ごめんねぇ、あっきゅん!
先生行っちゃうけど、また後でねぇ!
柳先生、急げ」
「あ・・・はい・・・・・・」
この切り替えの早さはさすがベテランだと感心しつつ、柳は佐々木と共にベッドを運んで行った。
「それじゃ、一気に片をつけようか」
「あぁ、そうしよう」
不敵に笑った源氏の重宝達は、鵺と化した時間遡行軍の腕を全て斬り飛ばすと、二振りして首に手をかけ、時間軸の狭間から全身を引きずり出す。
「手柄は譲ってあげるよ!」
「顔は立ててやらねばな」
「余計なお世話だ!!」
進み出た長義は鵺の頭を踏みつけ、、四肢を失って蛇のようにのたうつ首を刎ね飛ばした。
本体が霧散すると、室内にどろどろと流れ出ていた穢れも消え失せる。
「いや、さすがの神通力ですな。
我ら俗世の刀にはとてもできないことでした」
にこにこと笑う一期一振に、長義が詰め寄った。
「貴様には話がある!
一緒に来てもらおうか!!」
「よろしいですよ」
でもその前に、と、一期一振は秋田を呼び寄せた。
「秋田も、仮の主が心配でしょう。
様子を見に行きましょうか」
「はい!」
兄に頭を撫でられて、嬉しげに頷く秋田に、長義は苛立たしげに舌打ちする。
「そんなことをしている暇は・・・」
「あるでしょ?」
「あぁ、敵はすべて打ち払ったのだ。
別に構わんだろう」
のんきな髭切と共に病室を出た膝丸の背を睨みつけ、長義は渋々、彼らの後に従った。
―――― 数時間後。
深夜を回り、ひと際静かな院内に、赤子の泣き声が響き渡った。
祈るように手を合わせ、大きく吐息した倉橋の背を、髭切と膝丸が両側から撫でてやる。
「じいさま!産まれました!!母子ともに健康です!!!!」
まろび出てきた婿が、分娩室と繋がった映像をスマートフォンに表示させた。
「元気な男の子!!
俺!!
この子が大きくなったらキャッチボールして、公園で犬と走り回って、自転車乗れるように練習するんだ!!」
「随分と具体的ですな」
楽しげに笑う一期一振の膝から降りた秋田が、背伸びしてスマートフォンを覗き込む。
「はじめまして、この時代の主君。
秋田藤四郎です。
よろしくお願いします」
にこりと笑った秋田へ、長義が目をむいた。
「腹の中の赤子が・・・仮の主・・・だと・・・?」
そんなことがあり得るのか、と驚く長義に、秋田は嬉しげに頷く。
「僕もはじめは志津子さまが主君だと信じてました。
けど、なんだか違う気がするって思ってたら、僕、消えかかっちゃったんです」
彼女を狙う時間遡行軍は退けたものの、襲われたショックで志津子が動けなくなってしまった時のことだ。
「志津子さまに言われて、救急車を呼んだり、付き添ったりしている間も僕、狭間に落ちたりこっちに出てきたりで忙しかったんですけど、志津子さまが養生されるようになったら身体が元に戻ったんですよね。
それでわかりました。
僕の主君は、志津子さまじゃなくて、お腹の赤ちゃんだって」
そうとなったら、と、秋田は両の拳を握る。
「粟田口の守り刀として、僕には主君をお守りする責任があります!
仮の主君が無事にご誕生されるまでここにいさせてください、って、本丸の主君にお願いしたら、お許しをくださいました!」
「はぁ?!」
静かな院内に、長義の大声が響き渡った。
倉橋と各務にたしなめられ、咳払いをした長義は、恐ろしい顔で秋田に迫る。
「お前らの主が半狂乱で政府に訴えてきたから、俺は最優先でここの処理に当てがわれたわけだが?!
審神者が知っていたとはどういうことだ?!」
「それは私から」
秋田から長義を引き離して、一期一振が微笑んだ。
「もうご存じのように、志津子殿は倉橋殿のお孫さんでいらっしゃいます」
一期一振が見遣った倉橋が、一礼するかのように頷く。
「当初はもちろん、私達の知らないことではありましたが、敵がなぜか、志津子殿を執拗に狙うという秋田の報告を受けた我が主が、管狐に命じて志津子殿の系譜を調べましてな。
お腹の御子が、先だって世代交代された本丸の審神者殿の、ご先祖であられると判明しました」
「そこで彼らの審神者殿から、我が主へ相談があったのだ」
「うちの主もゴリ・・・ううん、強い審神者だからぁ。
演練でよく会うんだよね」
いけしゃあしゃあと言う膝丸と髭切に、長義のこめかみが引き攣った。
「だったらなぜ秋田が戻って来られなくなったなどと!!」
「だーって。
僕らが勝手に手を出したら、時の政府の事だもん。
うちの本丸に文句言ってくるかもでしょぉ?」
だから、と、髭切がにんまりと笑う。
「政府が文句を言えないように、主たちが企んだの」
「きっ・・・!!」
貴様らの本丸を処罰してやる、という言葉を、長義は辛うじて飲み込んだ。
何しろ、大侵寇でさえ軽々と退けた本丸の審神者達だ。
下手に機嫌を損ねれば、獅子身中の虫になることは間違いない。
「しかしこれで解決ですな」
「うんうん、よかったよー」
にこにこと笑い合う一期一振と髭切に、倉橋が深々とこうべを垂れた。
「孫とひ孫を救ってくださいまして、ありがとうございます」
「いいえ」
首を振って、一期一振は秋田を抱き寄せる。
「これは、秋田のためでもありましたから。
我が主は、秋田がやりたいようにやりなさい、と言ってくださいましたので、私も協力したまで」
「あ、僕たちはお供え物目当てだからぁ」
「昨日食べ損ねてしまった抹茶すいーつを頼む」
「承知しました」
のんきな重宝達へ、くすくすと笑った倉橋は、分娩室からよろよろと出てきた柳にも丁寧に一礼した。
「ありがとうございました」
「あ・・・!いえ、僕は・・・震えていただけで・・・・・・」
情けない、と、俯いてしまった柳の目線の先に、秋田が潜り込む。
「柳先生は、僕を庇ってくれましたよ」
「あ・・・うん、でも・・・必要なかったでしょ?」
「そんなことありませんよ!」
にこりと、元気に笑う秋田につられて、柳もほんの少し微笑んだ。
「柳先生は優しいです。
病室のみんなも言ってました。
痛いって言うと、どこが痛いかずっと聞いてくれて、お薬嫌だって言うと、なんで飲まなきゃいけないのか、お話してくれる。
でも・・・・・・」
小首を傾げた秋田が、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「よわっちいから、ボールぶつけるのはやめたげよ、って!」
「よわ・・・・・・」
苦笑して、柳は秋田の前にしゃがみ込む。
「子供達にまで気を使ってもらってたんだ・・・」
「ふん!
この枯れススキくんには、あの猛獣どもの世話役など到底務まらないだろうからね!」
腕を組んだ長義が、高慢に顎を上げてことさらに見下ろした。
「だが、極めた四振りでも制圧に時間がかかった穢れから秋田を庇ったのは・・・まぁ、枯れススキにも蓑程度の役は果たせたということじゃないかな」
「まったく酷いですな、我が仮の主に向かって」
嫌味を言う長義に首を振って、一期一振は柳へ手を差し伸べる。
「あなたは『柳』ですよ。
私の弟に、医学に通じているものがいましてな、聞いたことがあります。
柳の樹皮には薬効があるのだと」
一期一振の手を取って立ち上がった柳に微笑み、その肩に手を置いた。
「あなたは心労のあまり院内に入ることができなかった間にも、あの時どうすれば救えたのか、なにが原因なのかと、寝食を忘れて国内外の論文を調べておられた。
ご存じかな?
この2012年、急性脳症の原因は、まだ知られていない」
「え・・・?」
途端、柳は顔を真っ赤にする。
「じゃ・・・じゃあ、僕はとんだ勘違いを・・・!
もっと調べて・・・」
「いえ、実際にウィルス感染が原因なのですよ。
しかしそれがわかるのはこれから10年後くらいでしょうか。
それをあなたは、症例や統計をもとに見出した」
「おい・・・!」
それ以上言うなと、止めに入った長義を制し、一期一振は柳の肩を叩いた。
「臨床が恐ろしいですか?
病が、死が、恐ろしいですか?
ですがあなたは、その恐怖に怯えながらも逃げずに、細い光を探っておられた。
暴風にも決して折れぬ柳のように、震えながらも人間を癒すすべを探しておられた。
あなたは・・・覚悟さえ決まれば、良いさじになられると、私は思いますよ?」
「覚悟・・・を・・・・・・」
「決めちゃいなよー」
軽い口調で、髭切が笑う。
「今の日ノ本はすごいよー?
だって、ほとんどの赤子が生きて産まれるんだもん!」
知ってる?と、小首を傾げた。
「子供七つは神のうち。
僕がいる天神様のお社には、昔から子供を連れた親が七五三参りに来たけれど、ほんの百年前までは、初参りに来た子のほとんどがまず、三つになる前に死んでたんだ。
三つの子供が五つになるまでには更に減って、七つのお祝いに来てくれたのなんて、ほんの一握りだったよ。
それがさ!
ある頃から、初宮参りに来た子達がみんな、十三参りにまで来るようになったんだ!
本当にどうしちゃったんだろうって、驚いた!
でもそれって、君達みたいなおさじが頑張ったおかげなんだよね。
うちの子達、元気に育ててくれてありがとぉ」
「いえそれは僕なんかじゃなくて・・・!」
「いいから兄者の加護を受けろ、さじよ」
慌てる柳に、膝丸がにこりと笑う。
「兄者は凄いぞ。
刀の下をくぐれば病に罹らないとまで言われているのだからな!」
「うふふ。
くぐってみるー?
ご利益あるかもよ?」
楽しげに言って、えい、と、鞘ごと柳の頭上を薙いだ。
「おや、これは・・・素晴らしい加護をいただきましたな」
「定崇の血筋には、生まれる前からやってるでしょー。
志津子が無事じゃないわけないんだよ」
「もちろんそうですな」
和やかな二人の姿に、柳は詰めていた息を吐く。
「一期さん・・・秋田くん・・・!僕・・・・・・!」
顔を赤くし、額に汗を浮かべて、必死に言い募った。
「覚悟・・・決めます・・・!!」
「がんばってください!!」
小さなこぶしを握って笑う秋田に、柳は大きく頷いた。
―――― 夜が明け、ごねる刀達を各自の本丸に返したのち、宿泊先に戻った長義はぐったりとベッドに倒れ込んだ。
「・・・・・・こんなに疲れたのは初めてだ」
「次のアポイント・・・いえ、約束は3時間後ですから、しばらくお休みいただいて結構です」
スケジュール帳を手に、遠慮がちに声をかけた各務を長義は見遣る。
「お前も休んだらどうだ」
「私は24時間働けるアイテムを持っていますので」
「そんなものが?!」
起き上がった長義から、各務は歩を引いて首を振った。
「・・・これはバブル時代の遺物で、禁断のアイテムと呼ばれる代物です。
そうそう使えはしませんし、お勧めもできませんから」
「そうか・・・」
残念そうに言って、枕に突っ伏した長義から、寝息が漏れる。
「お疲れさまでした」
一礼した各務は、静かなアラームをセットしたスマートフォンを枕元に置いて、そっと部屋を出て行った。
―――― 数時間後。
車の中からぼんやりと外を見る長義へ、各務はバックミラー越しに微笑んだ。
10月初めの嵐山は賑やかで渋滞もひどく、車は遅々として進まない。
「寝てくださって大丈夫ですよ」
到着にはまだかかりそうだと言う各務に、長義は首を振った。
「・・・お前が寝ていないのに、ここで寝るほど厚かましくはないぞ」
ぎゅっと眉根を寄せて、寝ないように気を張る長義に、笑ってしまいそうになる顔を引き締める。
が、突然、
「止めろ!!」
鋭い声に頷き、出来るだけ早く、しかし安全に路肩に寄せた。
車が止まるや外に出た長義は、二人連れの観光客に向けて突進する。
「なぜいる!!」
突然怒鳴られた二人・・・いや、二振りは、それぞれが手にしたソフトクリームを掲げて笑った。
「弟を寺まで送るついでに、抹茶そふとを食べてたの」
「こっちは焙じ茶だ。
兄者、味見するか?」
「ありがとぉ。
こっちもお食べ」
「お前達は今朝、本丸に帰ったはずだろうが!!!!」
ソフトクリームを交換する二振りに長義が怒鳴り声をあげると、まぁまぁと髭切が笑う。
「自分の本丸に帰れずにいる男士が、相当数いるって聞いたよぉ?
そんなの、長義一振りじゃ無理でしょ。
だーかーら!」
膝丸と目配せして、長義へ向き直る。
「京の治安は僕らに任せてよ!」
「顔にクリームつけたやつの言うことなんか当てにできるか!」
寝不足による苛立ちのあまり、長義がヒステリックな声をあげた。
「お二方・・・!」
三振りへ駆け寄った各務は、この2012年における時の政府の代行者として、長義の心の平穏を取り戻すべく、源氏の重宝達の説得にかかった。
-了-
【あとがき】
スーツの次は白衣じゃね?という、実に邪な動機で書きました。
神崎先生は、よくヲタ話で盛り上がっている小児科医の先生をモデルにしてますが、無断なので内緒にしておいてください・・・。
今回、急性脳症や切迫早産について書いていますが、私は医療者ではないので、不確実なところもあるでしょう。
具合が悪くなったら自己判断せずに病院に行ってください。
なお、『シン・ゴリラ本丸同士が演練でよく会う』というのは、審神者レベルの上限が解放されると、1年くらい同じメンツで演練するからです。
倉橋さんが源氏の二振りと行動しているのは、映画の最後のセリフから。
『子々孫々まで紡いで行きたく存じます』より、継承の審神者さんはこの人の子孫なんだな、と思うと同時に、事後処理が必要な各務さんとなぜか倉橋さんだけは、この事件の記憶を保持しているんじゃないかと推察です。
そもそも源氏二振りが顕現した際に、『お待ちしておりました』と言っているので、天満宮にはそういう言い伝えがあるのじゃないかと思っています。
そして八億四千万を三年で制圧、というのは私の戦績から推測です。
就任3000日ほどで約908000勝。(秘宝の里などの小判使用イベントは含まず)
敵一隊の基本数は6体ですが、2体、4体の場合もあるので、一勝につき4体として3632000体破壊。
こんな本丸が一国に100あるとして、21国×100本丸=2100。
3000日で7627200000体葬っているので、当初の試算の9倍の数を破壊していることに。
一日2542400体なら330日、つまり1年以内に制圧しています。
もちろん、最初から21国あったわけじゃありませんし、就任当初からこの数はこなせないので、3年くらいが妥当かな、という手心を加えています。
ゴリラと言われる所以ですね。
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2023.4