翌朝。
昨日の出来事が祟ったのか、彼女は盛大に寝坊をした。
肥前が声をかけたときにはもう既に朝食を食べ終え、家を出ていないといけない時間だった。
慌てて準備をし、リビングへと駆け込み、母親から弁当を受けとるとそのまま全速力で飛び出していった。
学校へは徒歩5分だという。近さで選んだ!と自信満々に語っていたのは昨日のこと。
ひとつしたの弟は、少し遠い高校へ通っているそうで、起きた頃にはいなかった。
(薄情者と叫んだ少女にたいして母親が冷たく自業自得だといい放つ光景は、まるで本丸での刀剣男子達の日常を見ているような気分だった、と肥前は思っていた。)
「そういえば肥前って、学校大丈夫なの?」
「ああ。認識阻害できるよう術を施している。」
「ちなみに、学校まで瞬間移動できたりとかは…」
「しねえからさっさと走れ。」
「はくじょうものー!」
「自業自得なんだよ!」
数分前に母親に同じことを言われたのに懲りてないのかこいつは。
そう思いながらも、気がついたら彼女の手を取り、先導するように走る肥前の姿があった。
その事に驚いた少女は、なにも言わない方がいいと思い、引っ張られるに任せて走り、どうにか間に合うことができたのだった。
肥前は、少女の授業中、周囲に目を配らせていた。
学校周りから、どうにもきな臭い気配を感じたからだった。
時間遡行軍の気配に近いそれは、不穏な空気を運んできているようだった。
やはり、時間遡行軍はこの時代を書き換えようとしている。ここに来ているということは、狙いは彼女だろう。
「やらせねぇけどな。」
彼女の未来は守らないといけない。彼女はこの先に続く礎なのだから。
お昼休み。お弁当を囲んでいた少女はへこんでいた。朝の大疾走で母親特製のお弁当がぐちゃぐちゃになってしまったからだ。
友人たちにもからかわれてしまって、なんだかやるせない気持ちになってしまった。だが、そもそも寝坊した自分が悪い。味は変わらないから食べてしまおう。そう決めて箸を進めたその時だった。
「大変だあ!!正門に、へ、変なやつが!」
クラスの男子が駆け込んできた。
お調子者でいつも先生に率先して怒られているような男子だが、その表情は冗談を言っているようには見えなかった。
この学校には、正門に続く広場に小さな休憩スペースがある。天気がいい日は教師生徒問わず、そこで昼食を摂るのが日常の風景だった。
この日も例に漏れず、雲ひとつない晴れ空のもと思い思いに昼休みを過ごしていたはずだった。
その空気を一瞬にして壊したのが、突如として現れた、黒い、鬼のような姿をした化け物の大群。
その場にいた教師が咄嗟に生徒を室内へ避難させ、その中にこの男子生徒もいたのだという。
もしかしたら、あのとき見たあの黒いやつらかもしれない。そう思った少女は肥前の姿を探しながら、正門へと急いだ。
正門までの道中、肥前の姿を見つけることはなかった。心配になりながら昇降口までたどり着くと、戦っている肥前の姿が目に入った。
「…肥前の姿しか見えない、ということは」
彼女は眼鏡を少しずらす。そこには昨日の夜に見た姿が、昨日以上の数でいた。
他の生徒たちにも見えているのだろう。声をあげて逃げ惑うものが大勢いる中、彼女は波に逆らうように肥前がいる方へ進む。
彼女の目は、常人では見えないものが見えてしまう。しかし、眼鏡やコンタクトなど、目をおおうものがあるとそういった類いのものは一切見えなくなる。今回もその例がもれなく適用されたようだった。普通の生徒たちには見えている黒い集団 ー時間遡行軍の姿も、眼鏡をしていると彼女には見えなくなっていた。
彼女は、眼鏡を外して制服の胸ポケットにしっかりとしまった。
周りは見えなくなるが、あいつらの存在を認識できなくなるよりはましだ。
肥前が戦っている。なら自分もこの目を怖がってはいられないのだ、と手のひらをグッと握った。
「肥前忠広!負けるんじゃない!!敵を斬って!」
昨日のコンビニでのこと。
「ねえ、『肥前忠広』ってどういう人が使ってた刀なの?」
「…それを聞いてどうしたいんだ。」
「別にー。ただ、今日歴史の勉強してきたから、知ってる人かなーって思っただけ!」
そう問いかける彼女の声は明るい。肥前は少し考えたあと、岡田以蔵の名前をだした。
「それ知ってる!今日やったやつだ!すごいなあー。」
「怖く、ねえのかよ。人斬りの刀だぞ。」
「今の肥前は、怖くないよ。刀で見せられるとわかんないけど。でも先生がいってたんだよね。歴史って、見方によって解釈は変わってくるって。だから、肥前をみて、先生がいってたことちょっと納得したって感じ!」
肥前は昨夜のその出来事を思い出していた。
自分が彼女の元に遣わされたのは、きっとこういう意味だったのかもしれない。
彼女が負けるなと、敵を斬れというのであれば。
「それじゃ、斬るとするか。」
人斬りの刀としての本領を発揮しようではないか。
肥前の戦いは、全く無駄がなかった。確実に1体、また1体と敵の数が減っていく。
少女は、邪魔だけはしないように、息を潜めて、その戦いを見ていた。
目の悪さも相まって正確にとらえられてはいない。けれど、視界にはいる時間遡行軍の姿がどんどん少なくなっていっているのを見て、肥前の力の凄さを思い知った。
こんな刀を従えている人はどんな存在なのだろう。
少しだけ、興味が湧いた。
そして。
「…目の前のやつを斬れば勝ち。分かりやすいなあ!」
分かりやすい一騎討ち。黒い影が霧散していったのが見えた。
「…肥前!」
少女は肥前のもとへ駆け寄った。
途中、つまずきそうになったが、なんとかこらえてそのままかける。
彼女が肥前のもとにたどり着いたときには、桜吹雪が彼を囲んでいた。
「肥前、戻るんだね。」
「あぁ。どうなることかと思ったが、悪くなかった。」
桜吹雪が強くなる。もうお別れなのだ。
「肥前、ありがとう!」
「そうだ、お前そっちの方がいいぞ。顔がちゃんと見える。」
そう言って肥前は笑った。
彼女はその表情がよく見えなかった。慌てて眼鏡をかけると、そこにはもう肥前の姿はなかった。
「あーあ、今日やっぱりちゃんと起きてコンタクトにしておけばよかったな。」
そういいながらも、少女の顔は晴れやかだった。
それから時間は進む。
2012年への遠征から帰還した肥前は、本丸の主、審神者の部屋にいた。
審神者は視力が悪く、眼鏡とコンタクトを併用している。
今日は眼鏡をしていないようだった。
手元にあるのは親から譲り受けたという数世代前の当主の娘の日記帳。
「おかえりなさい、肥前忠広。」
そこのとある日の一文には、こんなことがかかれていた。
「大切な人を送り出す、出迎える時は、眼鏡よりコンタクトにすること!コンタクトならどんな表情も逃さず見れるのでおすすめ!それと、寝坊は厳禁!!」
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