その頃、南海先生は。/手鞠 - 5/9

「足、疲れたぁ」
寮を出て早数時間、夕暮れがくる時間までひたすら京都市内を歩き回った。岩倉は、学者風の恰好をした朝尊を勝手に体力がない方だと思い込んでいたが、まったく疲れた様子を見せない姿に武器を持って戦う士であることを、神様であることを感じずにはいられなかった。
「そろそろ今日は帰らん?って、朝尊、帰る場所あるん?」
「いや、僕達は刀剣男士だ。野宿でもかまわないし、夜中の方が鬼は出やすい。一夜市中を回ってみようか」
「うげ、それは俺、付き合わんからな。徹夜はようするけど、体力仕事は勘弁」
「しかし、仮の主が近くに居ないと本来の力は発揮できないのだが……」

と、言葉が途切れ、急に立ち止まった朝尊が見つめる先には、ひとつのポスターがあった。

「岩倉くん」
「なに?」
「京都は平成時代になっても、まだ妖怪が跋扈する世の中なのかい?」
「まっさかぁ!え、待って、どっかに見えたん?おるん?どこどこ!?」
笑い飛ばした後に、一瞬で青い顔になった岩倉は、慌てて朝尊の外套にしがみついた。
「いや、僕は江戸時代の終わりに打たれた刀だ。そういったことには、平安の刀たちと比べると疎くてね。この多色刷りの、瓦版のことだよ」
朝尊の指さすポスターを見て、岩倉は朝尊の外套から手を離し大きなため息を吐いた。
「朝尊が言うと、どれもありえそうやん、止めてやそういうの、もぉ!」
「おや、驚かせてしまったかな。それはすまない」
岩倉もこのポスターに向き直った。
「あぁ、これな、最近毎年やってる新しい祭りやねん。『一条戻の百鬼夜行』言うて、みんなで妖怪のコスプレみたいなんして練り歩くんやわ。」
「こすぷれ?」
「あ、えっと、日本語?日本語ぉ、仮装?」
「ふむ、妖怪の仮装を人間が…魔除けの儀式か。それはよくあることなのかい?」
「妖怪はさすがに…でも、物語の登場人物の仮装とか、今時普通やで?それにここはうちの大学の近くやからな、卒業式で手作りの仮装するヤツがおるんは伝統行事みたいなもんやし。朝尊の服装やって、大学に時々みかける『ちょっと変な格好したK大生』程度にしか思われてないんとちゃうかな」
ほら、こんな仮装な、と岩倉は卒業式の写真を携帯で朝尊に見せた。時事ネタを盛り込んだ、段ボールで作った手作りの仮装。それほど精巧ではないが、これが当たり前であれば、確かに朝尊の恰好は『独特な感性をお持ちの大学院生』程度にしか思われないのも納得できる。そういえば大学内を歩く時にも、作務衣、着物にカウボーイハット、ゴスロリ、猫耳の生えた人間などを見かけたことを朝尊は思い出す。
「あぁ、なるほど。それで認識阻害をしなくても、僕はこの時代の人間から咎められないのか」
(正直、あのウインクとやらは、僕は苦手でね…)とは、口に出さない朝尊であった。

「それが行われるのは、明後日の夜か。おや、一条戻に妖怪…もしかして、一条戻橋かい?」
「なんや昔、この辺はほんまに幽霊やら鬼やらおったらしいな」

一条戻橋。
平安時代、京都の一条大路に堀川を渡る橋として架けられていた橋である。
『戻橋』と呼ばれる所以は、平安時代、ある男の葬列がこの橋を渡った際に、男の死を聞いて急ぎ帰って来た熊野で修行中の息子が棺に縋って祈ると、雷鳴と共に死んだはずの男が一時生き帰ったという逸話とされる。

「なるほど、一条戻橋…渡辺綱…酒呑童子…」
南海太郎朝尊は、ポスターを見たままぶつぶつと呟き始め、岩倉は隣で怪訝な顔をしながら、朝尊の顔を見上げた。
「すべて、つながった。そういうことか。いやはや。」
「…あのぉ、俺、何もわからんのやけど…」
岩倉がおずおずと申し出る。
「今回の一連の出陣も、僕がここに来ることになったのも、元を辿れば、とある本丸が平安時代、『大江山の鬼退治』の歴史改変を阻止するべく出陣したことが発端なのだよ。
大江山の鬼退治を描いた『酒呑童子絵巻』はとくに有名でね。そこに登場する人物、源頼光とともに鬼退治をした渡辺綱という人物がいる。渡辺綱もまた、この一条戻橋に所縁のある人物だ」
「え、まってそれ怪談じゃないやんな…?」
「ある夜、戻橋のたもとに通りかかった渡辺綱は、美しい一人の女性がいるのを見つけた。その女性は『夜も更けて怖ろしいから、家まで送ってほしい』と言ったそうだ。渡辺綱は怪しみながらもそれを引き受け馬に乗せたところ、女はたちまち鬼に姿を変え…」
「ギャーーーーー!!」
突然叫び声をあげてその場にしゃがみ込んだ岩倉に、驚いて朝尊の肩が小さく跳ねた。
「何事かね」
「俺ホラーとか苦手なんやって。怪談ちゃうやんなって聞いたやん、もうやめぇ…」
しゃがんだまま弱弱しく肩を震わせる岩倉に朝尊は苦笑した。

自分たちは刀であり、元の主たちは自分たち刀を振るい、死と隣り合わせの人生を生き抜いてきた。今の主は直接刀を振るうことはなくとも、刀剣男士を戦場に送り込む将である覚悟を持っている。戦場に居なくとも戦をし、『命』のやり取りをしている。
それがどうだ。
学生とはいえ昔ならずっと昔に元服しているような大の大人が、こんなにも子供のように人前で怖がり、怯えることが出来る。戦国時代や幕末では考えられない。
なんと弱く、なんと脆い。
それほど、この世は平和で、身も心も鎧でくるまなくてよい時代なのだと、彼には悪いが、微笑ましく思ってしまった。

「…で、綱はん、鬼に食われたん…?」
恐る恐る、それでも続きを聞いてくる岩倉に朝尊は笑いかけたが、それがさらに恐怖を掻き立てたようで、「ひぃ」と小さく悲鳴をあげて、岩倉は耳を両手でふさいでしまった。

渡辺綱は、愛宕山へ飛んで行く鬼に髪を掴まれてしまった。京都の上空を行く途中で綱は鬼の腕を太刀で斬り落とした。
ここは空中、当然腕と共に渡辺綱は落ちてしまう。渡辺綱が落ちた場所が、今の北野天満宮であり、そして、その時に鬼の腕を斬り落としたのが、源氏の重宝『髭切』であると言われている。この事件後にこの太刀は『鬼切丸』と呼ばれ、現在も北野天満宮で大切にされている。

「そういえば、一条戻橋は、阿倍晴明にも所縁のある土地だったね。大江山の鬼退治のきっかけも、安倍晴明が『姫君がさらわれ、財宝が盗まれる事件は、大江山に住む酒呑童子たち鬼の仕業』としたから…ふむ、その土地で、この時期に、百鬼夜行…時間遡行軍は、この百鬼夜行に紛れて現れる可能性も考えられる、ということかね」

理解が深まれば深まるほど、今この状況で、髭切が北野天満宮を空けていることが悔やまれる。
この対処をするのに、髭切以上の適任はいないではないか。いや、しかし敵の大将はおそらく東京。となれば、髭切をそちらに派遣するのもやむなし。

「なぁんか、雨降りそうな天気になって来たな」
「おや、本当だ」

空を見上げれば、最初に見上げた秋空は暑い雲に覆われていた。雲間から覗く夕焼けがおどろおどろしく、雲を赤黒く染める。

「……来る」
「え?」
「伏せたまえ!」
朝尊の声とほぼ同時に、雷鳴が轟き、重い雲から黒い澱みが落ちてきた。
(化け、もの)
岩倉が腰を抜かしたその時には、朝尊は刀を抜き目の前の黒い異形―時間遡行軍―と刃を交えていた。
初めて聴く刀が交わされる音。ドラマとは違う、緊張感と息遣い。
畏怖と驚きと、わずかばかりの好奇心に、岩倉は目が離せずにいた。

(敵はそれほど練度は高くない、しかし、僕一人で一部隊を相手にするのは流石に骨が折れる……刀も、折れるかもしれない)
冷静に分析しながらも、四方から向かってくる刀を交わし、払いのけ、敵の胴に篭手に首に刀を振るう。
「夕暮れ、逢魔が時……鬼が力を発揮しやすい時間に来るとは、なかなか、賢い、もの、だね!」
そう言いながらも、朝尊は少しずつ後退していく。これ以上仮の主である岩倉から離れるのはまずい。しかし、朝尊一人で六振一部隊の相手をしながら岩倉を守り切ることは至難の業でもある。

(他にこのあたりに居そうな刀剣は…)
朝尊は、出陣前に見た資料を頭の中に広げた。
北野天満宮の髭切、それに付いて大覚寺の膝丸は東京へ向かった。
建勲神社の宗三左文字も、豊国神社の骨喰藤四郎も、東京に出陣したと聞いた。
京都国立博物館にいる陸奥守くんも(2012年はまだこの吉行の刀が『近江屋事件で龍坂本龍馬の暗殺の場にあった刀』とは人間たちは気づいていないが)…ふむ、東京出陣か。
笹貫、秋田藤四郎、桑名江は出てくることが出来るだろうか。出陣要請が出ており、尚且つ仮の主と出会えていれば、だが…
藤森神社の鶴丸国永写しや一期一振写し、本能寺の再現刀薬研藤四郎は、2012年にはまだ生まれていない。
あとは……

「ひぇっ!」
背後で岩倉のひきつった悲鳴が聞こえ、視線だけそちらに向ける。重症にした時間遡行軍が、それでも岩倉に近づき刀を振り上げていた。
「くっ」
向かいたいが、四振を撒くのは、さすがに無理だ。それならば、人間を、歴史を守ることが最優先……

「ダメ刀だからって舐めんな!!」
岩倉に刀が振り下ろされる瞬間、空からもう一つ、小さな影が降って来た。その影が地に着いた瞬間、目の前の黒い鬼は塵となって消えた。

「不動くん!よくやった!」
朝尊が大きく刀を振り、残り四振と一瞬距離を取る。
「おい、そこの奴」
「え、俺?」
目の前に現れた少年に話しかけられ見上げると、ずいと何かを差し出される。
「呑むなよ、それ、俺の甘酒だからな!」
「は、はい」
瓶に入った甘酒を押し付けられ、両手で大事に抱える。
その後は十秒もかからなかった。二振は残る敵を倒し、やや乱れた息を整えながら、朝尊は刀を鞘に納めた。

「不動くん、助かったよ」
朝尊は、救援に現れた不動行光に笑いかけるが、不動はふいと顔を反らして、岩倉に託した甘酒を奪い返してグイッと喉に流した。

「悪かったなぁ、残ったのがダメ刀でぇ~…ひっく」
「御不動様、お待ちやす」

そこに現れたのは、片手に甘酒を持ち、少しだけ顔を赤らめた、制服姿の小さなポニーテール男子と、遠くから走りづらそうに駆けてきた、舞妓さんだった。

件のコメント

匿名

クレバーで生き生きした先生と岩倉くんコンビも不動くんとお蘭ちゃんコンビも素敵でした!遡行軍襲撃本番に仮の主以外気付かない見事な作戦と未来の岩倉くんとお蘭ちゃんの交流まで素晴らしいお話を読ませていただきました。

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