その頃、南海先生は。/手鞠 - 2/9

「ふむ、ここが僕の担当、というわけだね」

時は西暦2012年。
東京を中心とした不穏な鬼の情報と、相次ぐ原因不明の意識消失の事例。
その調査と対応のため、時の政府から多くの本丸へ緊急出陣が要請された。
出陣は、任意。
ただし、記録媒体に残りやすい時代ということもあり、各本丸1振のみという限定された単騎出陣であった。

南海太郎朝尊が降り立ったのは、2012年秋、京都東山、荒神口。
「ふむ、随分とこの時代の秋とは、暑いのだね。京都は盆地とはいえ、まだ夏が残っている」
秋らしく高くなった空と、まだ夏を思わせる痛い日差しに、南海太郎朝尊は眩しそうに目を細めた。
昔よりも随分と整備された鴨川を背に、大文字へ向けて歩いた先。京都の旧帝国大学の広大な敷地のその一角に、古びた寮があった。
築百年はあろうか。
木製建築の二階建ては、それを随分と高く超す銀杏並木の向こうにあった。もう少し秋が深くなれば、空も地も覆う黄葉と銀杏の香りに埋め尽くされるだろう。
その寮の入口は狭く見えるが、その原因の一つはおそらく目の前の卓。入って早々卓を囲んで四人の男女が座り、ジャラジャラと牌を混ぜている。不法侵入の南海太郎朝尊を気に留める様子もない。
「失礼するよ」
一声かけ、無言の承認を受けたことを確認してから敷地に立ち入ってみれば、随分と奥行きがあるようだ。歩けば軋む板の音が、刀だった当時のことを思い出させる。
「自分で踏みしめる音とは、刀であった頃とまた違った感覚がある。ふむ、興味深い」
眼鏡をクイと直した南海太郎朝尊が一歩、また一歩と歩みを進める。
中は半開きの窓から落ち葉が舞い込み、狭い廊下の蛍光灯はチカチカと点滅している。扉の傍には狭い廊下に溢れ出た山積みの本たち、部屋をのぞけば窓辺には洗濯物が干され、いくつかが風に揺られて床に落ちていた。立て付けの悪い窓から外をのぞけば、庭なのだろうか、雑草生い茂る中に、鶏が日向ぼっこしている姿が見えた。
階段で二階に上がり、低い天井に少し腰を曲げながら、居住部屋の並ぶ廊下を歩く。
「僕を打った刀工の頃から、まぁ、五十年先頃の建物、といったところだね。京都にしてはまだまだ若い建物ではあるのだが」
半分扉の開いた部屋をのぞけば、万年床に寝転んで本を読む男がいた。
「すまない」
「・・・あんた、誰?」
寝癖のついた男は、少しだけ瞳に警戒心を見せたが、
「いや、人を探していてね。ここに住んでいると聞いたのだが」
そう伝えれば、すぐに興味なさそうに視線を本へ戻した。
「そうか。秋新人かと思ったわ。見つかるとええな」
そうして彼はもうこちらに意識を向けることもなく、すぐに読書の海へと潜っていった。

さて、なぜ南海太郎朝尊が、古びた大学寮をさまよっているかと言うと、そこにいるはずの『仮の主』を見つけるためだった。

ただでさえ出陣の機会が少ない平成時代。その上今は特殊な状況で、主からの霊力供給も不安定。
南海太郎朝尊も、今は人の姿を保っているとはいえ、ここで存分に戦えるかと言われると、いささか無理がある。

そのためこの時代に生きる「仮の主」との契約を結ぶことで、この時代で動くための霊力供給を得るのだ。

しかし問題は、その「仮の主」の名前も、姿も、来歴もわからないこと。この場所に顕現した以上、近くに居るとは思うのだが、さて……。
行く当てもないので、とりあえず寮の中をうろうろと物色する。幕末にはなかったカラクリに、興味深い書物、本丸の仲間たちのおかげで少し見慣れた洋装。
「こんな時でなければ、じっくり観察したかったのだが、残念」
そうポツリと漏らす声は、その先から聞こえてきた、鉛筆を走らせる音と重なった。

歩みを進め、忙しなく音の立つ部屋をそっと覗けば、そこには一人の男がいた。
彼は畳に大きく広げた白い紙に、なにやら書き綴っている。その文字は走り書きで、漢字や平仮名、英語に数式も混ざっているようだった。

彼だ。

ただの、直感だった。
さっき話した男とは感じる空気が全く違う。どこか懐かしく、初対面どころかまだ後姿であるのに、人心地着いたような気持ちになる。
(僕は刀、なのだがね…)
人心地とは面白い、と思いながらも、一心不乱に何かを書いている彼の、猫背な姿をしばらく眺めた。

件のコメント

匿名

クレバーで生き生きした先生と岩倉くんコンビも不動くんとお蘭ちゃんコンビも素敵でした!遡行軍襲撃本番に仮の主以外気付かない見事な作戦と未来の岩倉くんとお蘭ちゃんの交流まで素晴らしいお話を読ませていただきました。

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