更新履歴

うんじょーちゅらかーぎー/べに

要領が悪いと言われる。
人一倍動いたつもりでようやく人並みと言われる。

この、ブラック企業に片足をズブズブに突っ込んでいる会社に押し込められて八年。
見事に飼い慣らされた社畜の完成だ。

今日も終電が無くなると、手元の押し付けられ仕事と時計を交互に見遣り、ため息をつく。
「つかれた…」
ポツリと呟いたその時。
薄暗いオフィスに、さぁ、と、風が吹いた。
「…なに…?」
懐かしい、奥底の記憶を掻き回すような、その風の香りは、此処には酷く不釣り合いで。
何が起こっているのか分からないまま、風はいよいよ強さを増し、思わず眼を閉じる。

「あがっ」
ゴッ、という鈍い音と、聞き慣れない声色。
「は?なになになに!?」
目の前に広がっていたのは、仄かに光を放つ様な美しい青。
「あぁ、やーが俺ぬ縁(えにし)を掴んだか」
色と、香りと、音が、怒涛の様に、閉じ込めていた愛おしい記憶を引き摺り出す。

『***、よく来たねぇ』

柔らかい微笑みを浮かべる彼を、不躾と思いつつ上から下、下から上へと見やる。
「キミは、一体なに?」
誰とは聞けなかった。
きっと、ヒトではない。
でも、危険な存在でもないと、思う。
「俺は、刀剣男士と呼ばれるものだ」
「刀剣男士…?」
「あぁ」
腰にある綺麗な装飾の刀?に触れながら、ゆっくりと教えてくれた。

要約すると。
刀剣男士とは、刀に宿った魂がヒトの姿を持ったもの。
それは、歴史を改竄しようとする存在の行動を阻止すべく生まれた、今のこの時代より、ずぅっと先の、ちから、らしい。

受け入れられたのは、そもそも彼が「常識外」の現れ方をしたからと、彼が持つ、人間離れした気配。

陽だまりのような暖かさと、潮風のような掴めなさと、奥深くから感じる悲哀と。

それらは、私が彼の言葉を真実だと思うのに十分だった。

「なまぁ、俺は本来のぬーしからとぅーさんばぁ、随分と力がねーんなとーんやぁ…あんくとぅ」
『今、俺は本来のあるじから遠いから、随分と力が無くなっているんだ…だから』
そこまで言って、は、と、言葉を切った。
「あぁ…すまん、俺が何言っているか、わからんだろう、やまとの言葉で、話さなければ…」
眉を八の字にして、困った様に、笑う。
「ううん…大丈夫…なんとなくわかるから」
すっかり忘れたと思ったけれど。
「私、大好きなおばぁがいるの。父方の祖母なのだけれど…ずぅっと島を離れないで暮らしてる人だから、君みたいな話し方してる」
父は早くに島を出て家庭を持った。
そうして生まれた自分は、夏休みになると会いに行って、沢山、沢山、話をした。
歌の様に紡がれる、おばぁのうちなーぐちが心地良くて。
もう、何年も直接会えてはいないのに、彼の言葉は、遠い記憶を呼び起こしてくれた。
「あんまり難しい言葉はわからないけれど…大丈夫」
「おぉ、そうかぁ」
それはそれは嬉しそうに笑って。
「じゃあ、しまくとぅばで話すから、分からなければ、教えてくれ」
頷くと、彼は姿勢を正した。
「俺の使命は、分かったか?」
「うん…歴史を変えようとするやつらを、倒すんだよね」
「やさ。あんくとぅ、ぬーしーからとーさんばぁ、俺のちゃーぬちから、半分もねーんどー」
『そうだ。だが、あるじから遠いから、俺のいつもの力、半分も無いんだ』
「待って、待って…えっと…」
「ちーよーでいーぞー」
そう言う問題じゃ無いと思いながら、彼の性格はなんとなく分かったのでそのまま続けた。
「ちーよー、じゃあ、その歴史を変えようとする奴が、今、この場所?に、いるって事?」
微かに眼を細めて、ちーよーが頷く。
「でーじな事になる。やしがー、いふーな力がまさってしまってな、ぬーしーも、こうして、本丸でいっちんちゅんばー俺を、てぃーち、うくゆんくとぅしか出来なかった」
『大変な事になる。だが、妙な力が勝ってしまってな、あるじも、こうして、本丸で一番強い俺を、一振り、送ることしか出来なかった』
苦々しそうに言って、私の手を取る。
「やーは俺と、俺のぬーしーと、ちかさんばーよ。やーぬはーめーが、俺のかつてのぬーしーと、何か縁があったのかも知れないなぁ」
『お前は俺と、俺のあるじと、違いんだよ。お前のお祖母様が、俺のかつてのあるじと、何か縁があったのかも知れないなぁ』
その手は大きくて、少しだけひんやりとしていた。
「たぬむん…俺の、いっときのぬーしーに、なってくれるか」
『頼む…俺の一時のあるじに、なってくれるか』
「…そうしたら、ちーよーは、いつもの力が出せるって事?」
頷く。
「やしが…いくさだ…」
『だが…戦いだ』
「…そうなんだろうね…でも、ちーよーは、その為に来たんだよね」
「あぁ…」
たった一振り(ひとり)で、あるじから切り離されるように、祈りと共に、この時代に送られた、ちーよー。
「私、君のぬーしーに、なるよ」
その言葉に一度見開かれた眼は、また柔らかく細められる。
「あぁ…にふぇーでーびる…」
『あぁ…ありがとう』
握られた手に、微かに力がこもる。
「ぬーしーやー俺がかんなじ守る」
『あるじは俺が必ず守る』
「うん」

優しい彼は、きっと私が嫌だと言ったら、そうか、と言って終わりにしただろう。

「いぬちやーてーしちだ」
『いのちは大切だ』
「分かってるよ。でも同じくらい、沢山の人が、いっぱい頑張って、良いも悪いも積み重ねた先にあるのが、今の、これから先の、歴史でしょ?後から簡単に、ひっくり返されたくないよ」
ちーよーの目が細められる。
本当に彼は、優しい顔をしている。
「…ぬーしー、俺のなーを呼んでくれ…俺のなーは…」

「「千代金丸」」

守るものとは∕紅紀

「僕は毛利藤四郎と言います。短い間ですがお世話になりますね!」

周りに流されるまま何となく受けた学芸員資格認定の不合格通知が届き、やっぱり無理だったじゃんとベッドでゴロゴロ腐っていたある日、突然ワンルームへ桜吹雪と共に派手な髪色の少年が現れた。
当然ながら唐突な事でフリーズしたのは言うまでもなく、そのまま脳内では某RPGの「なかまにしますか?」のテロップが浮かんでいた。

戸締りはしっかりしていたはず。
ドアスコープも水道修理業者のマグネットで塞いでいるし、新聞受けも覗き対策に鏡を仕込んであるから覗かれる心配もない。
窓も帰ってきてから一度も開けていないし、割れた音もしなかった。
なのにどうやって入ってきた?

「…ボク、いったい何処から入ってきたの。お母さんとお父さんは?それに軍服みたいなの着て何かのごっこ遊び?」

不法侵入云々は子供にはわからないだろうとベッドから起き上がり、屈んで目線を合わせると出来るだけ優しい口調で問えば不満な顔になったのは言うまでもない。

「何処って今さっき到着したばかりですよ。それにごっこ遊びでもありませんし、僕は子供じゃありません」

室内なのに気が付いたのか帽子と靴を脱ぐ辺り、まだお利口さんな部類の少年の言葉に私は疑問符がまた一つ増える。
子供じゃないと言う少年の頭から爪先まで観察するもやはり子供のそれで「子供じゃん」と結論付けるまでそう時間は掛からなかった。

そうじゃないと言うなら何なのだろう?
ふと昔見たパニックホラー映画が脳裏に過ぎる。

「まさかエ〇ターみたいに子供のフリをした…!」
「そのえす〇ーと言うのはわかりませんけど、違います」

うん、キレッキレなツッコミだ。
それから信じていないなとじっとりとした目をした少年は腰に差した警棒のような物を手にトコトン説明してくれるまで約二時間。
まだ半信半疑な私を無理矢理納得させる為に少年の姿を消して刀が宙に浮くなんて状況まで見せてくれたのだからもう納得するしかなかった。
こんなオカルト案件、実際に見ないと誰も信じないって!

吾亦紅∕紅紀

鼻の奥を突くようなシンナー臭に自然と眉が寄る。

2205年から任務で出向いた一世紀近く前の現世で明石国行は仮の主となった女人に爪紅を塗られていた。

「…臭いんやけど」
「マニュキュアだからしょうがないでしょう?そういう物」

仕事をしてると出来ないんだよねーっと若草色をはみ出さないよう丁寧に塗るこの女人はふりーたーと言う職業らしく、爪紅等派手に飾り付ける事が出来ない為に突如現れ行動を共にする事になった明石を代わりに飾り付ける事にしたのだ。

一体何の為に己は現世へやって来たのやら。
楽しそうに爪を飾る彼女にもう好きにしてくれとばかりに形の良い口から何度目かの溜め息が零れる。

漸く片手が塗り終えたのかもう片方を寄越せと手を伸ばす彼女に大人しく差し出しながらもその御魂へと意識を向ける。
ああ、やはり覚えがある気配がする。
明石はかつて関わっただろう人の子のそれを感じ取り、懐かしさに目を細めた。

明石国行は己を大切にしてくれた人の子をよく覚えていた。
それは分霊だろうと刀剣男士となろうと変わらず本霊から分け与えられた大切な物語の一つ。
それが例え生まれ変わりだとしても見間違う事はそうないだろう。

「何か付いてる?」

無意識に見詰めていたのだろう。
彼女の言葉に我に返ると態とらしく肩を竦め、戯言を転がす。

「付いとるなぁ。鼻と口と目ぇが」
「当たり前じゃん」
「そうやな」

そんななんでもない穏やかなやり取りを交わす。
ただ物言わぬ物だった頃は叶わなかった事。
それがまた嬉しい。楽しい。悲しい。
任務が完了すれば彼女の記憶から己の存在は無かった事にされるとわかっていても覚えていて欲しいと願いたくなるのはいけない事だろうか。
蛍丸が投棄されたと知った時とはまた違う胸の痛みから目を逸らし、己に課された勤めを果たすべく次へ繋げる事にした。

「なあ、ちょい付き合ってくれへん?」

 

香をたづねてぞ/くれは

 内閣官房国家安全保障局。
 国家安全保障に関する外交・防衛・経済政策の基本方針・重要事項に関する企画立案・総合調整に専従する、重要機関である。
 優秀な官僚の中でも、抜きんでて有能な者のみが所属を許されるそこに、彼は配属された。
 各務一。
 凡庸な面立ちに猫背気味の立ち姿。
 分厚い黒縁眼鏡の奥の目は、能吏達の鋭い眼光を避けるように、おどおどと下を向いている。
 その様が気に食わないのだろう、同僚の一人があからさまに舌打ちをしたが、各務は反駁することもなく、肩を落としてそっと吐息した。
 そもそも彼自身ですら、この場にいることが不思議でならない。
 国家公務員とはいえ、元々彼は国家戦略などとはほど遠い場所にいた。
 彼は数年前まで、文部科学省内、文化庁に所属する役人だった。
 日本各地の城跡、神社仏閣、博物館や美術館をうろうろしては、神職や僧侶にお茶をふるまってもらったり、学芸員と長話したりと、それなりに楽しくやっていたのに、なぜかこの重要案件について、白羽の矢が立ったのだ。
 推薦人は、京都の天満宮で神職を務める倉橋だという。
 なぜ、と尋ねると、彼は目元に深いしわを寄せて、『お告げでしょうか』と、心地よい声で笑った。
 「あなたは好かれておいでだから」
 と、更にわけのわからないことを言われて戸惑う各務に、倉橋は宝物殿に並ぶ数々の名刀を示した。
 意外と知られていないが、刀剣類の所持登録は各自治体の教育委員会が行う。
 その関係もあって、各務もそれなりに刀剣にはかかわってきたが、好かれるとは、所有者達からだろうか。
 仕事が丁寧すぎて時間がかかると、刀剣商に苦笑されることも多い彼が、倉橋にまで聞こえるほど、好意を持たれているとは考えにくい。
 そう言うと、
 「いずれ、わかりますよ」
 と、倉橋は莞爾として笑う。
 その笑みに背中を押された気がして、彼はたたらを踏みつつも、この場所へ足を踏み入れた。
 いずれ起こるかもしれない。
 もしくは起こらないかもしれない国家の重要事に向けて、準備をするために。

 「まさか、本当にこんなことになるとはな」
 まだ信じられない、という口調で、官僚の一人が呟いた。
 内閣官房国家安全保障局内にある、地下の一室である。
 「しかも、あの各務が仮の主だと」
 この国の危機に対し、最前線で戦う使命を帯びた官僚達が優秀でないはずはなく、当然、プライドも高い。
 そんな彼らにとって、今この時まで存在さえ忘れていた昼行燈の下に就くなど、この上ない屈辱ではあった。
 「窓際で日向ぼっこする血税泥棒かと思っていましたよ」
 揶揄するように口の端を曲げた官僚の耳に、革靴の足音が響く。
 「おいでだ」
 立ち上がる官僚達の中で、『靴を響かせるなんて、女議員かよ』と、誰かが嫌味を呟いた。
 しかし、勢いよくドアが開いた瞬間には皆、しかつめらしい顔を並べて、彼の前に整列する。
 山姥切長義。
 約200年後の世界から来たという、時の政府の監査官だ。
 その身は人ではなく、刀の付喪神だという。
 きれいに整えられた銀色の髪、深い湖の底のような蒼い瞳。
 その立ち姿は怜悧で、白い肌は凍った湖面を思わせる。
 名古屋にある、ゆかりの地に顕現した彼のために、最速で移動できるルートを手配したのは各務だったが、思ったよりも早く着いたようだ。
 各務は温めておいた高級な茶器をテーブルに置き、彼の傍らにもたもたと駆け寄った。
 「この度、大役をおおせ・・・」
 「由々しき事態だ!」
 切れ味鋭い目は、各務を一瞥しただけで通り過ぎ、整列する官僚達を睥睨する。
 「特命調査への協力を要請する。
 時の政府は事態を重く見ている。
 山姥切国広の捕獲、もしくは破壊。
 同時に、先行する三日月宗近の捕捉も行う」
 簡潔な命令に、官僚たちは一斉に動き出した。
 東京都内だけでなく、日本各地に張り巡らされた監視カメラの映像解析等、情報収集に長けた彼らは次々に有益な情報を洗い出していった。
 しかし中でも有益だったのは、各務がこれまでに築いていた、人脈という名の情報源だった。

 「どうぞ・・・」
 高級な革張りの椅子に深々と腰かけ、報告書が表示されたタブレットに目を落としていた長義は、その姿勢のままいつもの場所に置かれた茶器を取り上げた。
 適温の茶を飲み干し、各務が差し出す盆の上に、目線も送らずに置く。
 一旦下げられた茶器は、先ほどよりやや熱い茶を入れて、長義の邪魔にならない場所へそっと置かれた。
 苛立ちにより、浅くなっていた呼吸が通常に戻ると、香りも感じるようになるものだと頭の端で考えながら、長義は左の指先だけを湯気に当てる。
 その様に、各務はほっと吐息した。
 現代の官僚達よりも遥かに優秀な付喪神は、ほんの数時間でこの時代の情報を把握し、端末を使いこなして最新の状況を精査している。
 しかし人の身を得ている以上、心身に疲労がたまるのは当然のことだ。
 緑茶にはテアニンというリラックス効果のある成分が含まれているし、脳の唯一の栄養源であるブドウ糖も摂取すれば、効率的に作業が進むと進言したところ、彼はあっさりと受け入れてくれた。
 そういう柔軟性も、彼の優秀さというものだろう。
 「・・・なにかな?」
 笑みを浮かべそうになる唇を懸命に噛み締めていた各務は、訝しげな目に慌てて首を振る。
 その時、
 「東京国立博物館から電話です。
 現在展示中の刀剣、三日月宗近の前に、狩衣姿の青年が現れたと・・・」
 声をあげた同僚に一礼し、各務は両手で受け取った受話器にぼそぼそと話しかけた。
 「すみません、各務です・・・。
 はい、すみません、お騒がせして・・・。
 あぁ、展示室で刀を振り回したと・・・それはご迷惑をおかけしまして・・・。
 お怪我などされた方は・・・あぁ、はい、それはなによりでした・・・。
 はい、一緒にいるのは女子高校生ですか、どんな容姿の・・・。
 あ、ありがとうございます、監視カメラ画像の方でお願いします。
 え、そんな・・・ありがとうございます。
 自撮り写真もいただけたら、こちらも大変助かります。はい。
 あ、はい、あとはこちらで対応いたしますので。
 お二人にもよろしくお伝えください。
 はい、では失礼いたします・・・」
 受話器に向かって深々と一礼する各務を、長義が訝しげに見遣った。
 「なんだと?」
 「あ、はい・・・」
 受話器を丁寧に置いてから、各務はもたもたと長義の元へ駆け寄る。
 「東京国立博物館の学芸員の方からです。
 現在、展示してある三日月宗近の元に、付喪神らしき青年が現れたと。
 展示室で刀を抜いたそうで・・・あらかじめ私から、なにがあっても見ないふりをしてください、と連絡していましたので、無視はしたそうですが、今後このようなことがないようにと、注意を受けました・・・」
 「ふん、世間知らずが」
 革張り椅子に背を預け、長い足を組みなおした長義が、鼻を鳴らす。
 「それで?
 一緒にいるのがなんだと?」
 「女子高校生、です。
 多くは15歳から18歳までの、女性の学生のことです」
 言ってから、各務は胸ポケットで震える携帯端末を取り出した。
 「学芸員の方が、監視カメラの画像を送ってくれました。
 これから彼らの後をつけてくれる同僚の方が、自撮り写真も送ってくれるそうです」
 「地鶏・・・?」
 更に訝しげな顔をした長義をそれほど待たせることなく、各務の携帯端末が震える。
 「き・・・来ました・・・!
 三日月宗近と、おそらく彼の仮の主である、女子高校生です」
 と、各務が両手で差し出した携帯端末を、長義は座ったまま片手で受け取った。
 「・・・なんだこれは」
 華やかな容姿の女性二人に挟まれ、嬉しげに笑う刀剣男士の姿に、長義はきつく眉根を寄せる。
 「どちらが仮の主だ?」
 「あ、女子高校生は・・・こちらの画像になります」
 各務が恐縮した手つきで、長義の持つ端末画面に指を滑らせた。
 と、自撮りと見せかけて正面から撮影したとみられる、少女の不満顔が現れる。
 「なるほど」
 各務へ携帯端末を突き返した長義は、するりと立ち上がった。
 「画像の位置情報で二人の居場所を特定しろ。
 しばらくは泳がせ、山姥切国広と合流するのを待つ」
 「はい・・・!」
 いよいよ始まるのだという緊張だけでなく、なぜか高揚も感じながら、各務は長義へと深く一礼した。

 ―――― 三日月宗近は見つかった。
 彼と、彼の仮の主である女子高校生の足取りは追うことができている。
 京都の倉橋からも連絡があり、彼の元に顕現した髭切、膝丸と共に東京へ向かっているという。
 ただし、
 「航空機で来る、だと?」
 長義がデスクに叩きつけた茶器から、飛沫が散った。
 「京都からならば、新幹線の方が早いと言わなかったか?」
 刃のような目で睨まれて、各務は長義へ深くこうべを垂れる。
 「はい、当初はそのように手配していましたが・・・ひ・・・髭切が、どうしても飛行機に乗りたいと望んだそうで・・・」
 各務はそれ以上のことを言わなかったが、長義は各務が受けた電話の向こうで、髭切らしき声が駄々をこねている様を聞き取っていた。
 「刀剣男士ならば、自身の望みよりも使命を優先させるべきだろうに!」
 苛立たしげな長義に恐縮した様子で、各務は更に深くこうべを垂れる。 
 「申し訳ありません・・・。
 ですが、到着時間を調整し、新幹線より遅くなることはありませんので・・・」
 「・・・そうか。
 ならば良しとしよう」
 語気を弱めた長義に安堵した各務だったが、次に来たのは焦燥だった。
 「福岡で・・・へし切長谷部を見失ったんですか?!」
 なぜ、と言ってしまった各務は、同僚に睨まれて、口の中でもごもごと謝った。
 「仮の主になったらしき女性と、連絡が取れません」
 「なぜだ。
 交通網を見る限り、航空機を使える福岡は、京都からよりもよほど早く合流できるはずだろう?」
 既に日本の交通網に精通した長義の厳しい目に晒されて、各務を睨んだ官僚は恐縮して頭を下げた。
 「福岡市博物館の学芸員が、へし切長谷部顕現の連絡をしている間に二人とも消えていたそうです」
 「・・・筑前の連中は、待てができないのかな?」
 長義の忌々しげな口調に、官僚は更に恐縮する。
 「あ、じゃあ、私・・・が・・・・・・」
 と、受話器を取り上げた各務が、どこかへ電話をかけた。
 「あの、各務です。
 お世話になっております。
 はい、この度はご心配をおかけしまして・・・。
 あの、へし切長谷部と女性のことですが・・・もしかしたら、ロビーの受付の方が、何か聞いてらっしゃるのでは、と・・・。
 はい、代わっていただいて・・・。
 ・・・あ、先日はありがとうございました。
 道案内をしていただいて、助かりました。
 お土産までいただいて・・・はい、博多通りもんは、上司も気に入ったようです」
 「・・・これか?」
 デスクの上にある、九谷焼の菓子器に盛られた菓子を取り上げる長義から、官僚達が一斉に顔を背ける。
 意外と甘いもの好きなんだな、と、陰で嫌味を言っていただけに、懸命に失笑を隠す同僚達に構わず、各務は話を続けた。
 「・・・すみません、そちらのへし切長谷部と一緒に出て行かれた女性の方なんですが、どちらに向かわれたかご存じないでしょうか。
 あのホールは声が響きますし、もしかしたらと・・・。
 あ、学生証を提示されたんですか!
 なるほど、福岡大学の学生さん・・・。
 くろだみつるさん、とおっしゃるのですね。
 はい、字は・・・黒田家の黒田、実るに、弓の弦、ありがとうございます。
 一旦うちに帰って、となりますと、移動はバスで・・・?
 あ、そうですね、地下鉄ですね。
 はい、地下鉄でしたら、西新駅から監視カメラで追えると思います。
 すみません、ありがとうございました。
 はい、今度お伺いする時は、東京ばな奈を持参しますので、皆さんで召し上がってください。
 凍らせるとおいしいと、館長さんがおっしゃってましたので。
 はい、では」
 受話器に向かって丁寧に一礼し、そっと置いた各務に、長義は眉根を寄せる。
 「君は、無駄話が多いのじゃないかな」
 「申し訳ありません・・・。
 こちらの件は、挽回いたします」
 腰を屈めて、パソコンに向かおうとする各務の前で、同僚がディスプレイを背ける。
 「こっちの仕事だ。
 俺が挽回する。
 お前は監査官殿にお茶でも淹れて差し上げろ」
 「・・・よろしくお願いします」
 申し訳なさそうに腰を屈める彼に何か言いかけて・・・長義は口をつぐんだ。
 ややして、各務が運んできた茶に口を付ける。
 いつもの緑茶とは違い、不思議な香りと、強すぎない酸味に興味を惹かれて、きつく寄っていた眉を開いた。
 「あの・・・」
 口に合っただろうかと、問いたげな彼を無視して、茶を飲みほした長義は茶器をデスクに置く。
 その横顔に見惚れる各務を押しのけて、福岡市地下鉄の映像を追っていた官僚が声をかけた。
 「いました!
 へし切長谷部と、黒田実弦と思われる女性です!」
 「すぐに電話番号を入手しろ!」
 東京や大阪などの古い地下鉄とは違い、福岡市地下鉄は携帯電話が通じる路線だ。
 情報収集のプロとして、実力を発揮した彼らだったが、猪突猛進の二人は最速で地下鉄を乗り継ぎ、実弦の自宅から博多駅まで最短で移動した上、長距離高速バスに乗り込んでしまった。
 「電話に出ろよ!!」
 絶叫し、デスクに拳を叩きつける同僚を気の毒そうに見つめた各務は、『もしかして・・・』と呟く。
 「なんだ!!」
 名誉挽回の機会を潰され、気が立っている同僚をおどおどと上目遣いで見ながら、各務は弱々しい声で言った。
 「博物館内や電車内では・・・機内モードにしているのでは・・・・・・」
 消え入りそうな声を受けて、同僚達の見開いた目が血走った。
 「ギャルのくせにマナー守ってんじゃねぇよ!!!!」

 ―――― その後、状況は急展開した。
 三日月宗近と行動を共にする女子高校生、鈴木琴音のもとに、山姥切国広の失踪に関わったと思われる時間遡行軍が現れたのだ。
 長義自身も、各務を伴って現場の廃工場へ急行し、失踪した山姥切国広だけでなく、三日月宗近とも三つ巴の戦いを繰り広げることとなった。
 山姥切国広は、長義によく似た雰囲気の、金髪の青年だった。
 長義に劣らず美しい顔立ちを、なぜか粗末な布で覆い隠している。
 人間などには構わず、舞うように戦う彼らから琴音を引き離したものの、各務の目は、火花を上げてぶつかり合う刀剣から目が離せないでいた。
 更には、山姥切国広が仮の主とした少年・・・。
 各務はその姿に眉根を寄せた。
 黒いパーカーのフードを目深にかぶり、はっきりと見えたわけではなかったが、黒く大きな目が印象的な少年だ。
 どこかで・・・と、思い出す前に、現れた時間遡行軍と山姥切国広によって追跡を阻まれ、彼らは廃工場を後にすることになった。

 三日月宗近は伴ったものの、山姥切国広を逃がした長義の不機嫌なさまに、官僚達は心中に冷笑しつつ別室に下がって行った。
 「・・・粗茶ですが」
 国宝・三日月宗近の化身である青年に見惚れそうになる目を何とか押し下げて茶器を差し出すと、鷹揚に頷く彼とは逆に、長義が苛立たしげな舌打ちをした。
 「あ・・・あの・・・」
 何か無礼でも、と恐縮する各務に、腕を組んだ長義が顎をあげる。
 「こちらは天下五剣の一振り、三日月宗近だぞ。
 粗茶などと言わずに、最高級の茶を出して差し上げろ」
 皮肉げな言い様ではあるが、茶というよりは卑下する自身を責められた気がして、各務はうつむいてしまう。
 「まぁまぁ、仮とは言え主ではないか」
 茶器を下げようとした各務を押しとどめ、三日月はソファに腰かけた。
 「せっかく淹れてくれたのだ、いただこう」
 広袖を背に払い、優雅な仕草で茶器を取り上げる。
 「うん、良き茶だ。
 十分にうまいぞ。
 ただ・・・先だっていただいた、抹茶・・・抹茶・・・なんであったかな?」
 傍らで、緊張のあまり呼吸も浅い琴音へ聞けば、蚊の鳴くような声で『抹茶らてまきあーと』と呟く。
 「そうそう、抹茶・・・うん、それが甘くて好きだなぁ」
 「・・・そう言えば君、この若い女人に茶をたかっていたな。
 支払いをしておけ」
 長義が顎をしゃくると、各務が白い封筒を差し出した。
 「御飲食代です」
 「え?!そんな・・・もらえませんけど?!」
 自身が払った分より、何倍も入っていそうな封筒を固持する琴音に、長義は鼻を鳴らす。
 「もらっておくといい。
 どうせ、まだしばらくは迷惑をかけるのだから」
 「それも嫌ですけど?!」
 「君に拒否権などないのだが?」
 当然のように言って、長義は三日月へと向き直る。
 「さて、君の本丸の猫の事だが」
 「はて、南泉の事だろうか?」
 とぼける三日月に、長義は眉根を寄せた。
 「君が偽物くんのことを、じゃれつく猫だと言ったのだろうに」
 「そうだったかな。
 年寄は記憶が曖昧でなぁ」
 愉快げに笑う三日月に、長義が盛大な舌打ちをする。
 大層機嫌が悪い長義の様子に、各務は琴音を促して部屋を出た。
 「あの様子では、いつ斬り合いになるかわかりませんから・・・」
 そう言って別室の、同僚達が作業する部屋へと導く。
 「すみません、巻き込んでしまいまして・・・。
 ですが、この件は国家機密になりますので、決して他言しないという誓約書を書いていただかなくてはいけません。
 準備してまいりますので・・・」
 どうぞ、と、部屋の端にあるソファを示された琴音は、長義の執務室とは違って硬い合皮のそれに浅く座った。
 両端に丸まったブランケットが放置してあるのは、ここで作業する官僚達が仮眠をとっているからだろう。
 血走った眼でパソコンに向かう官僚達へ、もたもたと寄って行っては一枚ずつ紙をもらっていた各務だったが、最後の一人へ話しかけた途端、怒号が上がった。
 「血税泥棒の昼行燈が!いい気になるなよ!!
 きさまはせいぜいが、監査官殿のお茶くみ係だろうが!!」
 驚いて固まる琴音の前で、各務は猫背を更に丸くして謝っていたが、続けざまの怒号は止む気配もない。
 おろおろと目線をさ迷わせていると、勢いよくドアが開いて、詰め寄った長義が怒鳴る官僚の胸倉を掴んだ。
 「よく吠える犬だな。
 そこまで言うのだったら、こいつよりうまい茶を淹れてみろ!」
 鋭い刃を思わせる眼光に真正面から睨まれて、息を詰まらせる官僚に鼻を鳴らし、長義は乱暴に彼を突き飛ばした。
 床に座り込んだ彼へ背を向け、眼光はそのまま、長義は各務を見据えた。
 「あの・・・あの・・・・・・」
 頬を染めて見つめてくる各務にも、長義は高慢に鼻を鳴らす。
 「・・・仮とはいえ、主を悪く言われて腹が立っただけだ。
 新しい茶を淹れて持ってこい」
 わざわざ執務室から持って来たのか、長義がぞんざいに差し出した茶器を、各務は捧げ持つようにして受け取る。
 「やれやれ、素直ではないなぁ」
 「三日月?!」
 いつの間にか隣に座っていた三日月に、琴音は飛び上がらんばかりに驚いた。
 「俺がお前を必要としているように、あやつもまた、彼を必要としているのだろうよ」
 共に部屋を出る主従の背に、琴音はため息をつく。
 「刀剣って・・・変なのばっか・・・」
 「ううむ・・・たった三振りを見ただけで、判断するのは早いと思うぞ?」
 少なくとも、と、三日月は魅惑の笑みを浮かべる。
 「俺は、まともなうちだろう?」
 「あんたが一番変わってるよ!!」
 琴音の鋭いツッコミに、緊迫していた部屋の空気が、やや和んだように思えた。

 「ど・・・どうぞ・・・・・・」
 執務室の椅子に深々と腰かけ、腕と脚を組んだ長義の前に、各務は茶を差し出した。
 「ふん・・・」
 もの言いたげな各務に鼻を鳴らして、腕を解いた長義は茶器を取り上げる。
 「誤解しないでもらいたいが、別にお前の茶が飲みたいわけじゃない。
 まあ、出されたものを拒むほど、俺は無礼ではないが」
 「あ・・・はい・・・・・・」
 頷いた各務が、まだ何か言いたげに盆を抱える様を見て、長義は舌打ちした。
 「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなんだ!」
 「あ、はい!あの・・・・・・」
 怒鳴ったせいで痛めた喉を、適温の茶で潤しつつ待っていると、各務は意を決したように猫背を伸ばした。
 「わ・・・私の入れたお茶を、お気に召して頂けたのでしょうか!」
 「・・・・・・・・・は?」
 眉根を寄せた長義に、各務は慌てて首を振る。
 「すみません!差し出がましい・・・」
 「うまいとは思っている」
 「は・・・」
 呆気にとられた風の各務を見上げ、長義は口の端をあげる。
 「お前の入れる茶は、常に適温だ。
 人の身を得て、初めて飲食というものを覚えたが、最初から不快でなかったのはお前の茶と、添える菓子だけだ」
 それに、と、背後の花器に活けられた花を、肩越しに見遣る。
 「国家機密の案件中だけに、清掃のスタッフが入れないこの部屋を清潔に保ち、花を活けているのはお前だろう?
 これだけ大きな花をいくつも飾っていながら、花粉が散ることもなければ、濃い香りに神経がささくれ立つこともない。
 皆の集中を乱さない心遣いだな」
 「あ・・・の・・・!気づいて・・・・・・!」
 「当然だ。
 俺を誰だと思っている」
 高慢な言い様が、しかしなぜか心地よかった。
 「これからが正念場だ。
 最後までよろしく頼む」
 「はい・・・!!」
 深々と一礼した各務に、長義は滲むような笑みを浮かべた。

 その後は、正念場というより、修羅場と言う方がふさわしい状況だった。
 源氏の二振り、へし切長谷部とは合流しえたものの、人々の『思い』が盗まれる事象により、日本国中の都市機能は停止してしまっている。
 長義は彼が指揮する官僚達と共に、あえて交通網を遮断することで大事故を防ぎ、ライフラインの稼働率を下げ、海外との交渉には長義自身が閣僚と同行することで、本来は意識のない彼らを傀儡として凌いだ。
 だが、今後の方策を立てようとした時点で、本部に敵の侵入を許すことになった。
 「こちらへ!!」
 時間遡行軍による歴史干渉の影響で、満足に戦えない長義と離れることに葛藤はあったが、官僚である各務が守るべきはまず、日本国民だ。
 仮の主と離れることで、長義の存在が希薄になるだろうとは予想しつつも、彼はビル内の抜け道を通って皆を外へ逃がした。
 しかしそこで見たものは、『思い』を奪われ、意識を失くしたまま林立する人々の姿・・・。
 これは今、日本各地で起こっていることなのだろう。
 更に押し寄せる敵―――― 絶体絶命の中、奇跡は起こった。
 各務には知るべきもないことだが、危機を脱した各本丸より送り出された精鋭が現れ、次々に時間遡行軍を討ち減らしていったのだ。
 唖然として戦況を見守る中、彼が・・・。
 高慢に靴音を響かせて、山姥切長義が現れた。
 信じがたく凝視する各務に、長義は不敵な笑みを浮かべる。
 「ここからは本気だ!」
 一度くじかれた刀剣は、怒りと共に更なる冴えをもって、敵軍を一掃した。

 ―――― 数年後。
 時の政府にて。

 「山姥切長義、まだお仕事ですか。
 熱心ですね」
 襖の向こうからかけられた声に、長義は顔をあげた。
 「古今伝授の太刀・・・何か用かな」
 部屋を訪れた古今伝授の太刀へ、そっけなく言うと、彼はムッと眉根を寄せる。
 「・・・筑前に用があるなら買って来てほしいと、あなたが言ったのでしょうに。
 無礼な子に、お土産はあげませんよ」
 と、彼が差し出す菓子箱に、長義ははっとして腰を浮かせた。
 「・・・すまない、すっかり忘れていた。
 茶を淹れるから、一緒にどうだろうか」
 「もちろん、そのつもりです。
 ついでにお茶も買って来たのですよ。
 なんでも今、評判の茶葉だそうです」
 そう言って彼は、茶葉の袋も添えて渡した。
 「ところで、筑前には何の用事だったのかな?」
 茶器に湯を入れて温めつつ長義が問うと、古今は花がほころぶような笑みを浮かべた。
 「2019年に、わたくしの本体が筑前に行くことがありましてね。
 隣には大典太殿がいましたね、その隣は笹貫が・・・姫鶴もいらしたのではないかしら、五虎退や物吉も、なんて話していましたら、懐かしくなって。
 何振りかで、ちょっと遊びに行きましょうかと」
 「政府顕現の刀だというのに、君たちときたらのんきなものだな」
 「あげません」
 「・・・謝罪する」
 菓子を取り上げようとする古今の手を、長義は慌てて掴んだ。
 「お詫びにおいしいお茶を淹れるのですよ」
 「承知した・・・しかし」
 温めた茶器に、古今から受け取った茶葉を入れるが、どうにも自信がない。
 「俺はかつて、うまい茶を飲んでいた気がするんだが・・・」
 「あらあら。
 それはどの時間軸のあなたでしょうねぇ」
 からかうように言って、長義が淹れた茶を飲んだ古今が、微笑んで頷く。
 「悪くはないと、思いますよ?」
 「そうか。
 ・・・・・・・・・!」
 口に含んだ途端、爽やかな緑茶の中に、不思議な香りと強すぎない酸味を感じて、長義は目を見開いた。
 「これは・・・」
 「良い物でしょう?
 緑茶に花弁や薬草を入れて、香りを付けているのですって。
 酸味は何かの果物でしょうか・・・影響力のある人物が紹介して評判になった茶葉だそうですよ。
 色々と試飲をさせていただいたのですが、これが一番気に入りました。
 心休まる味と香りです」
 ねぇ?と、同意を求めた長義は、目の前から消えていた。
 「あらまぁ・・・。
 うちの歌仙じゃあるまいし、随分と短気な子ですねぇ・・・」
 呆れたように笑って、古今は菓子の小袋を開けた。

 「全く、こんな簡単なことを忘れていたとは・・・!」
 靴を鳴らしつつ、かつて何度も通った廊下を、長義は足早に抜けた。
 「いや、記憶を消去されたのか・・・だったら・・・」
 あの部屋の前で足を止め、長義はドアノブにかけた手を下ろす。
 「そうだな、もう俺は何の関係もない・・・」
 踵を返そうとした時、中からドアが開いた。
 「山姥切様・・・・・・!」
 事後処理のため、記憶を保ったままの各務が、分厚い黒縁眼鏡の奥の目を丸くする。
 「足音が・・・そんなわけはないと思いましたが、本当に・・・」
 嬉しげな顔を見下ろし、長義は封が開いた茶葉を、ぞんざいに差し出した。
 「・・・自分で淹れても、うまくいかないんだ。
 誤解しないでもらいたいが、別にお前の茶が飲みたいわけじゃない。
 まあ、出されたものを拒むほど、俺は無礼ではないが」
 素直ではない言い様だが、各務は却って嬉しくなって頷いた。
 「・・・これ、私がブレンドした茶葉なんです。
 黒田さんが今、インフルエンサーになっているので、彼女にお願いして宣伝してもらいました。
 売上金は、事情があって家にいられない子供達や貧困家庭を支援する目的に使われます。
 本当は政府がやらなければいけないことなんですが、助けを求める方法がわからない子も多いですから・・・」
 伊吹くんのように、と呟き、各務は長義が差し出す茶葉を、捧げ持つように受け取った。
 「あの事件の前から、私は彼の困窮を知っていたはずなんです・・・。
 弟さんが亡くなった件はニュースにもなりましたし、文部科学省の役人として、おそらく資料にも目を通していたはずですが、何もしていなかった・・・。
 彼と弟さんへの贖罪というには全く足りないのですが、この茶葉の売り場は、警察や児童相談所と連携して、SOSを知らせる場にもなっています。
 まずは身近に助けを求める子がいることを知ってもらって、思いを寄せてもらうこと・・・そこから始めようと思いました」
 「そうか・・・。
 仕事熱心で、何よりだ」
 心ここにあらずといった様子で目を背ける長義に微笑んで、各務は廊下の奥を示した。
 「上階に行きませんか。
 実は、この部屋の調度はとっくに撤去されていまして、今日は新しく立ち上がる部署のために、ケーブル類の設置に立ち会っていただけなんです。
 もう鍵を閉めて戻る所でした」
 「そうか・・・終わったんだな」
 安堵したように吐息する長義に頷き、各務は明るい廊下を共に進む。
 「地下にいる間は無理でしたが、ここからは夜景がきれいに見えますよ」
 上階のフリースペースに案内された長義は、各務が示す窓辺に寄って、浅く腰かける。
 「そうだな・・・」
 やはり心ここにあらずといった様子の彼に、ところで、と、各務は遠慮がちな視線を送る。
 「本日は、お仕事終わりでしょうか」
 「え?」
 問い返すと、各務は慌てたように首を振った。
 その様に、改めて窓を見遣った長義は、そこに写る自身の姿に苦笑する。
 戦装束を解き、ジャケットも脱いだまま、随分と気楽な格好で来てしまった。
 「これはまた、みっともない姿を見せてしまったな」
 苦笑する彼に、給湯室から戻って来た各務が、盆を差し出す。
 「粗茶ですが・・・」
 「いただこう」
 互いにほんのりと笑う二人の間に、茶の香りがふわりと漂った。

鏡に鬱る本歌/アマノコヤネ.

各務一は今日も日向に居た。太陽の光を浴びながら綴る煎茶は相も変わらず格別に美味い。肩に当たる光と同じ温度に設えた甲斐もあってか、喉を円やかに通る温もりはまるで、世界からの祝福であった。

(こんなに美味く淹れられるのなら、資格のひとつでも取っておけば良かったのかな)

ぼんやりと考えながら上官への一服を考える。なかなかどうしてこの“茶”と云う飲み物は、奥が深い。
葉を摘む時期、湯の温度は勿論のこと、季節ごととは言っても其処に二度同じ味など定まらない。人の縁と同じく一期一会なのだと、去年たまたま仕入れに寄った茶屋の店主が言っていた。あの時に受け取った言葉が、何と無く今日の一服から得たこの憩いの時間に似ている気がして、誰にともなく微笑んだ。春の陽射し。もうすぐまた、桜の季節がやってくる。

(何だろうな、あったかい…けれど)

疲れているのだろうか。
何時からかこの時期に、言葉には出来ない寂しさを感じるようになった。

(歳かな…)

やさしく“心”を擦る。鼓動が息づく場所。寂しさが消えるまで、今日は少し長めに擦った。

「どうした、心が痛いのか」
「ううん、何と無く気が落ち」

思わず湯呑みを落とす。
割れてない、と安堵しつつも慌てて拾い上げながら声の方を見た。
あたたかな陽射しをくれる窓辺。不自然なほど広く開いたサッシに落ちる影が簡単に其の温度を奪う。

「あ、あれ…?」

すぐに異常を察知した。驚くなかれ、此処は【国家安全保障局】。内閣官房の砦とも言われる機密の総合調整所である。当然、侵入者が門を潜ればこれを隈無く見張っているセキュリティがにわかに作動する…筈なのだが。

「笑えないくらいガバガバなセキュリティ…」

時はあっさりと日常を紡いだまま過ぎた。

「驚いたな。随分とハキハキ喋るようになったじゃないか」
「いや誰なんですか、貴方…」
「俺は備前長船より派生した山姥切の本歌、山姥切長義だ。君と会うのは…機密だが、二回目だ」
「ぇえ…?」

我が物顔で窓に腰掛けた山姥切長義(って、なに…?)をただ見詰める。見目麗しい、凛とした顔立ちが印象深いが、全く会話が噛み合わない。

「まぁ、春ですからね…」
「そう、“あれ”から3年半…此の時代は2016年の春を迎えているね」
「其れが何か…?」
「箱を出せ」
「箱?」
「君達が携帯している、情報を記録する箱だ」

(お爺さんなのかな…?)

奥ゆかしい物言いをする山姥切長義に言われるがまま、携帯電話を取り出す。

「時の政府は去る2012年の一件を重く受け止め、我々刀剣男士の歴史を媒体保存する事を決定した。仮の主を正式なる審神者と認め──…君達人間の“想い”を再び集約する。この箱を通して」

言うが早いか、山姥切長義は先程露呈した奥ゆかしさをすっ飛ばして器用に携帯電話を操作した。余りに現実離れした出来事に考える事を放棄してしまいそうになる。滑らかに動く指はやがて【刀剣乱舞-ONLINE-pocket】と題されたアプリをダウンロードし始めた。

「あっ、ちょっと勝手に訳のわからないものインストールしないで頂けませんか」
「持っていてくれ。俺の実装は未だ未だ先だが──…必ずまた、君と君が大切にしているものを護りに行くよ。…各務。」
「…えっ?」

(どうして僕の名前を)と言い掛けた途端、ぷつりと意識が途切れる感覚が訪れる。眠った訳でも倒れた訳でもないので其の間合いは一瞬だったが、山姥切長義の姿は既に其処に無く、ただ開きっぱなしの窓から再びあたたかな陽射しが春の風を呼び込んだ。

手元に残った携帯電話が、少しだけ熱を持って己の行動を待つ。

「刀剣乱舞──…始めよう」

始まりを促す、声と共に。

──了──

消える想いと消えない思い出 / 美遊

 

 おそらく、俺は酒に酔っていた。

同期が張り切ってたプロジェクトが成功して報奨金が出たとかで、暇なら来いよと連れてこられた宴席の隅っこでちびちびとハイボールを飲んでいて、二次会に行く奴らを見送ってそのまま通勤電車に揺られて家路についていた。
改札から出て15分、視界の片方は小学校のグラウンド、もう片方は静まり返った露地栽培の畑。申し訳程度の古い蛍光灯がぽつりぽつりとあるが、道はほとんど真っ暗だ。そこを抜ければ俺のアパートがある。くたびれたスーツに煙草の匂いが移っているのに気づいて、クリーニング出すのも面倒だな、と大きなあくびをしたところだった。

急激に寒気がした。本能というやつがあるならば、それが『この先に行ってはいけない』と警告しているようだった。俺は、確かに俺は、目の前で黒い煙のような『それ』がゆれているのを見た。
十数メートル先、蛍光灯の光がわずかに掛かるあたりで、『それ』がみるみる広がり縦に伸び、俺の身長かそれより大きな形で現れた。そう表現するしかなかった。
それも1つだけじゃない、3つ、8つ、……あとは数えてない。車がすれ違えるかどうかの狭い道の横幅いっぱいに、『それ』が蠢いた。

なんだこれ。カメラに収めようとそっとジャケットのポケットからスマホを取り出した、が、画面は真っ暗だった。しまった電池切れ!最近ハマりだしたパズルゲームを飲み会でも電車の中でもやりすぎたせいだ。ガラケーの時代だったら予備バッテリーもあったのに!
電源が入らないことに慌て、俺はスマホを落とした。ガチッと嫌な音がした。うわやっべ!割れた!素早く拾ったが、ひっくり返せば見事なくもの巣。2年契約縛りの買い替えに半年以上あるんだが!?ハァ~とため息をついてふと気づいた、

『それ』からの無数の赤い光の点が、全部俺に向けられていた。

ぞわ、と肌が粟立つ。ア、ともウ、ともつかない、聞いたこともないような不快な音を発して、『それ』の先頭にいたものが赤い光を灯したままゆらゆらと近づいてきた。ヒトのような形だけど、鎧?肩からなんか出てるし、手に…何だあれは、何か長いのを持っている。やべえやつじゃん。逃げなきゃじゃん。おい。動けよ。何してんだよ俺。びっくりしすぎて動けなくなってんじゃん。声も出ねえわ。やべえって!
何とか一歩後ずさったが、途端に膝から崩れ落ちてその場にへたり込んでしまった。30過ぎのおっさんが腰ぬかしてる場合か。『それ』は俺が動けなくなった途端、急に速度を上げて向かってきた。金属音みたいな奇声をあげながら、長いものを振りかざしてきた。『それ』の頭らしき場所に昔の格闘ゲームで見た鬼のような、それよりもっと恐ろしい顔が見えた。咄嗟に両腕で頭を覆って防御姿勢を取った。

はずなのだが。

澄んだ音がした。俺を襲ってきた『それ』は俺の反対方向によろめいた。俺と『それ』の間に何かが立っていた。

 

「ちぃーっとお客さん多すぎでっせ、もう店じまいやで」
高い位置から聞いたことのない声がした。見上げるとはるか先にヒトの顔が見えた。『それ』に襲われて以来初めてヒトを見たので俺は少し安心した。
だがそのヒトは肩で息をしていた。横顔はすげー美人だけど、傷がいくつか見える。右手で左脇腹辺りをおさえていた。そして左手に、剣……いや、モンスターを狩るゲームで使ったことがある。太刀だ。それを持っていた。蛍光灯の光で太刀がキラキラ光っていた。
すげー美人のヒトは一瞬だけ俺を見た。長い前髪とメガネ越しの目が異様に光っていた。舌打ちしたように聞こえた。オイ失礼だぞ。
そのまま『それ』を見たそのヒトは、俺に向かって右手の掌を見せた。血がついていた。そして人差し指を下に向けて2度叩くように動かした。STAY、ということか。俺の返事を聞くまでもなく、そのヒトは予備動作なしに高く飛びあがって『それ』の集団に飛び込んだ。あーなるほど、人間じゃねえんだな……。

数秒なのか、数分なのか覚えてない。『それ』がいた場所に、そのヒトは立っていた。立っているのがやっとという感じで、先ほどよりグラグラ上半身を揺らしながら、足元に転がっていた『それ』に太刀をぶっ刺した。途端、『それ』は粉のように壊れて消えてなくなった。最後の『それ』が消えた途端、フゥーと大きく息を吐いたそのヒトが倒れこんだ。

……おそらく、俺は酒に酔っていた。
自分より背の高いヒト……ヒトじゃないこのお兄さんを背負ってアパートの階段を慎重にのぼりながら、そういうことにした。

 

腹の底から/謀叛人もどき

明確に死を悟った。
目の前には鬼とも化け物ともつかない、ばかにでかい存在。
それは禍々しいまでの筋骨に襤褸を纏って、目を爛々と赤く輝かせている。黒洞洞たる闇を侍らせるようなそいつは、明確な殺意を以てへたり込んだ青年を見下ろしていた。
化け物の右腕に握られた一振りの刀には、どう足掻いても背負った竹刀では勝てるはずもない。

しがない男子高校生の平凡な日常が、呆気なく終わろうとしていた。

化け物の腕が、ゆるうりと上がる。勢いなどいらないだろう。
あの太腕で刀を振り下ろせば、がたがた震えるだけの役立たずな全身を、文字通りの真っ二つにできるはずだ。
殺される。そう思い、せめてもの現実逃避に青年は目を強く閉じた。

だが、待てど脳天を割られる痛みはない。痛む間もなく死んだのか。
代わりに聞こえたのは、金属がぶつかる派手な音。
アスファルトについた両手が、地面を伝う気配を感じ取り、そこでようやく、青年は恐る恐る目を開けた。
ふと、一迅の風が吹く。
黒い化け物と青年の間に闖入してきた、浅葱色の長身が、そこにいた。
鍔迫り合う音が、青年の鼓膜を震わせる。長い長い髪が風になびくのが、場違いな感慨を抱かせた。

「ったく……顕現早々ひと仕事ったぁひでぇなあ」

浅葱色の羽織の背が、文句有りげに呟いた。
足を踏み込みながら、受けた刃を押し返す。しばしの膠着の後、わずかに手首を捻って競り合う力を流すと、化け物が勢い余って体勢を崩した。

「おらよっ、こいつも貰っとけ!」

薄鼠色の袴から伸びた脚が、化け物を思い切り蹴り飛ばす。
完全に地面に膝をついた黒い体躯の表情は伺えないが、焦りを見せたのが分かった。形勢が逆転し、その図体を起き上がらせるより早く、化け物の首があっさりと落とされる。
血を流すこともなく、黒い靄のように消えていく化け物と、その最期と見届けもせずに振り返った長髪の男。ほんの数分で起きた出来事があまりに非現実的でぽかんとしている青年に、男がにかりと笑って声を掛けた。

「なぁに呆けてんだ、あまりのかっこよさに見とれちまったか?」

そして刀身を払い、慣れた手付きで鞘に納めると、未だへたり込む青年に手を差し出した。

「オレは和泉守兼定。かっこよくて強ぉい、最近流行りの刀だぜ、ってな!」

立てっか? そう言う男の手を取って、青年は口を開けたままうなずいた。

2015特命任務始末・改稿

その青年がドアを開けて入ってきた日のことは、昨日のことのように思い出せる。だが実際はすでにあれから三年の月日が経っていた。同じなのは千代田区永田町、内閣国家安全保障局。その地下にひっそりと隠された専用の執務室と肩書。おそらく各務が定年を迎えるまで変わらないだろう。自分は彼のためだけにここに存在している。

「この度は大役を仰せつかり……」

あの時と同じ文句でのぎこちない挨拶になってしまったのは、決してわざとではなかった。刀剣男士、打刀・山姥切長義の前では誰でもこうなる。まるで蛇に睨まれた蛙だ。

「前置きは結構。作戦開始まで時間がないと聞いた。詳しいことは道中で話せ」

返事も聞かず、薄いグレーに、裏地は鮮やかな青のマントを翻して歩き出す長義の後ろを、各務は慌てて追いかけた。
長義たちがどうやって時間遡行をしているのか、各務は知らない。そこまでのレベルの機密情報に触れる権限を持っていないからだ。自分の役目は一つ。この銀髪の美しい相貌をした刀の付喪神の側を離れないこと。たとえ死んでも食らいついていく。できることはそれだけだった。