要領が悪いと言われる。
人一倍動いたつもりでようやく人並みと言われる。
この、ブラック企業に片足をズブズブに突っ込んでいる会社に押し込められて八年。
見事に飼い慣らされた社畜の完成だ。
今日も終電が無くなると、手元の押し付けられ仕事と時計を交互に見遣り、ため息をつく。
「つかれた…」
ポツリと呟いたその時。
薄暗いオフィスに、さぁ、と、風が吹いた。
「…なに…?」
懐かしい、奥底の記憶を掻き回すような、その風の香りは、此処には酷く不釣り合いで。
何が起こっているのか分からないまま、風はいよいよ強さを増し、思わず眼を閉じる。
「あがっ」
ゴッ、という鈍い音と、聞き慣れない声色。
「は?なになになに!?」
目の前に広がっていたのは、仄かに光を放つ様な美しい青。
「あぁ、やーが俺ぬ縁(えにし)を掴んだか」
色と、香りと、音が、怒涛の様に、閉じ込めていた愛おしい記憶を引き摺り出す。
『***、よく来たねぇ』
柔らかい微笑みを浮かべる彼を、不躾と思いつつ上から下、下から上へと見やる。
「キミは、一体なに?」
誰とは聞けなかった。
きっと、ヒトではない。
でも、危険な存在でもないと、思う。
「俺は、刀剣男士と呼ばれるものだ」
「刀剣男士…?」
「あぁ」
腰にある綺麗な装飾の刀?に触れながら、ゆっくりと教えてくれた。
要約すると。
刀剣男士とは、刀に宿った魂がヒトの姿を持ったもの。
それは、歴史を改竄しようとする存在の行動を阻止すべく生まれた、今のこの時代より、ずぅっと先の、ちから、らしい。
受け入れられたのは、そもそも彼が「常識外」の現れ方をしたからと、彼が持つ、人間離れした気配。
陽だまりのような暖かさと、潮風のような掴めなさと、奥深くから感じる悲哀と。
それらは、私が彼の言葉を真実だと思うのに十分だった。
「なまぁ、俺は本来のぬーしからとぅーさんばぁ、随分と力がねーんなとーんやぁ…あんくとぅ」
『今、俺は本来のあるじから遠いから、随分と力が無くなっているんだ…だから』
そこまで言って、は、と、言葉を切った。
「あぁ…すまん、俺が何言っているか、わからんだろう、やまとの言葉で、話さなければ…」
眉を八の字にして、困った様に、笑う。
「ううん…大丈夫…なんとなくわかるから」
すっかり忘れたと思ったけれど。
「私、大好きなおばぁがいるの。父方の祖母なのだけれど…ずぅっと島を離れないで暮らしてる人だから、君みたいな話し方してる」
父は早くに島を出て家庭を持った。
そうして生まれた自分は、夏休みになると会いに行って、沢山、沢山、話をした。
歌の様に紡がれる、おばぁのうちなーぐちが心地良くて。
もう、何年も直接会えてはいないのに、彼の言葉は、遠い記憶を呼び起こしてくれた。
「あんまり難しい言葉はわからないけれど…大丈夫」
「おぉ、そうかぁ」
それはそれは嬉しそうに笑って。
「じゃあ、しまくとぅばで話すから、分からなければ、教えてくれ」
頷くと、彼は姿勢を正した。
「俺の使命は、分かったか?」
「うん…歴史を変えようとするやつらを、倒すんだよね」
「やさ。あんくとぅ、ぬーしーからとーさんばぁ、俺のちゃーぬちから、半分もねーんどー」
『そうだ。だが、あるじから遠いから、俺のいつもの力、半分も無いんだ』
「待って、待って…えっと…」
「ちーよーでいーぞー」
そう言う問題じゃ無いと思いながら、彼の性格はなんとなく分かったのでそのまま続けた。
「ちーよー、じゃあ、その歴史を変えようとする奴が、今、この場所?に、いるって事?」
微かに眼を細めて、ちーよーが頷く。
「でーじな事になる。やしがー、いふーな力がまさってしまってな、ぬーしーも、こうして、本丸でいっちんちゅんばー俺を、てぃーち、うくゆんくとぅしか出来なかった」
『大変な事になる。だが、妙な力が勝ってしまってな、あるじも、こうして、本丸で一番強い俺を、一振り、送ることしか出来なかった』
苦々しそうに言って、私の手を取る。
「やーは俺と、俺のぬーしーと、ちかさんばーよ。やーぬはーめーが、俺のかつてのぬーしーと、何か縁があったのかも知れないなぁ」
『お前は俺と、俺のあるじと、違いんだよ。お前のお祖母様が、俺のかつてのあるじと、何か縁があったのかも知れないなぁ』
その手は大きくて、少しだけひんやりとしていた。
「たぬむん…俺の、いっときのぬーしーに、なってくれるか」
『頼む…俺の一時のあるじに、なってくれるか』
「…そうしたら、ちーよーは、いつもの力が出せるって事?」
頷く。
「やしが…いくさだ…」
『だが…戦いだ』
「…そうなんだろうね…でも、ちーよーは、その為に来たんだよね」
「あぁ…」
たった一振り(ひとり)で、あるじから切り離されるように、祈りと共に、この時代に送られた、ちーよー。
「私、君のぬーしーに、なるよ」
その言葉に一度見開かれた眼は、また柔らかく細められる。
「あぁ…にふぇーでーびる…」
『あぁ…ありがとう』
握られた手に、微かに力がこもる。
「ぬーしーやー俺がかんなじ守る」
『あるじは俺が必ず守る』
「うん」
優しい彼は、きっと私が嫌だと言ったら、そうか、と言って終わりにしただろう。
「いぬちやーてーしちだ」
『いのちは大切だ』
「分かってるよ。でも同じくらい、沢山の人が、いっぱい頑張って、良いも悪いも積み重ねた先にあるのが、今の、これから先の、歴史でしょ?後から簡単に、ひっくり返されたくないよ」
ちーよーの目が細められる。
本当に彼は、優しい顔をしている。
「…ぬーしー、俺のなーを呼んでくれ…俺のなーは…」
「「千代金丸」」
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